「書かれた辻沢 80」
文字数 1,773文字
藤野の家の庭はオレンジ色のマリーゴールドが満開だった。
お養母さんはこの時期になると花壇の花を全部マリーゴールドに植え替える。
藤野家の夏の終わりを告げる行事だった。
その花たちに迎えられて玄関前に立つ。
「ミユキちゃん。おかえりなさい」
リビングの窓を開けてお養母さんが笑っていた。
「その格好は調査の帰りかしら」
迷彩服のまま来てしまって、どこかで着替えようってしているうちに家に着いてしまったのだ。
「ただいま、お養母さん」
玄関に迎えに出たお養母さんがあたしの汗まみれの姿を見て、
「すぐにお風呂を沸かすわね」
と奥に入って行った。その後ろ姿であたしの帰りを喜んでくれているのがわかる。
まず、ダイニング奥の畳の部屋へ向かう。お養父さんにお線香をあげるためだ。
「お養父さん、ただいま」
顔つきは怖いけれど本当にやさしい人だった。
あたしを大切に育ててくれたし、したいことに反対しなかった。女の子だからという言葉も一度も聞いたことがない。
おかげでのびのびとプチ家出のようなフィールドワークを続けることができた。
ダイニングに戻ると、お養母さんがキッチンに入って料理の支度を始めていた。
「荷物置いてくるね」
と声をかけると、お養母さんが、
「お二階そのままにしてあるけど、お掃除機かけに入ったの。ごめんね」
と言った。
別に片付けてくれても構わなかったのだけど、お養母さんはあたしの持ち物に触るのを極力避ける。
触るなと言ったつもりはないけれど、そこにはお養母さんなりの線引きがあるようだった。
階段を上がって廊下の突き当たりがあたしの部屋だ。
ドアを開けて入ると窓の光がまぶしかった。
ここが藤野の家で一番日当たりのいい部屋だ。養父母はそこを養子のあたしに用意してくれた。
何年ぶりかでもどった自分の部屋。
少し狭く感じるのはお約束だろう。あたしも少しは成長したってことだ。
フィールドワーク関連の本が並んだ本棚。
中学入学の時に買ってもらった木製の学習机が懐かしかった。
窓辺に立つと庭のマリーゴールドが目に痛いほど明るく見えた。
ピポン。
「まもなくお風呂が沸きます」
下からアナウンスの声が聞こえてきた。
押し入れの衣装ケースを開けて着替えを探す。
いつも家で着ていたTシャツとハーフパンツ、下着を用意して、お風呂場に向かった。
脱いだものをそのまま洗濯機に放り込む。明日の朝までに乾くよね。
コテージにはシャワーしかなかったから久しぶりの湯船だった。
目をつぶってブクブクブクってして顔を上げたら、洗い場にお養母さんと小さな女の子の姿が見えた。
女の子はピンクの腰掛けに座っていて、シャワーを手にしたお養母さんを見上げている。
「マリ、自分で頭洗えるよ」
「マリは偉いね」
お養母さんは女の子のことを愛おしそうに見つめていた。
あたしは藤野の家の一番明るかった時代の記憶の糸に触れてしまったようだった。
藤野の家の記憶の糸には層がある。
一番新しい層があたしがここに来てからのもの、次がお養父さんとお養母さんだけの層。
そして一番古いのがマリちゃんがいたころの層だった。
マリちゃんというのは、お養母さんとお養父さんの本当の子供で、小学生になった年に病気で亡くなってしまった。
それまでの藤野の家は庭のマリーゴールドのように明るくとても賑やかだった。
けれど、マリちゃんが亡くなった後はお養母さんがずっと塞ぎ込んで時間が止まったような家になってしまう。
それがあるとき、お養母さんが女の子を育てたいと言って養女を迎えることにしたのがあたしだったのだ。
救いなのは、少しだけマリちゃんがいた時のような明るさを取り戻して見えるからだ。
お養父さんもお養母さんも、あたしにマリちゃんのことは一切話したことはなかったし、あたしが目につくところにマリちゃんの思い出につながるものは置いておかなかった。
あたしの部屋も元はマリちゃんの部屋だったものを片付けて与えてくれた。
これはすべてはあたしが藤野の家で生活する中で記憶の糸から読み取ったことだった。
今日突然帰ってきて申し訳なかったのは、仏壇のお養父さんのお位牌の隣に小さなお位牌が置いてあったのを見てしまったこと。
きっとお養母さんはマリちゃんとゆっくりお話をしたかったのに違いないのだ。
やっぱりあたしは帰って来なければよかったのだろうか。
お養母さんはこの時期になると花壇の花を全部マリーゴールドに植え替える。
藤野家の夏の終わりを告げる行事だった。
その花たちに迎えられて玄関前に立つ。
「ミユキちゃん。おかえりなさい」
リビングの窓を開けてお養母さんが笑っていた。
「その格好は調査の帰りかしら」
迷彩服のまま来てしまって、どこかで着替えようってしているうちに家に着いてしまったのだ。
「ただいま、お養母さん」
玄関に迎えに出たお養母さんがあたしの汗まみれの姿を見て、
「すぐにお風呂を沸かすわね」
と奥に入って行った。その後ろ姿であたしの帰りを喜んでくれているのがわかる。
まず、ダイニング奥の畳の部屋へ向かう。お養父さんにお線香をあげるためだ。
「お養父さん、ただいま」
顔つきは怖いけれど本当にやさしい人だった。
あたしを大切に育ててくれたし、したいことに反対しなかった。女の子だからという言葉も一度も聞いたことがない。
おかげでのびのびとプチ家出のようなフィールドワークを続けることができた。
ダイニングに戻ると、お養母さんがキッチンに入って料理の支度を始めていた。
「荷物置いてくるね」
と声をかけると、お養母さんが、
「お二階そのままにしてあるけど、お掃除機かけに入ったの。ごめんね」
と言った。
別に片付けてくれても構わなかったのだけど、お養母さんはあたしの持ち物に触るのを極力避ける。
触るなと言ったつもりはないけれど、そこにはお養母さんなりの線引きがあるようだった。
階段を上がって廊下の突き当たりがあたしの部屋だ。
ドアを開けて入ると窓の光がまぶしかった。
ここが藤野の家で一番日当たりのいい部屋だ。養父母はそこを養子のあたしに用意してくれた。
何年ぶりかでもどった自分の部屋。
少し狭く感じるのはお約束だろう。あたしも少しは成長したってことだ。
フィールドワーク関連の本が並んだ本棚。
中学入学の時に買ってもらった木製の学習机が懐かしかった。
窓辺に立つと庭のマリーゴールドが目に痛いほど明るく見えた。
ピポン。
「まもなくお風呂が沸きます」
下からアナウンスの声が聞こえてきた。
押し入れの衣装ケースを開けて着替えを探す。
いつも家で着ていたTシャツとハーフパンツ、下着を用意して、お風呂場に向かった。
脱いだものをそのまま洗濯機に放り込む。明日の朝までに乾くよね。
コテージにはシャワーしかなかったから久しぶりの湯船だった。
目をつぶってブクブクブクってして顔を上げたら、洗い場にお養母さんと小さな女の子の姿が見えた。
女の子はピンクの腰掛けに座っていて、シャワーを手にしたお養母さんを見上げている。
「マリ、自分で頭洗えるよ」
「マリは偉いね」
お養母さんは女の子のことを愛おしそうに見つめていた。
あたしは藤野の家の一番明るかった時代の記憶の糸に触れてしまったようだった。
藤野の家の記憶の糸には層がある。
一番新しい層があたしがここに来てからのもの、次がお養父さんとお養母さんだけの層。
そして一番古いのがマリちゃんがいたころの層だった。
マリちゃんというのは、お養母さんとお養父さんの本当の子供で、小学生になった年に病気で亡くなってしまった。
それまでの藤野の家は庭のマリーゴールドのように明るくとても賑やかだった。
けれど、マリちゃんが亡くなった後はお養母さんがずっと塞ぎ込んで時間が止まったような家になってしまう。
それがあるとき、お養母さんが女の子を育てたいと言って養女を迎えることにしたのがあたしだったのだ。
救いなのは、少しだけマリちゃんがいた時のような明るさを取り戻して見えるからだ。
お養父さんもお養母さんも、あたしにマリちゃんのことは一切話したことはなかったし、あたしが目につくところにマリちゃんの思い出につながるものは置いておかなかった。
あたしの部屋も元はマリちゃんの部屋だったものを片付けて与えてくれた。
これはすべてはあたしが藤野の家で生活する中で記憶の糸から読み取ったことだった。
今日突然帰ってきて申し訳なかったのは、仏壇のお養父さんのお位牌の隣に小さなお位牌が置いてあったのを見てしまったこと。
きっとお養母さんはマリちゃんとゆっくりお話をしたかったのに違いないのだ。
やっぱりあたしは帰って来なければよかったのだろうか。