「夕霧物語」余滴 ひいらぎの里

文字数 1,224文字

 夏の暑い頃の水仕事は安らぎを与えてくれる。

あたしも禿仲間のひいらぎも水場にしゃがんで賄いの泥野菜を洗っていた。

「伊左衛門さん、肌脱ぎしてしまいましょうよ」

 とひいらぎは言って、両の袖を脱ぐと年のわりには小さな乳房を露わにした。

それがとても気持ちよさそうで、あたしも真似をして肌脱ぎをした。

するとひいらぎは、持っていた手ぬぐいを水につけて固くしぼって

「ほら、こうして体を拭うともっと気持ちがいい」

 と言って、あたしの首筋に冷たい手ぬぐいを押し当ててきた。

それはほんとうに気持ちがよく、あたしも自分の手拭いを水に付けてしぼると、ひいらぎの肌脱ぎした前を拭ってやった。

するとひいらぎは、

「くすぐったい」

 と、思ったより柔らかい乳房を両手でかばったのだった。

もともと火照っていた頬を、どうしてか赤らめてもいる。

 あたしはそれが面白くて、さらに脇の下やらお腹やらを散々責め立てた。

けれどもひいらぎは、水面をはねる光のようにケタケタと笑うばかりで手を出してこず、ついにあたしの片方責めのまま降参してしまった。

「もう、よしにしてくださいませ。おしっこが出そうです」

 というとそそくさと上着を直しだしたのだった。

 あたしも一人で胸をはだけているのも調子が悪いので上着を直す。

そしてやりすぎたことを謝ると、

「楽しかった」

 と、ひいらぎは笑みを返してくれた。

 日々、太夫のお世話に賄い仕事に雑用にと、横になる暇もないあたしたち禿にとって、こんなささやかなことが楽しかったりするのだ。

 しばらく黙って茄子を洗っていたひいらぎが、

「古里に帰りたい」

 ぽつりと言った。

こんな心の奥底にあるような気持ちは、いつもなら人はなかなか口にしない。

きっとさっきのおふざけがひいらぎの気持ちをほぐしたのだろう。

「ひいらぎさんは青墓でしたね」

 ここの遊里は青墓から流れてきた遊女が多いと聞く。

「本当は皆さんの青墓とは違うアオハカなんです」

 と意外なことを言って来た。

あたしは所にあかるいわけではないけれど、青墓に別があるなんて聞いたことがなかった。

「どちらの青墓なんですか?」

 と聞くと、ひいらぎは、

「内緒ですよ。伊左衛門さんだから言うんですから」

 と言って話したのは、山里深くにある遊里の外れの集落のことだった。

深い森の中の美しい池の畔にある貧しい村だという。

「実は今時期(いまじき)お祭りなんです」

 ひいらぎの青墓では夏の初めのお祭りに加え、秋の初めにもお祭りがあるのだという。

「影祭りって言うんです。光の祭りは遊里で盛大にやりますけどね」

 夏の初めが光の祭りで秋の初めが影の祭り。

影の祭りはひっそりと始まりひっそりと執り行われる。

圧巻は、七福神が乗った宝船を山から迎えするところだそうだ。

「あたしもいつか、そのお祭りを見てみたいです」

と言うと、

「最近はやったりやらなかったりのようですが」

と寂しそうにして、

「影の祭りをしないと、お米が実らないのはみんな分かってるんですけど」

と言ったのだった。
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