「書かれた辻沢 100」

文字数 1,657文字

 あたしたちが乗った社殿の船が峠の道に降り立った。

そしてゆっくりと下界に見える黒い森の青墓に向かっていった。

 ワインディングロードからの景色は、まひるさんの車から眺めた時とはまったくの別世界だった。

 視界に入る山襞は無数の赤襦袢と半纏のひだるさまできていた。

それらが互いに折り重なり踏みしだき、さらに弑し合いながら青墓を目指して雪崩てゆく。

ひだるさまの体から吹き出る血汚泥が斜面に溢れ大きな流れとなる。

それが上空からみた溶岩の正体だった。

 あたしたちの道行はこの血の濁流に押し流される形で進んでゆくのだ。

このまま青墓に無事に着けたとして、その後はどうなるのだろう。

 夕霧たちが青墓に入った途端ひだるさまが一斉に襲ってきた。

それはあの強いまめぞうたちを倒すほどの攻勢だった。

最後は必死を覚悟した伊左衛門が発現して窮地をしのぎきる。

しかしあたしたちはその間の攻防のことは、語り手の伊左衛門が自失だったためまったく分かっていない。

「これを全てあたしたちが?」

 周囲を見回す、この世界はひだるさまで出来ていた。

無限に発生するひだるさまが視界を埋め尽くしていた。

柱にもたれかかってふてくされ顔のアレクセイ。

ひだるさまを指してゼミの誰それに似てると言い募っているクロエ。

腕組みをして社殿の行く末を見据えているユウさん。

ずっとひだるさまの群れを見ているまひるさん。最強の二人だ。

この人たちならきっとしのぎきれるだろう。あたしは置いておいくとしても。

「ユウ様、コトハはいませんか?」

 まひるさんが言った。

「探してるけど、見あたらない」

「そうですか? こちらに来ていないのでしょうか?」

 と心配そうだ。ユウさんはまひるさんの肩に手を置いて、

「もう青墓に行ってるかもしれないから」

 と言って慰める。

 まひるさんのコトハさんへの気持ちは鬼子神社で五芒星を描いた時に知った。

まひるさんはコトハさんをけちんぼ池に連れて行きたがっていた。

「コトハはあたしのそばにいるはずなんですが」

 その言葉には特別な意味がある。

まひるさんはその手で妹を殺したのだ。

飛行機事故で生き延びるためやむなくそうしたようだが、それはまひるさんの心に深い傷となって残っていた。

ヴァンパイアのまひるさんが手にかけたためコトハさんは屍人になった。

屍人は殺害した者に付き従う。いわば負のエニシを結んでいるのだ。

 ミユウが大渦に出現したのもアレクセイがいたからだし、まめぞうさんたちがユウさんと鬼子神社に居続けたのもそれが理由だ。

「まひ、大丈夫だよ。コトコトにはあたしから言っといたから」

 それを聞いたユウさんが、

「またボクにけしかけたのか?」

 と笑顔で応じた。

 鬼子のクロエの役割は世に彷徨う存在をユウさんにけしかけること。

そして襲って来る者をユウさんが屠って負のエニシを断ち切るのだった。

 屋形の中に入ってしばらく休むことにした。

額絵が床に散らばったままだったので、集めて部屋の隅に重ねておいたが、帰れるかどうかもわからないのにはたして意味があるのか。

 この絵がなくなったら紫子さんはどうやって幼い鬼子に絵解きをするんだろう。

紙芝居とか作るのかな。出来たら手伝ってあげたいな。

「みんな武器を持て」

 ユウさんの緊張した声が聞こえた。

 あたしは急いで黒木刀を探したが見当たらない。

鳥居に激突する前に離してどかかにいってしまっていた。

 屋形の中を探し回って、主のいない祭壇の下に1本、それから階下の床に一本、黒木刀が転がっているのを見つけた。

クロエとあたしのものだった。それを拾ってクロエの元に戻って一方を手渡す。

そして、すでに黒木刀を身構えているユウさんに、

「どうしたんです?」

 と聞くと、

「ひだるさまに気づかれた」

 船外を見ると、雪崩を打って下山していたひだるさまの勢いが緩慢になっていた。

そして無数の金色の眼が社殿の上のユウさんに注がれていた。

 青墓までまだ距離があるのに無限にいるひだるさまを相手にする。

ということは、あたしはもはや必死を覚悟しなければならないのだった。

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