「辻沢日記 60」

文字数 1,867文字

ユウが、

「どこかに通じているかも」

と言って、早くも根っこに掴まり縦穴に降りようとする。

そしてあたしを見上げて、

「さあ」

 と促すのだった。

 赤襦袢と袢纏の群れが迫る。

後に引くことはできない。

それしか選択肢がないのは分かっても、その先への不安は拭い去ることが出来なかった。

すぐに行き止まりだったら? 

ひだるさまが中で待ち構えていたら? 

流砂が押し寄せたら? 

そのときは終わりだ。

もう死亡フラグどころでない危機的状況にユウとあたしは来てしまっていた。

ままよ。

そして、あたしはユウに手を支えられながら根の梯子を下りだしたのだった。

 根っこは濡れていて掴まりにくかった。

何度も足を滑らせて落ちかけたが、その度にユウに引き上げて貰った。

ようやく地下道の壁の縁に取り付いて、縦穴の入り口を振り仰いだ。

ひだるさまは穴の縁にぐるりといて、降りて来る様子はなかった。

このままひだるさまが追ってこないのなら。

この地下道でどこかに抜けられたなら。

その時は助かる。

たらればだらけだが希望が少し沸いた。

 地下道の中は3分の1くらい砂で埋まっている上に、それがじくじくと水を含んでいてすごく歩きにくかった。

奥から魚の死骸のような匂いが漂って来てもいた。

ただ白い砂のせいなのか、漆黒の闇ではなかった。

 入り口が見えなくなったあたりで、ユウがその場にしゃがみこんだ。

「ミユウ、ちょっと休もう」

あたしも相当疲れていた。

二人で濡れた砂の上に腰を下ろす。

うえー、気持ち悪い。

「ユウ、肩と胸見せて」
 
 ユウの傷が気になっていた。

どちらも出血量が多めで白かったパーカーはほぼ赤色に染まってしまっていた。

 ユウにパーカーを裾から肌脱ぎしてもらって傷を見た。

肩は最初の右腕ぐらい深かった。

胸はデコルテにバッテンの形に浅い傷が出来ていた。

出血の量からやばいかと思ったが、少し安心した。

 リュックから換えのTシャツを出して細く切り、肩の傷を巻いた。

胸の傷は余った生地を当てておいた。

右腕のタオルも巻直した。

 ユウは最初のような荒い息をすることはなくなっていた。

おそらく夜明けが近いのだろう。

あと少しで潮時が終わる。

このままいけばユウの体で潮時を乗り切ることができるかもしれない。

ただ、体力の消耗具合が心配だ。

いつにもまして激しく疲れているように見えた。

右の手先がずっと小刻みに震えている。

 処置がすんで、パーカーを元に戻すのを手伝っていると、

「ミユウは建築家になりたいんだろ?」

 ユウが唐突に聞いて来た。

ユウがあたしに興味をもってくれるなんて、驚いたけど嬉しかった。

「そのつもりだけど……」

 まだ勉強中だし、建築士の資格取るのって大変だし。

「どうして?」

「どうしてかなー」

 遠い記憶をたどってみる。

 鬼子神社で二人の手が離れて屋敷に帰ると、それまで同じ部屋に押し込められていたのに、それぞれの子供部屋に振り分けられた。

自分の部屋なんて持ったことがなかったから最初のうちは嬉しかった。

でもオトナとやりとりするときにユウが隣にいないのがとても不安で、あたしはすぐに、ユウの部屋で一日中過ごすようになった。

ユウの部屋に行くと、あたしは必ずベッドに寄りかかって漫画や絵本を眺めて過ごした。

「あの本覚えてる?」

 ユウとあたしが一番好きだった絵本。

「バーバーパパ」

二人でそればっかり読んでた。

「あー、風船お化けの本か」

 風船お化けの大家族のお話だ。

それはシリーズだったけど、ユウとあたしが好きだったのは、バーバーパパたちが住んでた家を追い出され、家を探して回るお話だった。

結局バーバーパパたちは住みやすそうな丘を見つけ、そこに自分たちで家を建てるのだった。

 ユウはあたしが他の絵本や漫画を読んいても見向きもしなかったけれど、どうしてか『バーバーパパのいえさがし』を読みだすと、隣に来て一緒に読んでいた。

「重機の本な」

 出て来たけども。

 あたしはバーバーパパが自分の体を使って家を作る場面が大好きだった。

バーバーパパの体に素材を塗って固めて小部屋を作り、それを繋げて家にするのだ。

またその家の断面図がかわいかった。

丸い形の小部屋がいくつもあって、本好きの子の部屋、音楽好きの子の部屋、アート好きの子の部屋、動物好きの子の部屋、天体観測好きの子の部屋、思い思いに飾られてあった。

あたしもそこに住んでいるのを想像するのが楽しかった。

「あんな家を作ってみたいの」

最初のはユウとあたしの家だ。

それを聞いてユウが、

「変態は双葉より芳しだな」

と言った。

「どこが?」

「断面図のページばっか眺めてた」

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