「書かれた辻沢 88」
文字数 1,954文字
ユウさん、まひるさん、クロエとあたし。4人は無言のまま燭台の灯火を見つめていた。
みんながミユウのことけちんぼ池のことを考えているのだ。
「宿世だとかエニシだとか頭ごなしに押し付けられるのが嫌でね。最初はけちんぼ池を埋めるつもりだったんだ」
ユウさんが話し出した。
「そうでしたね。エニシなんてあるのはけちんぼ池のせいだっておっしゃってました」
まひるさんがユウさんのことを見つめて言った。
「でも、ミユウのことでさ、いったん受け入れようって思ったんだ」
あたしもミユウがあんなことにならなかったらけちんぼ池のことなど真面目に考えることもしなかったろう。
「それって結局エニシに引きずられたってことだから、結構悩んだよ」
いつも前だけ見てるユウさんのことをすごいな、あんな風になれたら素敵だなって思ってきた。
でも、あたりまえだけどやっぱりユウさんだって悩んでここまで来たのだ。
今ここでそれを言ってくれたユウさんはすごくかっこいいと思った。
「今はどうなんですか?」
あたしが聞くと、
「むしろ、よかったなって。ミユウのことだけでなくここにいるみんなのことや、夕霧や伊左衛門、サノクミや直子、調由香里たち先達のことも深く理解するきっかけにもなったしね」
ユウさんの言葉から、じゃあ自分はどうかと考えた。
あたしたち鬼子はみんなエニシの糸でつながっているけれど、それはどれもけちんぼ池をくぐり抜けた糸だ。
血盆池、つまり血の池地獄の赤い色に染まっている。
今のあたしは、そのおどろおどろし気な色に目をつぶるのでなく、むしろ真正面から見据えてこの身を晒し、新たな意味をくみ上げてくる。
そんな気持ちでけちんぼ池に向かおうとしている。
血汚泥の溜まった不浄の池ではない、澄みきった浄化の泉のけちんぼ池を発見しに、いざレッドオーシャンへ。
「ミユキ様、とっても勇ましいですね」
まひるさんがにこやかに言った。
「ちょっといきっちゃいました」
「いいえ、あたしもミユキ様に加担しますよ。血に囚われるヴァンパイアとして」
そう言ったまひるさんの目は真剣そのものだった。
「何に? まひが加担するならあたしも」
とクロエが反応した後あたしの手を思いっきり握った。痛いっての。それは発作に耐えてなのか? 絶対ちがうだろ。
再び笑顔に戻ったまひるさんが、
「ミユキ様が、けちんぼ池をレッドオーシャンと言い換えるそうです」
と言うと、ユウさんが、
「お、それいいな。レッドオーシャン。母なる血の海」
と賛同してくれた。
名前って大事だ。
紫子さんが血盆(けちぼん)池をけちんぼ池と言い換えて変化が起きたと言っていた。
昔の女人不成仏だとか、白、赤、黒不浄とかの因習を超えて、ぶっ潰してやるって発想が生まれたのもそのおかげだったと。
ただレッドオーシャンはいい意味ばかりではない。
ブルーオーシャンならぬレッドオーシャンならば、争いの絶えない血にまみれた海のことをいうのだ。
それはこれから向かう場所がまさにそうであるかのような予感に重なって、勢いで言ったことに少し責任を感じてしまったのだった。
社殿の外から虫の音が聴こえていた。
あまりに静かで、あのコウモリみたいなヴァンパイアたちが上空を飛び交っていたのが嘘のようだ。
時間とともに、クロエの息が少しずつ荒くなってきている。
あたしにもたれかかりながらうつむいて目を瞑っている。
まるで高熱にうなされる人のようで思わずクロエの額に手を当てた。
すると、その額はひどく熱く、いつもよりもかさついて固く感じたのだった。
あと20分で0時。発現の時が近づいていた。
まひるさんを見るとユウさんのことを気遣うように体を寄せている。
あたしはまひるさんに心の中で聞いてみた。
「ユウさんの様子はどうでしょうか?」
するとまひるさんは、あたしに向かって一つ頷くと、
「ユウ様はきっと耐え抜かれます」
と言った。するとユウさんが完全に金色に変わった瞳をこちらに向けて、
「ボクは大丈夫だよ。そろそろここを出るから用意して」
とみんなに指示を出したのだった。
「あたしだって大丈夫って言いたいけど、無理っぽい」
とクロエが心もとない声を出すので、
「大丈夫だよ。あたしがずっとそばにいるから」
と言うと、
「でも、あの配置に付くときは離れるから」
そうだった。あたしたちは、ここを出て斜面の定位置にそれぞれが立たねばならないのだった。
その時のお互いの距離は数メートルだけど、今のクロエにとって大学と辻沢ほどの距離に感じるに違いない。
「どうしよう」
思わず口に出した言葉にユウさんが、
「エニシを信じなよ」
と言ったのだった。
「見えてるだろ、エニシの赤い糸が」
と言われてクロエが握った右手の薬指を見ると、地獄染めの糸がいつもよりはっきりと現れていたのだった。
みんながミユウのことけちんぼ池のことを考えているのだ。
「宿世だとかエニシだとか頭ごなしに押し付けられるのが嫌でね。最初はけちんぼ池を埋めるつもりだったんだ」
ユウさんが話し出した。
「そうでしたね。エニシなんてあるのはけちんぼ池のせいだっておっしゃってました」
まひるさんがユウさんのことを見つめて言った。
「でも、ミユウのことでさ、いったん受け入れようって思ったんだ」
あたしもミユウがあんなことにならなかったらけちんぼ池のことなど真面目に考えることもしなかったろう。
「それって結局エニシに引きずられたってことだから、結構悩んだよ」
いつも前だけ見てるユウさんのことをすごいな、あんな風になれたら素敵だなって思ってきた。
でも、あたりまえだけどやっぱりユウさんだって悩んでここまで来たのだ。
今ここでそれを言ってくれたユウさんはすごくかっこいいと思った。
「今はどうなんですか?」
あたしが聞くと、
「むしろ、よかったなって。ミユウのことだけでなくここにいるみんなのことや、夕霧や伊左衛門、サノクミや直子、調由香里たち先達のことも深く理解するきっかけにもなったしね」
ユウさんの言葉から、じゃあ自分はどうかと考えた。
あたしたち鬼子はみんなエニシの糸でつながっているけれど、それはどれもけちんぼ池をくぐり抜けた糸だ。
血盆池、つまり血の池地獄の赤い色に染まっている。
今のあたしは、そのおどろおどろし気な色に目をつぶるのでなく、むしろ真正面から見据えてこの身を晒し、新たな意味をくみ上げてくる。
そんな気持ちでけちんぼ池に向かおうとしている。
血汚泥の溜まった不浄の池ではない、澄みきった浄化の泉のけちんぼ池を発見しに、いざレッドオーシャンへ。
「ミユキ様、とっても勇ましいですね」
まひるさんがにこやかに言った。
「ちょっといきっちゃいました」
「いいえ、あたしもミユキ様に加担しますよ。血に囚われるヴァンパイアとして」
そう言ったまひるさんの目は真剣そのものだった。
「何に? まひが加担するならあたしも」
とクロエが反応した後あたしの手を思いっきり握った。痛いっての。それは発作に耐えてなのか? 絶対ちがうだろ。
再び笑顔に戻ったまひるさんが、
「ミユキ様が、けちんぼ池をレッドオーシャンと言い換えるそうです」
と言うと、ユウさんが、
「お、それいいな。レッドオーシャン。母なる血の海」
と賛同してくれた。
名前って大事だ。
紫子さんが血盆(けちぼん)池をけちんぼ池と言い換えて変化が起きたと言っていた。
昔の女人不成仏だとか、白、赤、黒不浄とかの因習を超えて、ぶっ潰してやるって発想が生まれたのもそのおかげだったと。
ただレッドオーシャンはいい意味ばかりではない。
ブルーオーシャンならぬレッドオーシャンならば、争いの絶えない血にまみれた海のことをいうのだ。
それはこれから向かう場所がまさにそうであるかのような予感に重なって、勢いで言ったことに少し責任を感じてしまったのだった。
社殿の外から虫の音が聴こえていた。
あまりに静かで、あのコウモリみたいなヴァンパイアたちが上空を飛び交っていたのが嘘のようだ。
時間とともに、クロエの息が少しずつ荒くなってきている。
あたしにもたれかかりながらうつむいて目を瞑っている。
まるで高熱にうなされる人のようで思わずクロエの額に手を当てた。
すると、その額はひどく熱く、いつもよりもかさついて固く感じたのだった。
あと20分で0時。発現の時が近づいていた。
まひるさんを見るとユウさんのことを気遣うように体を寄せている。
あたしはまひるさんに心の中で聞いてみた。
「ユウさんの様子はどうでしょうか?」
するとまひるさんは、あたしに向かって一つ頷くと、
「ユウ様はきっと耐え抜かれます」
と言った。するとユウさんが完全に金色に変わった瞳をこちらに向けて、
「ボクは大丈夫だよ。そろそろここを出るから用意して」
とみんなに指示を出したのだった。
「あたしだって大丈夫って言いたいけど、無理っぽい」
とクロエが心もとない声を出すので、
「大丈夫だよ。あたしがずっとそばにいるから」
と言うと、
「でも、あの配置に付くときは離れるから」
そうだった。あたしたちは、ここを出て斜面の定位置にそれぞれが立たねばならないのだった。
その時のお互いの距離は数メートルだけど、今のクロエにとって大学と辻沢ほどの距離に感じるに違いない。
「どうしよう」
思わず口に出した言葉にユウさんが、
「エニシを信じなよ」
と言ったのだった。
「見えてるだろ、エニシの赤い糸が」
と言われてクロエが握った右手の薬指を見ると、地獄染めの糸がいつもよりはっきりと現れていたのだった。