「辻沢日記 33」
文字数 1,797文字
今回の鬼子神社の調査を鞠野フスキに相談するまでは、簡易CADを入れたPADを使おうと思っていた。
「それでもいいんだけどね」
と鞠野フスキが言って、ゼミ室の窓際の書棚から大判の書籍を2冊持ってきて、
「まあ、見てごらん」
といって私の前に置いた。
一冊はブルーの表紙に屋根伏図が描かれた『デザイン・サーベイ図集』、もう一冊は日本建築の横断面図が描かれたグレーの函入りの『建築と庭』(西澤文隆「実測図」集)という本だった。
あたしはそれらの本をこれまで目にしたことはなかった。
ただ、誰でも好みの本に出会ったときには、手に取った瞬間にそれとわかるものだ。
あたしは予感に打ち震えていた。
なんせこれらはあたしが大好きな図面集なのだ。
鞠野フスキが補足説明をしてくれた。
「『建築と庭』は私が大学院生の時にたまたま都内の書店で見つけて気にって、今でもちょくちょく眺めてるもので、もう一つのほうは『建築と庭』に通底するものがあったから購入したんだけど、昭和のデザイン・サーベイの草分け的な業績をまとめたものだ。最近になって刊行された」
促されるままにまず『デザイン・サーベイ図集』を開いてみた。
それは昭和の建築評論家で大学の教員でもあった伊藤ていじという人が実習で行った倉敷と海野町の街並みの実測図集だった。
あたしはその美しさにページをめくるたびにため息をついた。
そもそも建築に進もうと思ったのは建築図面を見るのが好きだったからだが(ゼミの自己紹介でそれを言ったら、鞠野フスキに「変態だね」と言われた)、こんなに美しい図面にお目にかかったのは初めてだった。
次に『建築と庭』を函から出して見てみた。
「それは西澤文隆という大阪の建築家が、日本建築と庭との関係を探るため、自分の手と足で各所の名建築を実測して図面に起こしたものだよ。それは抄本だけど十分に見応えがある」
中には確かに厳島神社や鹿苑寺(金閣寺)、桂離宮などの名だたる日本建築の数々が庭を含めた実測図として掲載されていた。
どの図面も美しくあたしを虜にしたが、それらの横断面図に目を奪われた。
表紙にもなっている龍安寺の断面図など圧巻で、息をのむほど美しかった。
あたしがこの世で目にした中で一番美しい図面集だと確信した。
出来ることなら家に持って帰って懐中電灯を手に布団の中にもぐり込んでずっと眺めていたい。
そんな妄想を働かせていたら咳払いがしたので本から目を上げると、鞠野フスキがこちらをじっと見ていた。
そしてあたしの胸の内を察したように、
「そう、美しいよね」
と言った。
「CADなんてない時代だったからというのもあるけど、全部手書き図面なんだよね」
たしかに図面の樹木をみればそれが手書きだろうのは分かる。
その木さえも美麗に仕上げるため、西澤氏は国宝、長谷川等伯「松林図屏風」の松の木を何度も模写してから描いたとあと書きにあった。
図面の美に対する心構えが斜め上を行っているのだ。
そして、どちらの図面集も建築部分のドローイングに至っては職人技と言うべき精緻さなのだ。
どうやったらこの直線を手書きで均等幅に描けるのか。
それこそ変態の域だと思う。
「鬼子神社の図面を手書きで起こすんですか?」
「まあ、CADより時間は掛かるけど、勉強になると思うよ」
そう言われても、あたしにこんなに美しく仕上げられるとは思えなかった。
高校の製図の授業はずっと手書きドローイングだったけど、美しく仕上げることは要求されなかった上、あたし自身もいずれCADを使うようになるしと思って、その点に力はいれていなかった。
そんなだから上達もしなかったのだ。
考えてみて、美しさはさておき、鬼子神社を残すのに手書きもありかなと思えた。
じっくりと時間を掛けて対象に向きあえそうな気がしたから。
「やってみます」
「コミヤさんならそう言ってくれると思いました」
「変態だから?」
「まあ」
それからが大変だった。
調査まで1月もなかった上に、資料が多岐にわたったから。
デザイン・サーベイとはなに? から入って、建築フィールドワークの領域を見渡して(鞠野フスキのゼミに参加するってこういうことだったのねって、いまさら)、実施の方法を調べた。
それと並行して手書きドローイングの仕方をネットで調べて、自分が起こしたCAD図面を手書きに直したりもしてみた。
そうこうするうちにいつのまにか蝉の声がやかましい季節になっていた。
「それでもいいんだけどね」
と鞠野フスキが言って、ゼミ室の窓際の書棚から大判の書籍を2冊持ってきて、
「まあ、見てごらん」
といって私の前に置いた。
一冊はブルーの表紙に屋根伏図が描かれた『デザイン・サーベイ図集』、もう一冊は日本建築の横断面図が描かれたグレーの函入りの『建築と庭』(西澤文隆「実測図」集)という本だった。
あたしはそれらの本をこれまで目にしたことはなかった。
ただ、誰でも好みの本に出会ったときには、手に取った瞬間にそれとわかるものだ。
あたしは予感に打ち震えていた。
なんせこれらはあたしが大好きな図面集なのだ。
鞠野フスキが補足説明をしてくれた。
「『建築と庭』は私が大学院生の時にたまたま都内の書店で見つけて気にって、今でもちょくちょく眺めてるもので、もう一つのほうは『建築と庭』に通底するものがあったから購入したんだけど、昭和のデザイン・サーベイの草分け的な業績をまとめたものだ。最近になって刊行された」
促されるままにまず『デザイン・サーベイ図集』を開いてみた。
それは昭和の建築評論家で大学の教員でもあった伊藤ていじという人が実習で行った倉敷と海野町の街並みの実測図集だった。
あたしはその美しさにページをめくるたびにため息をついた。
そもそも建築に進もうと思ったのは建築図面を見るのが好きだったからだが(ゼミの自己紹介でそれを言ったら、鞠野フスキに「変態だね」と言われた)、こんなに美しい図面にお目にかかったのは初めてだった。
次に『建築と庭』を函から出して見てみた。
「それは西澤文隆という大阪の建築家が、日本建築と庭との関係を探るため、自分の手と足で各所の名建築を実測して図面に起こしたものだよ。それは抄本だけど十分に見応えがある」
中には確かに厳島神社や鹿苑寺(金閣寺)、桂離宮などの名だたる日本建築の数々が庭を含めた実測図として掲載されていた。
どの図面も美しくあたしを虜にしたが、それらの横断面図に目を奪われた。
表紙にもなっている龍安寺の断面図など圧巻で、息をのむほど美しかった。
あたしがこの世で目にした中で一番美しい図面集だと確信した。
出来ることなら家に持って帰って懐中電灯を手に布団の中にもぐり込んでずっと眺めていたい。
そんな妄想を働かせていたら咳払いがしたので本から目を上げると、鞠野フスキがこちらをじっと見ていた。
そしてあたしの胸の内を察したように、
「そう、美しいよね」
と言った。
「CADなんてない時代だったからというのもあるけど、全部手書き図面なんだよね」
たしかに図面の樹木をみればそれが手書きだろうのは分かる。
その木さえも美麗に仕上げるため、西澤氏は国宝、長谷川等伯「松林図屏風」の松の木を何度も模写してから描いたとあと書きにあった。
図面の美に対する心構えが斜め上を行っているのだ。
そして、どちらの図面集も建築部分のドローイングに至っては職人技と言うべき精緻さなのだ。
どうやったらこの直線を手書きで均等幅に描けるのか。
それこそ変態の域だと思う。
「鬼子神社の図面を手書きで起こすんですか?」
「まあ、CADより時間は掛かるけど、勉強になると思うよ」
そう言われても、あたしにこんなに美しく仕上げられるとは思えなかった。
高校の製図の授業はずっと手書きドローイングだったけど、美しく仕上げることは要求されなかった上、あたし自身もいずれCADを使うようになるしと思って、その点に力はいれていなかった。
そんなだから上達もしなかったのだ。
考えてみて、美しさはさておき、鬼子神社を残すのに手書きもありかなと思えた。
じっくりと時間を掛けて対象に向きあえそうな気がしたから。
「やってみます」
「コミヤさんならそう言ってくれると思いました」
「変態だから?」
「まあ」
それからが大変だった。
調査まで1月もなかった上に、資料が多岐にわたったから。
デザイン・サーベイとはなに? から入って、建築フィールドワークの領域を見渡して(鞠野フスキのゼミに参加するってこういうことだったのねって、いまさら)、実施の方法を調べた。
それと並行して手書きドローイングの仕方をネットで調べて、自分が起こしたCAD図面を手書きに直したりもしてみた。
そうこうするうちにいつのまにか蝉の声がやかましい季節になっていた。