「書かれた辻沢 82」

文字数 1,601文字

 調邸に戻るとクロエが待っていた。

「あれから皆さんとは?」

「まひのホテルでごちそうになった。ルームサービスってレベルじゃなかった」

 そのメニューの豪華さについて熱く語るクロエの顔を見ていて、クロエはあたしのようにさようならをする人はいないのだろうかと考えていた。

 一通り喋り終わるのを待って、

「ユウさんが言ってたけど、クロエはやりたいことはないの?」

 と聞いてみた。

「やりたいこと? あるよ。まひと一緒にいること」

 それがすべてだと言った。

 クロエはおばあちゃんが亡くなって身寄りがない。

そのおばあちゃんも施設に預けられたクロエを引き取って育てたので、もともと血はつながってはいなかった。

そんな天涯孤独なクロエが大学を辞めずに続けられたのは僕のバックアップがあったからだと自慢げに鞠野先生が言っていた。

それは冗談としても、実際クロエのこれまでの人生に鞠野先生が深く関わってきたのは本当のようだった。

 これは、あの潮時の次の日にクロエがコテージにやってきた時に鞠野先生が言ったことだ。

 辻沢のどこかで生まれたクロエは、あたしたちと同じように一旦施設に預けられた。

当時四つ辻の世話役をしていたケサさんが(ヒダルになってしまったケサさんだ)そこで鬼子のクロエを見つけて引き取り手を探しはじめた。

ちょうどそのころ鞠野先生は辻沢にフィールドワークをしに来ていて、ケサさんにインタビューをしているときだった。その合間にクロエのことを相談されたという。

「辻沢でない、別のところで育てたい」

 とケサさんに言われた鞠野先生は、

「なら、僕が引き取りましょう。東京に連れて行ってあげます」

 と言ったのだったが、ケサさんは、

「ありがたいが後見だけでいい、四つ辻の仲間に親になってもらう」

 と言って紹介されたのがクロエのおばあちゃん、野太かなゑさんだった。

 それからいよいよ赤ちゃんのクロエを東京に連れ帰る段になって、ケサさんから、

「車一台やるから、最後まで面倒みてくれ」

 と譲られたのがバモスくんだったのだそう。当時から年季が入っていたらしいから現役で走っているのは奇跡だそうだ。

そして、

「車はありがたく頂戴したけれど未だにその真意はわからないんだよね」

 と鞠野先生は言ったのだった。

 それについては、鞠野先生が安請け合いするものだから、

「こいつこの子を売るんじゃないか」

 とケサさんが怪しんだからというのは紫子さんから聞いたことがあった。

「鞠野先生に会わなくていい?」

「うーん、別にいいかな」

 クロエにしてみれば、そうなのだろう。
 


 次の日は辻沢までお買い物をしに出た。

エナジードリンクとかレトルト食品とか携帯用のサバイバルグッズとかを買った。

向こうの世界で使えるのか、はたしてそういうものを持って行けるのかは分からかったけれど。

 スーパーヤオマンからの帰り道にクロエが言った。

「あの電柱の袂に女の人が立ってる」

 あたしにはそんな人見えなかったけれど、そこに献花があるのに気がついてぞっとした。

「ちょっと、話しかけてくる」

 と言うから、

「やめなさい」

 と止めると、

「なんで?」

 と真顔で聞いてくる。

「だって、この世の人じゃないみたいだから」

 と、まっとうなことを言ったつもりが、

「この世の人じゃなかったら悲しそうにしてても放っておいていいの?」

 と叱られた。

「可哀想じゃない」

 とも。

まったくその通りだった。あたしたちはあの世のミユウに会いに行く人たちなのだ。

それならば見ず知らずの地縛霊に話しかけても不自然なことではない。

って思えないよ。正直なところ。

 その夜からクロエの様子に変化が見えだした。

落ち着きがない。なんだかそわそわしている。

夜中なのにこれからまひるさんに会いに行くとか言い出すし。

 あたしもクロエにつられてなのか、台風の前みたいにわくわくしてきた。

 あたしたちの未来に次の潮時が確実に迫って来ているのだった。
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