「辻沢日記 59」

文字数 1,794文字

 その後ユウとあたしは、こちらから攻撃をしかけるのを避けるようにした。

それは蛭人間の中に赤襦袢や袢纏が必ず混じるようになったからだ。

さっきの戦いでユウも赤襦袢に手こずった。

そんなのが複数襲ってきたら……。

だから赤襦袢か袢纏を見たら道を外れようと迂回する。

そうやって青墓の杜の中を移動した。

「あれはひだるさまだった」

 膨れた腹、黒く爛れた肌、枝切りばさみのような爪。

夕霧一行を襲ったひだるさまとまったく同じだった。

屍人の変種などではなかった。

「ユウ、今まであんなのと戦ったことあった?」

「いいや」

 ユウもこの異常さを感じ取っているようだ。

「手かな」

 ユウとあたしの繋がれた手を見た。

相変わらずお互いの手の甲に指が食い込んでしまって離れないままだ。

「このせいで変になってるんじゃ」

 ユウは黙って前を向いてそれには答えなかった。

 広場から少しずつ斜面を降りて、ようやく周囲が平坦になった。

小高いを丘を降りきったらしかった。

さらに赤襦袢と袢纏を警戒しながら歩く。

 北堺に近づいたあたりから植生が変わり出した。

それまでクヌギやコナラの広葉樹ばかりだったのが、葉が堅く棘があるヒイラギが多くなってきた。

青墓全体でも北境だけにヒイラギ多い。

もしかしたら大昔に植樹した名残なのかもしれない。

「これって魔除けかな」

 ヒイラギは鰯の頭と一緒に玄関に飾ると魔除けになると何かの本で読んだことがあった。

「ヴァンパイア除けかもね」

 なるほど。山椒もヒイラギも棘がある。

辻沢のヴァンパイアはよほど棘嫌いだと思われているらしい。

 そんな話をしながら進んでいると、いきなりユウ側のブッシュから袢纏が飛び出してきた。

その袢纏は鉤爪でユウの肩あたりを切り裂いて地面に着地すると、今度はあたしに向かって鉤爪を向けてきた。

あたしは反射的に水平リーベ棒で避けようとしたけれど、握りが甘かったせいで弾き飛ばされ武器を失ってしまう。

重ねて尻餅をついたところにのしかられ銀色の牙を目前にする。

もう素手で防御するしかない。

銀牙が並んだ真っ赤な口で頭から食べられると思ったとき、袢纏の喉から赤黒いものが突き出てきた。

袢纏はその突起物を両手で押さえて悶絶している。

ユウが黒木刀で首を串刺しにしたのだ。

黒木刀を引き抜くと袢纏はその場に倒れ動かなくなった。

あたしが袢纏が青い火に包まれるのをぼうっと見ていると、ユウが手を引いて立たせ、

「急ごう。ひだるさま濃度が上がってきた」

 と言ったのだった。

ユウの肩に血が広がり出していた。

 後ろを見ずにひたすら走った。

何かが追ってきている気がして怖かった。

 周囲の木がほとんどヒイラギに変わって、そこが北堺であると知れるところに出た。

ここからは流砂に気をつけて慎重に歩く。

 ヒイラギの根元のあちらこちらに人を呑み込まんと流砂が待ち構えているのが見える。

落ちないように用心し、触れると痛いヒイラギの葉を避けながら、さらに深部に分け入って行く。

 段々と地面よりもヒイラギの根が流砂の境界を分けるようになってきたところで、ユウが立ち止まって言った。

「なんだこの穴」

 そこは底が見えないほどの深い縦穴だった。

ヒイラギの根っこが縦横に張り出していた。

「これって流砂の跡?」

 流砂の砂だけがなくなったように見えたのた。

ユウは縦穴を覗き込んで、

「そうみたい。でも、こんなの初めて見た」

 湿った風が吹いてきた。

生臭い匂いがあたりに漂い出す。

背後に気配を感じた。

振り返ると最初のヒダルぐらいたくさんの赤襦袢と袢纏がユウとあたしに迫っていた。

もはや屍人も蛭人間も混じっていない。

夕霧物語でひだるさまが押し寄せたときのようだ。

赤襦袢と袢纏は、ヒイラギの葉の棘をかわしつつ流砂の縁を這いずりながら、じりじりとユウとあたしを囲繞しだした。

一つ向こうの流砂まで近づいて来ている。

逃げ場がない。

それにあたしは水平リーベ棒を無くしてしまっていた。

頼りはユウの黒木刀のみ。

「ねえユウ。どうする?」

するとユウがあたしの手を強く握って、

「降りよう」

と言った。

それでも、

「底も知れないところに行くのは」

 とあたしが躊躇していると、

「大丈夫。ほらあそこの壁を見てごらん。横穴が見えるから」

 あたしは目をこらして縦穴の中を覗き込んだ。

根っこの層の間に、見慣れた壁、見慣れたレンガの横穴が見えた。

地下道だ。

普段は砂に埋まっているものが露出したようだった。
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