「書かれた辻沢 104」

文字数 1,889文字

 ひだるさまが血汚泥に帰して、ユウさんとクロエはなんとか立ち直ったようだった。

「すまない。もうちょっと辛抱しないとね」

 と自戒の言葉をユウさんが口にした。

今の戦闘で、まひるさんは相変わらず強くてアレクセイが案外役に立ってくれると分かった。

けれど、ユウさんがどうかなったらこの道行はおしまいなのだ。

「ユウ、でも今のは無理だったよ」

 同じ目にあったクロエがユウさんを庇うように言った。

「実は、ボクもそう思った。こう、心の闇の底から何かが這い上がってくるような」

 とユウさんが手ぶりを交えて説明した。しかし、それに頷いているのはクロエだけだった。

「いつものとは違うの?」

 と通常の潮時と比べてどうか聞くと、

「全然違う。フラゲでアイテム引いたら、最初に出たのだけで推しコンプしたって感じ」

 とオタ活用語で説明されてもいいことなのか悪いことなのか、あたしには、

「わからん」

「感情大爆発ってこと」

 なるほど。

 まひるさんがクロエの話を楽しそうに聞いていた。

きっとまひるさんは推しだファンだという関係を超えてクロエが好きなんだなと思った。

「まひる。次はボクも戦うから」

 とユウさんはまひるさんの右肩に手をまわして一撫でした。

ん?

まひるさんの制服って袖にスリットなんてなかったんじゃ?

よく見るとそれはスリットではなくひだるさまの鋭い爪で引き裂かれた跡だった。

それに気が付いたのはクロエも同じだった。

「まひ、怪我したの?」

 クロエがまひるさんの腕を取ってスリットを開くと大きな断切創が見えた。

気づくと手先から血がポタポタと滴り落ちていた。

「すぐ直りますから」

 まひるさんが小声で言った。

見てるうちにその通り傷は閉じて血の滴りは止まったが、あたしはまひるさんが怪我をしたことに驚きを隠せなかった。

そんなこと今まで一度もなかったからだ。

 アレクセイも同じだった。

傷は直りかけていたがタキシードの背中がぱっくりあいていた。

 まひるさんもアレクセイも軽々とひだるさまを仕留めたのかと思ったが、そうではなかったのだ。

 さらに青墓に進み入り、ひだるさまが押し寄せて来たら。

ユウさんとクロエが再発現して手に負えなくなったら。

そう思うとこれから先の道行が不安に思えてならなかった。

 青墓の杜はあたしたちを受け入れてくれたのだろうか。

その後しばらくは、ひだるさまが現れても遠くにちらっと見えるほどになった。

それはよかったのだが、元の世界で見たことがある場所に何度も行き着くのに、その先がなかなか開けて行かなかった。

 あたしが辿っている記憶の糸たちも、同じように青墓の杜を彷徨ったらしく、いたるところで交わりつつ踏みとどまっては思案するを繰り返していた。

「少し休もうか」

 ユウさんが、後ろから声をかけてくれた。

「でも……」

 無駄に歩かせていることが申し訳けなくて先を急ごうとすると、

「ミユキ。肩がガチガチだ」

ユウさんがあたしの肩をもみながら言った。

「そうだよ。そんなに焦らなくても時間はいくらでもあるから」

 とクロエが言ったが、それは本当だった。

ここには時間の感覚というものが存在していない。

というのも、あの泊まりに着いてからずっと青墓の杜は青黒く薄暗いままで変わらずに、かわたれどきがずっと続いている感じだった。

「わかりました」

 少し歩くと開けた場所に出た。

そこは周りにいびつな形の古木が生えていて「スレイヤー・R」でユウさんが発現し、リクルート姿のヴァンパイアを打ちのめした場所に似ていた。

「まめぞうたち、どうしたかな」

 地面に腰を下ろしたユウさんが言った。

あたしと同じことを考えたらしかった。

あの時ユウさんは、まめぞうさんとさだきちさんを屍人にした。

死を覚悟したまめぞうさんにヴァンパイアの下僕になるよりはと乞われたのだった。

 そういえば、元の世界で社殿の船を曳いてくれて以来、二人のことは見かけていない。

こっちの世界に来ているのなら屍人にしたユウさんの近くに現れるはずだった。

西山を下った時、血汚泥の雪崩の中にいたなら、ユウさんが教えてくれただろう。

現れていないだけなのか、それとも来ていないのか。

 屍人が、手を下した人について必ずしもこの世界に移行しないのなら、ミユウはどうなのだろう。

さしあたってミユウを屍人にした張本人はここにいる。アレクセイだ。

ミユウはアレクセイの近くに現れてよいはずだった。

大渦に呑み込まれそうになっているミユウのことを、ユウさんとまひるさんはそれぞれの記憶に刻み付けた。

もし、ミユウがこちらに表れたなら真っ先に二人は教えてくれるだろう。

しかし、まだそれを口にしてはいないのだった。
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