「書かれた辻沢 90」
文字数 2,030文字
あたしもみんなに倣って斜面の所定の位置に収まった。
右手にユウさん左にアレクサンドラ。対面左にまひるさんと右にクロエが立っている。
刻一刻と周囲が変化している。
まず上空のコウモリの羽音が聴こえなくなった。
ついで境内の虫の音が止んだ。
静寂があたりを支配しながらも、張り詰めた空気に音にならない音が潜んでいた。
最初にそれが表れたのは境内の平坦な地面だった。
まるで薄いウエハースの皮のように細かなヒビが入り始めたのだ。
そして境内全体がゆっくりと揺蕩う波のように揺れ出した。
「みんな、エニシを指せ!」
ユウさんが叫ぶ。
クロエが左手であたしを右手でアレクサンドラを、まひるさんが左手でユウさんを右手であたしを指さした。
本当ならそこにミユウがいるはずのアレクサンドラが左手でクロエを右手でユウさんを指す。
そして、あたしが右手でクロエを左手でまひるさんを指す。
最後にユウさんが左手でアレクサンドラを、右手でまひるさんを指した。
その時だった。
突然ふらついたかと思うとあたしの意識はあたしの体を抜け出し、あたしの背中を見ていた。
そのまま意識が遠のき横滑りしたかと思うと何かにぶつかり我に返る。
その目で正面を見ると、右手にアレクサンドラが左手にクロエが見えた。対面には左にユウさん、そして右にあたしが見えている。
その時あたしは、まひるさんだった。
あたしはコトハを救いたかった。あの事故で妹より妹のコトハのことを守れなかった。自分のせいで屍人にしてしまったコトハをけちんぼ池に連れて行きたかった。
急激に意識が横にずれた。
今度のあたしはユウさんだった。
ボクはミユウを救いたい。辛い思いをさせたミユウをこの地獄から救い出して、ミユウと二人でもう一度人生を歩みなおしたい。
再び意識が移動した。
あたしはアレクサンドラでなくアレクセイだった。
僕は一族を地獄に連れてゆくのだ。ロシア貴族の復活なんて茶番、後継者の僕が終わりにする義務がある。
すっと遠のいた意識。
今度のあたしはクロエだった。
あたしはここにいるみんなのことが大切だ。一人ぼっちのあたしのたった一つのよりどころだ。みんなが行くところならどこへでもついて行きたい。
意識があたしのもとに戻ってきた。
そして再び4人の意識を周回した。
それがルーレットのように何度も何度も繰り返されて、やがてひとところに収まった。
長い旅路の果てにたどり着いたのは、幸いあたしの体の中だった。
でもその時にはあたしの中にはみんなも一緒に存在していたのだった。
気づくと目の前の地面がおかしかった。
それまで揺蕩うていた地面に赤黒い液体がにじみ出してきていたのだ。
それはユウさんが青墓や地下道で滅殺してきた屍人や蛭人間たちの血汚泥の色だった。
鬼子神社で串刺したヒダルのケサさんがが流した涙の混じった血膿だった。
ユウさんやクロエが最初に発現したときに犠牲になった人たちが流した血潮の色だった。
そして夕霧が、ミユウが、ユウさんが食いちぎった薬指から滴り落ちる鮮血の色だった。
鬼子の宿世がもたらしたすべての血が大地にあふれ出して地面を染め出した。
あたしはそう思って慄いた。
「社殿へ!」
ユウさんが叫んだ。
あたしはクロエに駆け寄った。
クロエはすでに、顔も土気色になってうつろに光る金色の瞳はどこも見てはいなかった。
あたしがクロエの手を取ると、銀牙をむき出しにして威嚇してきたが、
「一緒に!」
というと赤い制服の袖から出た灰色の手をあたしに差し出した。
かろうじて閾は超えていないよう。
あたしはまだ人寄りのクロエの手を引いて、社殿に走る。
そんな足元が心もとない。
地面に染み出る血汚泥がひざ下まで上がってきていて、歩きにくくなっている。
「ミユキ、木刀を抜け!」
ユウさんの声が飛んできた。
あたしは訳も分からず袈裟懸けの竹刀袋を持ちなおし、目くらめっぽうに黒木刀を抜いた。
すると黒木刀が何かをはじく手ごたえがあった。
見上げると目の前に仁王立ちになったひだるさまが、今はじかれた枝切りばさみの腕を赤い月に向かって差し上げているのが目に入った。
どこから現れたのかわからなかった。それは突然そこにいた。
次から次に繰り出される枝切りばさみ。あたしはその力に防戦一方になっていた。
脳天に振り下ろされる枝切りばさみが目に入った時、あたしは終わりを悟った。
まだ始まったばかりなのにと思ったがもうあたしには防ぎようがなかった。
「ミユウごめん。あとはユウさんにまかせるね」
なんてことは続きがなければ思えないのだ。
でも思えた。あたしにはまだその後があったのだ。
ひだるさまの剛腕を止めたのはクロエの右手だった。
クロエはひだるさまの腕をねじり上げ、背中を足蹴にすると、
「フジミユ!」
とあたしの手を引いて社殿に駆け上がったのだった。
クロエのおかげで助かった。
「ありがとう」
「あーあ、まひの制服が」
クロエはちぎれた袖を残念そうに見ながら言ったのだった。
右手にユウさん左にアレクサンドラ。対面左にまひるさんと右にクロエが立っている。
刻一刻と周囲が変化している。
まず上空のコウモリの羽音が聴こえなくなった。
ついで境内の虫の音が止んだ。
静寂があたりを支配しながらも、張り詰めた空気に音にならない音が潜んでいた。
最初にそれが表れたのは境内の平坦な地面だった。
まるで薄いウエハースの皮のように細かなヒビが入り始めたのだ。
そして境内全体がゆっくりと揺蕩う波のように揺れ出した。
「みんな、エニシを指せ!」
ユウさんが叫ぶ。
クロエが左手であたしを右手でアレクサンドラを、まひるさんが左手でユウさんを右手であたしを指さした。
本当ならそこにミユウがいるはずのアレクサンドラが左手でクロエを右手でユウさんを指す。
そして、あたしが右手でクロエを左手でまひるさんを指す。
最後にユウさんが左手でアレクサンドラを、右手でまひるさんを指した。
その時だった。
突然ふらついたかと思うとあたしの意識はあたしの体を抜け出し、あたしの背中を見ていた。
そのまま意識が遠のき横滑りしたかと思うと何かにぶつかり我に返る。
その目で正面を見ると、右手にアレクサンドラが左手にクロエが見えた。対面には左にユウさん、そして右にあたしが見えている。
その時あたしは、まひるさんだった。
あたしはコトハを救いたかった。あの事故で妹より妹のコトハのことを守れなかった。自分のせいで屍人にしてしまったコトハをけちんぼ池に連れて行きたかった。
急激に意識が横にずれた。
今度のあたしはユウさんだった。
ボクはミユウを救いたい。辛い思いをさせたミユウをこの地獄から救い出して、ミユウと二人でもう一度人生を歩みなおしたい。
再び意識が移動した。
あたしはアレクサンドラでなくアレクセイだった。
僕は一族を地獄に連れてゆくのだ。ロシア貴族の復活なんて茶番、後継者の僕が終わりにする義務がある。
すっと遠のいた意識。
今度のあたしはクロエだった。
あたしはここにいるみんなのことが大切だ。一人ぼっちのあたしのたった一つのよりどころだ。みんなが行くところならどこへでもついて行きたい。
意識があたしのもとに戻ってきた。
そして再び4人の意識を周回した。
それがルーレットのように何度も何度も繰り返されて、やがてひとところに収まった。
長い旅路の果てにたどり着いたのは、幸いあたしの体の中だった。
でもその時にはあたしの中にはみんなも一緒に存在していたのだった。
気づくと目の前の地面がおかしかった。
それまで揺蕩うていた地面に赤黒い液体がにじみ出してきていたのだ。
それはユウさんが青墓や地下道で滅殺してきた屍人や蛭人間たちの血汚泥の色だった。
鬼子神社で串刺したヒダルのケサさんがが流した涙の混じった血膿だった。
ユウさんやクロエが最初に発現したときに犠牲になった人たちが流した血潮の色だった。
そして夕霧が、ミユウが、ユウさんが食いちぎった薬指から滴り落ちる鮮血の色だった。
鬼子の宿世がもたらしたすべての血が大地にあふれ出して地面を染め出した。
あたしはそう思って慄いた。
「社殿へ!」
ユウさんが叫んだ。
あたしはクロエに駆け寄った。
クロエはすでに、顔も土気色になってうつろに光る金色の瞳はどこも見てはいなかった。
あたしがクロエの手を取ると、銀牙をむき出しにして威嚇してきたが、
「一緒に!」
というと赤い制服の袖から出た灰色の手をあたしに差し出した。
かろうじて閾は超えていないよう。
あたしはまだ人寄りのクロエの手を引いて、社殿に走る。
そんな足元が心もとない。
地面に染み出る血汚泥がひざ下まで上がってきていて、歩きにくくなっている。
「ミユキ、木刀を抜け!」
ユウさんの声が飛んできた。
あたしは訳も分からず袈裟懸けの竹刀袋を持ちなおし、目くらめっぽうに黒木刀を抜いた。
すると黒木刀が何かをはじく手ごたえがあった。
見上げると目の前に仁王立ちになったひだるさまが、今はじかれた枝切りばさみの腕を赤い月に向かって差し上げているのが目に入った。
どこから現れたのかわからなかった。それは突然そこにいた。
次から次に繰り出される枝切りばさみ。あたしはその力に防戦一方になっていた。
脳天に振り下ろされる枝切りばさみが目に入った時、あたしは終わりを悟った。
まだ始まったばかりなのにと思ったがもうあたしには防ぎようがなかった。
「ミユウごめん。あとはユウさんにまかせるね」
なんてことは続きがなければ思えないのだ。
でも思えた。あたしにはまだその後があったのだ。
ひだるさまの剛腕を止めたのはクロエの右手だった。
クロエはひだるさまの腕をねじり上げ、背中を足蹴にすると、
「フジミユ!」
とあたしの手を引いて社殿に駆け上がったのだった。
クロエのおかげで助かった。
「ありがとう」
「あーあ、まひの制服が」
クロエはちぎれた袖を残念そうに見ながら言ったのだった。