「書かれた辻沢 95」
文字数 1,866文字
「掴まってください」
勾欄にぶら下がるあたしに、まひるさんが手を差し伸べてくれた。
あたしはその手にすがって階に戻る。
ユウさんは勾欄で足を踏ん張って荒縄が全部持っていかれるのに耐えている。
その後ろについてあたしも助勢するけれどはたして効果あるのか、ほぼユウさんまかせきりになっていた。
まめぞうさんたちは斜面に四つん這いになってしがみつき、じりじりとすり鉢の縁を目指して登ってゆく。
船体の重さに加え逆巻く血潮の抵抗でものすごい荷重をその巨体に受けて斜面から引きはがされそうになるのをこらえている。
その驚異的な馬力は、やはり二人がひだるさまだからなのだろう。
その間も血潮の渦の勢いは増してゆくので、まめぞうさんたちの負荷は大きくなるばかりなのに社殿の船は少しずつ陸に引き寄せられていた。
岸に近づいた時、
「あたし手伝ってくる」
クロエが勾欄から身を乗り出した。するとまひるさんが腕を掴んで、
「いけません。ここから降りたら向こうに行けなくなります」
珍しく強い口調で言った。それに合わせてユウさんも、
「そうだ。だからまめぞうたちに頼んでいる」
と言った。
つまり、ミユウに会えるか会えないかはまめぞうさんとさだきちさんにかかっているのだった。
雲間が晴れた。再び鬼子神社に月の光が差してきた。
渦が止むのを期待したが、さらに勢いが増した気さえした。
荒縄がまめぞうさんとさだきちさんの体に食い込んでいる。
それは夕霧を守った時のようにまめぞうさんたちの体を千々に引き裂いてしまうのではないかと心配になるほどだった。
長い苦闘の末、二人はすり鉢の縁に手を掛けることに成功した。
そのころにはあたしたちの船も血の海を這い出て斜面を登り始めていた。
まめぞうさんとさだきちさんは今度は石畳のとば口に立って荒縄をたぐり始める。
それにつれ社殿の船は少しずつだが順調に斜面を登り、このまま一気にすり鉢の外にでられるような気がした。
ところがある地点から社殿は上を向いて傾いたまま微動だにしなくなった。
ピンと張った荒縄に伝わるまめぞうさんたちの力具合に変化はない。
後ろを見ると相変わらず血の大渦は逆巻いている。
夜空の月も赤いままで環境にも変化はなさそうだった。
まるでそこに新たな結界が出来てあたしたちの入場を拒んでいるようだった。
「由美様はこんなこと仰っていませんでした」
まひるさんにも分からないようだ。
あたしたちは時間が止まったようなこの状況をなすすべもなく受け入れるしかなかった。
しばらくみんなで意見を出し合ったがそれらしい答えは見つからない。
そして最後にユウさんがぽつりと言った。
「条件が足りてないのかも」
みんながはっとなってユウさんを見た。
それがまるで禁じられた呪いの言葉のようだったからだ。
しかし、ユウさんはずっと条件にこだわってきた人だ。
長い間かかって人数を揃え時期を特定してきた。
そんなユウさんにとってその結論に至るのは仕方のないことだと思った。
「何か気になることが?」
あたしはユウさんに聞いたのだったが、答えたのはクロエだった。
「寸劇さんの『砂漠の友だち旅団』にはもう一人いたんだよ。サーリフくんって男子が」
するとユウさんが、
「思い出した。たしか気を失ったクロエを任せたやつだ」
そして、
「りすけか」
とユウさんは吐き出すように言ったのだった。
「あの人、生き残ったから。あ、死ねばよかったって意味じゃないよ」
クロエが慌てて付け加えた。
夕霧の乗った土車を曳いたのは、銀杏の大木のようなまめぞうさん、髭を生やし浪人のようなさだきちさん、それと敏捷なキツネのようなりすけさんの3人だった。
「ケサさんの時もサーリフくんはいなかった。だから」
ケサさんの葬送は、まめぞうさんとさだきちさん、それとクロエの3人でおこなった。
しかしそれはユウさんとあたしがクロエに見させられた幻だったはずだが。
「けちんぼ池には送れなかった。りすけがいなかったから」
ユウさんがクロエの言葉を受けて言った。
まひるさんが何かに気づいたように社殿の奥に滑って行った。
そしてまめぞうさんが出てきた所から下の階にもぐりこんだ。
しばらくすると再び階上に現れて、
「たしかに荒縄と碇が一組残っていました」
と言うまひるさんの腕には荒縄が抱えられていたのだった。
「ここに来て条件を突き付けてくるとはエニシもしつこい」
ユウさんが天を仰いで言った。
あたしもつられて上を見た。
夜空で赤い月があたしたちのことをじっと見下ろしていた。
エニシの月は今まさに、冷酷な正体を現したのだった。
勾欄にぶら下がるあたしに、まひるさんが手を差し伸べてくれた。
あたしはその手にすがって階に戻る。
ユウさんは勾欄で足を踏ん張って荒縄が全部持っていかれるのに耐えている。
その後ろについてあたしも助勢するけれどはたして効果あるのか、ほぼユウさんまかせきりになっていた。
まめぞうさんたちは斜面に四つん這いになってしがみつき、じりじりとすり鉢の縁を目指して登ってゆく。
船体の重さに加え逆巻く血潮の抵抗でものすごい荷重をその巨体に受けて斜面から引きはがされそうになるのをこらえている。
その驚異的な馬力は、やはり二人がひだるさまだからなのだろう。
その間も血潮の渦の勢いは増してゆくので、まめぞうさんたちの負荷は大きくなるばかりなのに社殿の船は少しずつ陸に引き寄せられていた。
岸に近づいた時、
「あたし手伝ってくる」
クロエが勾欄から身を乗り出した。するとまひるさんが腕を掴んで、
「いけません。ここから降りたら向こうに行けなくなります」
珍しく強い口調で言った。それに合わせてユウさんも、
「そうだ。だからまめぞうたちに頼んでいる」
と言った。
つまり、ミユウに会えるか会えないかはまめぞうさんとさだきちさんにかかっているのだった。
雲間が晴れた。再び鬼子神社に月の光が差してきた。
渦が止むのを期待したが、さらに勢いが増した気さえした。
荒縄がまめぞうさんとさだきちさんの体に食い込んでいる。
それは夕霧を守った時のようにまめぞうさんたちの体を千々に引き裂いてしまうのではないかと心配になるほどだった。
長い苦闘の末、二人はすり鉢の縁に手を掛けることに成功した。
そのころにはあたしたちの船も血の海を這い出て斜面を登り始めていた。
まめぞうさんとさだきちさんは今度は石畳のとば口に立って荒縄をたぐり始める。
それにつれ社殿の船は少しずつだが順調に斜面を登り、このまま一気にすり鉢の外にでられるような気がした。
ところがある地点から社殿は上を向いて傾いたまま微動だにしなくなった。
ピンと張った荒縄に伝わるまめぞうさんたちの力具合に変化はない。
後ろを見ると相変わらず血の大渦は逆巻いている。
夜空の月も赤いままで環境にも変化はなさそうだった。
まるでそこに新たな結界が出来てあたしたちの入場を拒んでいるようだった。
「由美様はこんなこと仰っていませんでした」
まひるさんにも分からないようだ。
あたしたちは時間が止まったようなこの状況をなすすべもなく受け入れるしかなかった。
しばらくみんなで意見を出し合ったがそれらしい答えは見つからない。
そして最後にユウさんがぽつりと言った。
「条件が足りてないのかも」
みんながはっとなってユウさんを見た。
それがまるで禁じられた呪いの言葉のようだったからだ。
しかし、ユウさんはずっと条件にこだわってきた人だ。
長い間かかって人数を揃え時期を特定してきた。
そんなユウさんにとってその結論に至るのは仕方のないことだと思った。
「何か気になることが?」
あたしはユウさんに聞いたのだったが、答えたのはクロエだった。
「寸劇さんの『砂漠の友だち旅団』にはもう一人いたんだよ。サーリフくんって男子が」
するとユウさんが、
「思い出した。たしか気を失ったクロエを任せたやつだ」
そして、
「りすけか」
とユウさんは吐き出すように言ったのだった。
「あの人、生き残ったから。あ、死ねばよかったって意味じゃないよ」
クロエが慌てて付け加えた。
夕霧の乗った土車を曳いたのは、銀杏の大木のようなまめぞうさん、髭を生やし浪人のようなさだきちさん、それと敏捷なキツネのようなりすけさんの3人だった。
「ケサさんの時もサーリフくんはいなかった。だから」
ケサさんの葬送は、まめぞうさんとさだきちさん、それとクロエの3人でおこなった。
しかしそれはユウさんとあたしがクロエに見させられた幻だったはずだが。
「けちんぼ池には送れなかった。りすけがいなかったから」
ユウさんがクロエの言葉を受けて言った。
まひるさんが何かに気づいたように社殿の奥に滑って行った。
そしてまめぞうさんが出てきた所から下の階にもぐりこんだ。
しばらくすると再び階上に現れて、
「たしかに荒縄と碇が一組残っていました」
と言うまひるさんの腕には荒縄が抱えられていたのだった。
「ここに来て条件を突き付けてくるとはエニシもしつこい」
ユウさんが天を仰いで言った。
あたしもつられて上を見た。
夜空で赤い月があたしたちのことをじっと見下ろしていた。
エニシの月は今まさに、冷酷な正体を現したのだった。