「辻沢日記 22」

文字数 1,612文字

 あたしは『辻沢のアルゴノーツ』を手に取ると表紙をめくって読み始めた。

万寿屋の高価な原稿用紙には楔で刻んだような文字が並んでいて、まるで筆者が上梓されないことを予め知っていて、その怒りを文章にぶつけているかのようだった。

その鬼気迫る文面には、宮木野という遊女に端を発する血塗られた歴史が綿々と綴られ、流血や惨劇を時代毎に繰り返す陰惨な様子が活写されてあった。

「そこに書いてあるのが正しければ、君が出会ったヴァンパイアとは違うだろ?」

たしかに『辻沢のアルゴノーツ』には以下のようにある。 

「辻沢のヴァンパイアは死滅時、青い炎を発し燃え尽きる。同時に微かな山椒の香りがする(後略)」

あのリクス女たちと畑中Vは紫色の炎を上げて消えた。

後から山椒でなく松脂の匂いがしていたような気がする。

でも……。

「何か不満でも?」

鞠野フスキがあたしの顔を覗き込んで聞いた。

 辻沢のディープなことが書かれた文章だから、あたしは過度の期待をしてしまっていた。

これまでオトナに、いや辻沢にぶつけて得られなかった問に対する回答を、この『辻沢のアルゴノーツ』の中にいつの間にか探してしまっていた。

しかしどのページをめくっても求める答えはなかった。

何が足りてないのか。

それがわからず肩透かしを食らった感じで、あたしは『辻沢のアルゴノーツ』を閉じて鞠野フスキの手に戻したのだった。

それを鞠野フスキに見透かされたのだ。

鞠野フスキはページをぺらぺらとめくりながら、

「この報告書には欠陥がある」

と言った。

「四宮はマリノフスキーの『西太平洋のアルゴノーツ』に倣ってこんな表題を付けたのだろうけど、書かれてあるのはヴァンパイアのことばかりだ。これでは辻沢の半分も書ききれてない」

鞠野フスキはぐっと身を乗り出し、あたしの目を見据えて、

「君たちのことがいっさい描かれていない」

と言った。

あたしたちのこと。

ユウとあたしのこと。

鬼子と鬼子使いのこと。

「そう、君たちこそ『辻沢のアルゴノーツ』だよ」

再び椅子に座りなおすと言った。

「君やノタさんにそれを調査して欲しくてね」

それでクロエに辻沢を勧めたのか。

でも、クロエが鬼子の本性を知る可能性についてはどう考えてるんだろう。

その先にあるのはユウのような苛烈な日常かもしれないのに。

夜野まひるとの共闘。空を飛ぶ輩らとの抗争。

この2日の間にあたしの周りに起こったことは、あたしにとっては外部世界との接触だったけど、それはユウにはまったくの日常だった。

鞠野フスキはそれをクロエに望んでいるのだろうか?

 あのリクス女たちが辻沢のヴァンパイアでないのは理解できた。

でも何者なのかは全く分からなかった。

そしてどうしてユウやあたしが付け狙われねばならないのか?

それが知りたかった。

「鞠野先生は辻沢のヴァンパイアに知り合いはいないんですか?」

鞠野フスキには思いもよらない質問だったらしく面食らった様子をしている。

「僕は、どちらかと言えばアンチだから」

アンチって……。呆れた。

こういうときの鞠野フスキは頼りない。

鞠野フスキがだめならオトナか。

でもオトナがあたしの質問にすんなりと答えてくれるとは思えない。どうする? 

その時、天から光が射した。

大天使、夜野まひるの姿が思い浮かんだのだ。

そうだ、夜野まひるに聞こう。

きっと彼女の笑顔に答えが隠されているに違いない。

「鞠野先生。あたし辻沢に行ってきます」

さらに面食らった様子の鞠野フスキが、

「今からかい? じゃあ、これを持って行きなさい」

と言って、机の上に置いてあった水平リーベ棒を渡してくれた。

それなら部屋に帰れば数本ストックがある。

それに鞠野フスキも畑中Vの仲間に狙われないとは言えないから、

「先生のがなくなってしまいます」

と言うと、鞠野フスキは机の下から木刀を取り出し上段に構えると、

「お天道様の下では奴らの勝手はさせねーぜ」

と見栄を切った。

誰かの物まねみたいだけど、あたしは分からないから、スルー。
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