「辻沢日記 43」

文字数 1,596文字

 社殿に入るとユウが床の真ん中で大の字になって寝ていた。

昨夜、あの森で相当の戦闘を繰り広げたろうことは、体中にこびりついた汚泥が示していた。

起こそうか迷ったが、匂いがすごく作業にも支障が出そうだったので、可哀そうだが起こして水浴びしてもうことにした。

「ユウ、一瞬起きて」

「起きてるよ」

「なんだ。じゃあ、ちょっと水でも浴びてきてよ」

「なんで」

「くさい」

「ひどいな。心配して帰ってきたらメール一つでいなくなってたくせに」

「何時に帰ってきたの?」

「7時」

「昨日の?」

「今朝の」

 時計を見たら、7時20分だった。

「それって、さっきじゃない」

「そうだよ」

「帰ってくる気なかったんじゃん」

「いや、あったけど色々都合がつかなくなってね」

「都合って、一人で遊んでただけでしょう」

「一人じゃないよ」

「まひるさんもいたの?」

 ちょっとうらやましくなった。

「いや、あいつはいなかった」

 なんだ。

「じゃあ、誰?」

「誰って言われても。役者がそろったって言ったらいいか」

「役者って?」

「いままで気づかなかったんだけど、必須の」

 ユウがいう役者とは、けちんぼ池出現に必要な条件のことだった。

これまでは、夕霧太夫と伊左衛門、それとひだる様の大群が必須だと思っていたけれど、昨日青墓で出会った人も必要だと気が付いたということだった。

「けちんぼ池が出現するとき、その3者の他にもいたんだ」

 夕霧物語を思い起こす。

いつだってあたしはARのように目の前に浮かばせることができる。

 伊左衛門が夕霧太夫の危機に自らの玉の緒を賭けて立ち上がってひだる様の大群にあたってゆく。

その後けちんぼ池は出現したのだ。

今、あたしは夕霧太夫がいる土車の傍らでその様子を眺めている。

周囲はひだる様の大群がひしひしと取り囲んでいる。

足元に目を落とせば、そこに倒れているのは血まみれの人たち。そうか!

「まめぞうたちだよ。彼らもあの場にいたんだ」

 お天道様の油注ぎのまめぞう、髭武者のさだきち、俊敏なりすけ。

最後まで夕霧太夫に付き従った行く当てのない可哀そうな大食国人たち。

「でも大食国人なんて、東京にでも行かなくちゃ会えないでしょう」

「それがいたんだよ。バスで見なかった? 天井に頭がついて窮屈そうにしてた大男」

 ユウがバスからふらふらと出て行った先にその大男がいたのを覚えている。

「でもあの人どう見ても東洋人だった」

「そうだけど、大男にはあと2人仲間がいたんだ。3人で砂漠の友達旅団ってPTを組んでた」

 ユウの目がキラキラしてる。

夢中になってるときのユウの表情があたしは大好き。

「彼らのハンドル名も聞いたら驚くよ」

「まさか、アラブっぽいとか?」

「モハメッド3世、サダム、サーリフっていうんだ。ビンゴ! だろ?」

「まめぞう、さだきち、りすけ」

「そう、きっと発音が聞き取れなかったんだよ、夕霧太夫たちには」

「で、話してきたの?」

「何を?」

「けちんぼ池のこと」

「話さないよ。見てただけだもん」

「見てただけって」

「戦いぶりをさ。けちんぼ池に行くのなら少しは役に立ってもらわないと」

「どうだった? 強かった?」

「人並み以上にはね。まあ、使えないことない」

 不服そうにしているけど、ユウよりも強い人間がこの世にいないってことを自覚してないから仕方ない。

「じゃあ、体洗ってくるよ。なにか食べ物持ってるだろ? 用意しといて」

 というなり、ユウは社殿を出て行った。

食べ物って、これは一応お昼用なんだけど。

 もしもけちんぼ池に行き方が分かったとしても、その人たちを連れてゆくことができるかと言えば、NOだろう。

なぜなら、彼らはそこでひだる様の狂牙に掛かって全員死ぬのだから。

いくら死にゲー好きの向こう見ずでも、死地に二つ返事でついてくる人などいないだろう。

夕霧太夫のいた時代とは違うのだ。

 外で水を打つ音がしている。

ユウはそういうことを一切考えてなさそうに思えてならなかった。
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