「辻沢ノーツ 65」
文字数 1,661文字
Kさんに電話して奥宮への案内をお願いしてみた。
「奥宮ですか? 何もありませんよ」
それでもと言うと、いつもの時間にならと約束していただけた。
Nさんのお葬式以来の四ツ辻だ。これまでのインタビューをまとめたものを携えて行くことにした。
Nさんにも渡せなかったものも一緒に。
〈次は四ツ辻公民館です。わがちをふふめおにこらや、歴史の里、四ツ辻へようこそ〉
(ゴリゴリーン)
公民館の玄関に入ると、既に一組の靴がそろえてあった。
Kさんを待たせてしまったようだ。
「こんばんは。遅くなって申し訳ございませんでした」
約束の時間から30分も過ぎていたのだった。
「道が悪かったでしょう?」
麓の大門総合スポーツ公園までは定刻通りだったのに、四ツ辻に着くのが遅れた。
それは山道の至る所で水が出ていて、そこをバスが通る度、まるで瀬踏みのようにしてゆっくりと通過していたからだった。
「山から水が絞り出されてるんです」
Nさんのお通夜以来、雨はなかったはずだけど、
「ああなると、半月は続きます」
四ツ辻のあるこの山は、もともと水を多く含んで長雨の後などは山全体が膨らんでいるかのようになるのだという。
公民館の玄関でKさんが懐中電灯を渡してくれた。玄関を出ると辺りはすでに暗くなっていて、
「山道を行くのですよね」
と聞くと、Kさんはあたしの不安を察したらしく、
「大丈夫、行き慣れてますから」
と答えた。あたしはKさんについて歩き出した。
公民館前に敷かれた砂利を踏む音がやけに大きく聞こえた。
しばらくは、街灯のある舗装道を歩いた。
途中、わき道にそれて山道に入ってしばらく行くと、「奥宮」と書かれた鳥居があった。
その鳥居は柱が3本あって、真ん中の柱は全体を支えるように斜めについていた。
「ここから参道です。あと1時間くらいかかります」
「そんなに?」
「奥宮様ですから」
少し帰りたくなったけれど、自分から頼んだのにKさんに戻るとはとても言えなかった。
鳥居から先は、まったく明りのない山道になった。整備されていないらしく、ところどころ木の根っこがむき出しになっていて、不規則な階段のようで歩きにくい。
しかも、例の水が至る所で道を浸していて、靴は濡れるわ、足を流れにもっていかれそうになるわで体力が追い付かない。
そうでないところでも、むき出しの土は粘土質のためによく滑り、あたしは何度も転びそうになった。
それでも、幅の狭い道をなんとか歩けているのは、先導するKさんがあたしの足取りに目いっぱい気を配っていてくれたからだった。
あたしがよろけそうになると腕を掴んで助けてくれ、足を踏み外しそうになると体を張って支えてくれる。
どれだけKさんに助けられたか知れなかった。
行き慣れていると言ってもKさんはすでに50才を過ぎているはずだし、体格だってむしろあたしより小さいくらいなのだ。
Kさんにすごい労力を強いてしまった。
案内してほしいと言ったことを後悔した。
すでに小一時間は歩いて来たはずだ。
暗闇の山中にも慣れてきた。梢を透かして見える月、尾根下の渓流の音、風に揺れる樹木の軋み、下草に蠢く虫たちの鳴き声。
今はすべてを感じることができる。
そんな中、先ほどから山側のクマザサの中をあたしたちに並行するように何かが付いて来ている。
そっちは暗闇で当然姿は見えない。
かといって、懐中電灯を向けることは、もしそれが禍々しいものだったら嫌だから、あえて向けようとは思わない。
熊や猪かと言えば、そんなに大きいものでもなさそうだった。
いつからだったか。あたしが足の痛みを訴えたために、明るければとても見晴らしがよいのよと言われた休憩所で5分ほど休みをとった後くらいからだ。
Kさんに言おうかどうしようか、迷っているうちにそれと同道することになってしまったのだった。
突然、その気配が無くなった。
目の前を見ると山道が切れ、針葉樹の木立の間に一本の石畳が伸びていた。
「この先に奥宮があります」
そう言うKさんは肩で息をしていた。
やっぱりあたしが思う以上にKさんに負担をかけていたのだと責任を感じる。
「奥宮ですか? 何もありませんよ」
それでもと言うと、いつもの時間にならと約束していただけた。
Nさんのお葬式以来の四ツ辻だ。これまでのインタビューをまとめたものを携えて行くことにした。
Nさんにも渡せなかったものも一緒に。
〈次は四ツ辻公民館です。わがちをふふめおにこらや、歴史の里、四ツ辻へようこそ〉
(ゴリゴリーン)
公民館の玄関に入ると、既に一組の靴がそろえてあった。
Kさんを待たせてしまったようだ。
「こんばんは。遅くなって申し訳ございませんでした」
約束の時間から30分も過ぎていたのだった。
「道が悪かったでしょう?」
麓の大門総合スポーツ公園までは定刻通りだったのに、四ツ辻に着くのが遅れた。
それは山道の至る所で水が出ていて、そこをバスが通る度、まるで瀬踏みのようにしてゆっくりと通過していたからだった。
「山から水が絞り出されてるんです」
Nさんのお通夜以来、雨はなかったはずだけど、
「ああなると、半月は続きます」
四ツ辻のあるこの山は、もともと水を多く含んで長雨の後などは山全体が膨らんでいるかのようになるのだという。
公民館の玄関でKさんが懐中電灯を渡してくれた。玄関を出ると辺りはすでに暗くなっていて、
「山道を行くのですよね」
と聞くと、Kさんはあたしの不安を察したらしく、
「大丈夫、行き慣れてますから」
と答えた。あたしはKさんについて歩き出した。
公民館前に敷かれた砂利を踏む音がやけに大きく聞こえた。
しばらくは、街灯のある舗装道を歩いた。
途中、わき道にそれて山道に入ってしばらく行くと、「奥宮」と書かれた鳥居があった。
その鳥居は柱が3本あって、真ん中の柱は全体を支えるように斜めについていた。
「ここから参道です。あと1時間くらいかかります」
「そんなに?」
「奥宮様ですから」
少し帰りたくなったけれど、自分から頼んだのにKさんに戻るとはとても言えなかった。
鳥居から先は、まったく明りのない山道になった。整備されていないらしく、ところどころ木の根っこがむき出しになっていて、不規則な階段のようで歩きにくい。
しかも、例の水が至る所で道を浸していて、靴は濡れるわ、足を流れにもっていかれそうになるわで体力が追い付かない。
そうでないところでも、むき出しの土は粘土質のためによく滑り、あたしは何度も転びそうになった。
それでも、幅の狭い道をなんとか歩けているのは、先導するKさんがあたしの足取りに目いっぱい気を配っていてくれたからだった。
あたしがよろけそうになると腕を掴んで助けてくれ、足を踏み外しそうになると体を張って支えてくれる。
どれだけKさんに助けられたか知れなかった。
行き慣れていると言ってもKさんはすでに50才を過ぎているはずだし、体格だってむしろあたしより小さいくらいなのだ。
Kさんにすごい労力を強いてしまった。
案内してほしいと言ったことを後悔した。
すでに小一時間は歩いて来たはずだ。
暗闇の山中にも慣れてきた。梢を透かして見える月、尾根下の渓流の音、風に揺れる樹木の軋み、下草に蠢く虫たちの鳴き声。
今はすべてを感じることができる。
そんな中、先ほどから山側のクマザサの中をあたしたちに並行するように何かが付いて来ている。
そっちは暗闇で当然姿は見えない。
かといって、懐中電灯を向けることは、もしそれが禍々しいものだったら嫌だから、あえて向けようとは思わない。
熊や猪かと言えば、そんなに大きいものでもなさそうだった。
いつからだったか。あたしが足の痛みを訴えたために、明るければとても見晴らしがよいのよと言われた休憩所で5分ほど休みをとった後くらいからだ。
Kさんに言おうかどうしようか、迷っているうちにそれと同道することになってしまったのだった。
突然、その気配が無くなった。
目の前を見ると山道が切れ、針葉樹の木立の間に一本の石畳が伸びていた。
「この先に奥宮があります」
そう言うKさんは肩で息をしていた。
やっぱりあたしが思う以上にKさんに負担をかけていたのだと責任を感じる。