「書かれた辻沢 13」
文字数 1,844文字
鞠野先生は、今日は駅前のヤオマンホテルに宿を取ってあるというので、夜になるまでここにいていいことにした。
「先生。Yシャツなんて着て珍しいですね」
と言うと、
「今日はN市にある大学のワークショップに参加する予定だったんだよ」
と言った。朝慣れない背広を着てホテルから出ようとしたら、あたしからの連絡で予定を変更して来たということだった。
「それで、コミヤくんの記憶の糸はどうだったんだい?」
鞠野先生には内容をまだ知らないのだった。
身近な生徒がいなくなったということを鞠野先生に伝えなければならない。
ミユウの最後を語るのは何度目だろうとその辛さは変わらなかった。
あたしが語り終えると鞠野先生は、
「そうだったのか。残念だ」
と言ってうつむき嗚咽した。
その姿を見て、あたしは改めて鞠野先生と鬼子との関わりを想う。
紫子さんは、
「鬼子はこの世に住むところはない。だからみんな忘れてしまう」
とあたしに言った。
それは関わった人の記憶から存在しなくなるという鬼子の宿世のことだ。
鬼子であれば誰もが当てはまり、鬼子の他は覚えている人はいなくなることを意味する。
それはミユウのことであっても同じなのだ。
ところが鞠野先生だけは違うのだった。
鞠野先生は鬼子がいなくなっても覚えていてくれるのだ。
だからクロエに鬼子使いのおばあちゃんがいたこともちゃんと覚えていて、あたしに鬼子使いの引継ぎをすることが出来たのだった。
鞠野先生が涙を拭いてあたしに向かって、
「すぐにテキスト化しなさい」
と言った。
テキスト化とは文字起こしのことで、普通ならインタビューメモや、録音内容を文章化することを言う。
しかしあたしの場合は、記憶の糸を読んだ内容についてそれをするのだった。
最初のころは、その意味がよく分からなかった。
記憶の糸を読んで、それでおしまいにしていいと思っていた。
文章化すれば読んだ時の感動が色あせてしまうと思っていたからだ。
ところが先生と出会ってそれを強く勧められた。
「フジノくんが読んだことを文章化しなければ、それはこれまでと同じ記憶の糸のままなんだよ。それを書くことによってはじめて社会の中で意味をなしてゆくんだ」
と言われた。
あたしは最初反発した。
なぜなら純粋な形で存在する記憶の糸をあたしなんかが文章化したら、変にゆがめてしまうと思ったからだ。
それを鞠野先生に言ってみたら、
「そうかもしれない。けれどそれでいいんだ」
「いいんですか?」
「いいよ」
肝心なのは記憶の糸の内容ではない。
それを読み取ってあたしがどう受け止めをどのように生きる糧にしたか。
それはその記憶の糸にどのように寄り添えたかということでもある。
書くことでそれは表現できる。人に伝えることが出来る。
それこそが重要なのだと鞠野先生に言われたのだった。
それ以来、記憶の糸を読んだら必ずテキスト化の作業をするようになった。
今回は、ミユウの最後の記憶の糸だ。
あたしは、それにちゃんと寄り添うことができるのか。不安しかない。
作業が終わったのは五時を少しすぎたころだった。
遅くなってしまったので紫子さんに報告するのは明日にしたいと鞠野先生に言うと、すぐに電話してくれた。
やはり紫子さんは、ミユウから連絡がないことを気にかけていて、もっと早くに報告に行くべきだったと申し訳ない気持ちになった。
鞠野先生は訪問の理由を詳しくは言わなかったが、紫子さんのことだからきっと何事かあったと気づいていることだろう。
明日の昼に伺うが、気が重いのは変わらない。
あたしがシャワーを浴びたいと言うと、鞠野先生は散歩に出かけて来るといってコテージから出て行った。
ぐちゃぐちゃになった着替え一式の中から、比較的無事そうなものを選んでシャワー室に向かう。
汗になったものを脱いで洗濯籠代わりの段ボール箱に放り込む。
たしかシャワーを浴びたのは今朝のことだったはずなのに、まるで何日も汗を流さないままでいたような気がした。
とにかく色々ありすぎた。
テキスト化の作業はしたけれどまだ頭の中が整理しきれていなかった。
シャワーを流しっぱなしにしてしばらくそのままでいた。
何分そうしていたかわからない。
ようやく頭と体を洗い終わって鏡の前に立つと、そこにミユウの顔があった。
もちろん霊とかじゃない。
あたしの顔だけど、その時はミユウがあたしに何か言いたそうにしているように見えた。
「何?」
「ユウをお願い」
そう言われたような気がした。
それがミユウの記憶の糸に寄り添う方法だと気づいた。
「先生。Yシャツなんて着て珍しいですね」
と言うと、
「今日はN市にある大学のワークショップに参加する予定だったんだよ」
と言った。朝慣れない背広を着てホテルから出ようとしたら、あたしからの連絡で予定を変更して来たということだった。
「それで、コミヤくんの記憶の糸はどうだったんだい?」
鞠野先生には内容をまだ知らないのだった。
身近な生徒がいなくなったということを鞠野先生に伝えなければならない。
ミユウの最後を語るのは何度目だろうとその辛さは変わらなかった。
あたしが語り終えると鞠野先生は、
「そうだったのか。残念だ」
と言ってうつむき嗚咽した。
その姿を見て、あたしは改めて鞠野先生と鬼子との関わりを想う。
紫子さんは、
「鬼子はこの世に住むところはない。だからみんな忘れてしまう」
とあたしに言った。
それは関わった人の記憶から存在しなくなるという鬼子の宿世のことだ。
鬼子であれば誰もが当てはまり、鬼子の他は覚えている人はいなくなることを意味する。
それはミユウのことであっても同じなのだ。
ところが鞠野先生だけは違うのだった。
鞠野先生は鬼子がいなくなっても覚えていてくれるのだ。
だからクロエに鬼子使いのおばあちゃんがいたこともちゃんと覚えていて、あたしに鬼子使いの引継ぎをすることが出来たのだった。
鞠野先生が涙を拭いてあたしに向かって、
「すぐにテキスト化しなさい」
と言った。
テキスト化とは文字起こしのことで、普通ならインタビューメモや、録音内容を文章化することを言う。
しかしあたしの場合は、記憶の糸を読んだ内容についてそれをするのだった。
最初のころは、その意味がよく分からなかった。
記憶の糸を読んで、それでおしまいにしていいと思っていた。
文章化すれば読んだ時の感動が色あせてしまうと思っていたからだ。
ところが先生と出会ってそれを強く勧められた。
「フジノくんが読んだことを文章化しなければ、それはこれまでと同じ記憶の糸のままなんだよ。それを書くことによってはじめて社会の中で意味をなしてゆくんだ」
と言われた。
あたしは最初反発した。
なぜなら純粋な形で存在する記憶の糸をあたしなんかが文章化したら、変にゆがめてしまうと思ったからだ。
それを鞠野先生に言ってみたら、
「そうかもしれない。けれどそれでいいんだ」
「いいんですか?」
「いいよ」
肝心なのは記憶の糸の内容ではない。
それを読み取ってあたしがどう受け止めをどのように生きる糧にしたか。
それはその記憶の糸にどのように寄り添えたかということでもある。
書くことでそれは表現できる。人に伝えることが出来る。
それこそが重要なのだと鞠野先生に言われたのだった。
それ以来、記憶の糸を読んだら必ずテキスト化の作業をするようになった。
今回は、ミユウの最後の記憶の糸だ。
あたしは、それにちゃんと寄り添うことができるのか。不安しかない。
作業が終わったのは五時を少しすぎたころだった。
遅くなってしまったので紫子さんに報告するのは明日にしたいと鞠野先生に言うと、すぐに電話してくれた。
やはり紫子さんは、ミユウから連絡がないことを気にかけていて、もっと早くに報告に行くべきだったと申し訳ない気持ちになった。
鞠野先生は訪問の理由を詳しくは言わなかったが、紫子さんのことだからきっと何事かあったと気づいていることだろう。
明日の昼に伺うが、気が重いのは変わらない。
あたしがシャワーを浴びたいと言うと、鞠野先生は散歩に出かけて来るといってコテージから出て行った。
ぐちゃぐちゃになった着替え一式の中から、比較的無事そうなものを選んでシャワー室に向かう。
汗になったものを脱いで洗濯籠代わりの段ボール箱に放り込む。
たしかシャワーを浴びたのは今朝のことだったはずなのに、まるで何日も汗を流さないままでいたような気がした。
とにかく色々ありすぎた。
テキスト化の作業はしたけれどまだ頭の中が整理しきれていなかった。
シャワーを流しっぱなしにしてしばらくそのままでいた。
何分そうしていたかわからない。
ようやく頭と体を洗い終わって鏡の前に立つと、そこにミユウの顔があった。
もちろん霊とかじゃない。
あたしの顔だけど、その時はミユウがあたしに何か言いたそうにしているように見えた。
「何?」
「ユウをお願い」
そう言われたような気がした。
それがミユウの記憶の糸に寄り添う方法だと気づいた。