「辻沢日記 26」
文字数 1,363文字
前期試験が終わり、いよいよ夏休み。辻沢入りだ。
辻沢に着くとすぐ、ある山椒農家から収穫の手伝いに来てほしいと依頼があって、初日から辻沢サンショウと格闘することになった。
辻沢サンショウとは昔から辻沢で栽培されている実サンショウで、多くは佃煮に利用される品種だ。
流通している他の実サンショウ種は、収穫しやすいように無棘改良されているものが多いけれど、辻沢サンショウは棘の残る原生種に近い品種だ。
それゆえ素朴で芯の太い味と野生味のある香りがして人気だそうだ。
ただ、棘のせいで収穫は大変で、厚いゴム手をしなくては怪我をする。
サンショウの実がいくつも付いた房を摘まんで収穫するのだけど、枝の奥の方にある房をもぎるときは、うまく枝をよけないと手だけでなく腕や顔まで傷だらけになる。
そんなだから素人のあたしは一日作業すると文字通り満身創痍になった。
陽が落ちて初日の作業が終わり、手伝いのみんなで母屋の縁側でくつろいでいたら、農園主の蘇芳さんがおにぎり山盛りの大皿を持って現れた。
この人、辻女出身でなんとあたしと同い年(ユウのことも「ああ、あの変わった子ね」程度には知っていた)。
この若さでひとりでこの農園を切り盛りしてるって、やばくない?
蘇芳さんはおにぎりを自分で一つ取り、
「皆さんもどうぞ」
と言って食べはじめた。
遠慮なくおにぎりを手にして見ると中に緑色の粒が混ぜてある。
口にすると塩味の他にピリッとした辛さがあってとてもおいしかった。
「おいしいです。山椒ですか?」
と聞くと、
「実山椒の塩漬けだよ」
と蘇芳さんが屈託のない笑顔を向ける。
そして、あたしが半袖の腕に絆創膏を貼っているのを見て、
「棘、やっかいでしょ」
と申し訳なさそうに言ったあと、あたしの耳元で、
「例のあれを寄せ付けないためなんだけど」
わざと無棘改良せずに残してあるらしい。
辻沢にサンショウがもたらされたのは江戸の初期、ヴァンパイア除けのためだったという昔話がある。
たしかに、こんなに刺々しかったらヴァンパイアも嫌がると思う。
でも、それで血だらけになっていては逆におびき寄せてしまいそうなんだけど。
だからいい加減な話。
「お、あねさんは新しい摘み子かい?」
背後で声がした。
振り向くと蘇芳さんのお兄さんほどの人が立っていた。
「この人、作左衛門さん。ウチの親戚の人」
年のわりに古風な名前なのは農家だからかな。偏見かもだけど。
「よろしくね。どれ見せてごらん」
と言うと、作左衛門さんがあたしの傍らにしゃがんでまじまじとあたしの顔を見だした。
目を合わせてきてかなり長い時間そうしていた。
あたしも近寄ってきた作左衛門さんの顔を見返したけれど、農家の人にしては日に焼けてなさすぎで驚いた。
「作左衛門さん、近いよ」
蘇芳さんに言われて、
「すまんことで。つい……」
と立ち上がると、
「それにしてもあんた、ひだるいね」
と言った。
ひだるいとは辻沢の古い言葉で、疲れたとかしんどいとかいう意味がある。
「はい。でも最初だけです。慣れるように頑張ります」
それ対して作左衛門さんは、
「そうかい。まあ用心しなさい」
と言って、部屋の奥に入っていった。
「ごめんね。作左衛門さん、人相観るの好きなんだ」
あたしの人相を観てたんだ。
ひだるいっていうのは今日の作業のことでなかったんだ。
じゃあ何をひだるいって言ったの?
辻沢に着くとすぐ、ある山椒農家から収穫の手伝いに来てほしいと依頼があって、初日から辻沢サンショウと格闘することになった。
辻沢サンショウとは昔から辻沢で栽培されている実サンショウで、多くは佃煮に利用される品種だ。
流通している他の実サンショウ種は、収穫しやすいように無棘改良されているものが多いけれど、辻沢サンショウは棘の残る原生種に近い品種だ。
それゆえ素朴で芯の太い味と野生味のある香りがして人気だそうだ。
ただ、棘のせいで収穫は大変で、厚いゴム手をしなくては怪我をする。
サンショウの実がいくつも付いた房を摘まんで収穫するのだけど、枝の奥の方にある房をもぎるときは、うまく枝をよけないと手だけでなく腕や顔まで傷だらけになる。
そんなだから素人のあたしは一日作業すると文字通り満身創痍になった。
陽が落ちて初日の作業が終わり、手伝いのみんなで母屋の縁側でくつろいでいたら、農園主の蘇芳さんがおにぎり山盛りの大皿を持って現れた。
この人、辻女出身でなんとあたしと同い年(ユウのことも「ああ、あの変わった子ね」程度には知っていた)。
この若さでひとりでこの農園を切り盛りしてるって、やばくない?
蘇芳さんはおにぎりを自分で一つ取り、
「皆さんもどうぞ」
と言って食べはじめた。
遠慮なくおにぎりを手にして見ると中に緑色の粒が混ぜてある。
口にすると塩味の他にピリッとした辛さがあってとてもおいしかった。
「おいしいです。山椒ですか?」
と聞くと、
「実山椒の塩漬けだよ」
と蘇芳さんが屈託のない笑顔を向ける。
そして、あたしが半袖の腕に絆創膏を貼っているのを見て、
「棘、やっかいでしょ」
と申し訳なさそうに言ったあと、あたしの耳元で、
「例のあれを寄せ付けないためなんだけど」
わざと無棘改良せずに残してあるらしい。
辻沢にサンショウがもたらされたのは江戸の初期、ヴァンパイア除けのためだったという昔話がある。
たしかに、こんなに刺々しかったらヴァンパイアも嫌がると思う。
でも、それで血だらけになっていては逆におびき寄せてしまいそうなんだけど。
だからいい加減な話。
「お、あねさんは新しい摘み子かい?」
背後で声がした。
振り向くと蘇芳さんのお兄さんほどの人が立っていた。
「この人、作左衛門さん。ウチの親戚の人」
年のわりに古風な名前なのは農家だからかな。偏見かもだけど。
「よろしくね。どれ見せてごらん」
と言うと、作左衛門さんがあたしの傍らにしゃがんでまじまじとあたしの顔を見だした。
目を合わせてきてかなり長い時間そうしていた。
あたしも近寄ってきた作左衛門さんの顔を見返したけれど、農家の人にしては日に焼けてなさすぎで驚いた。
「作左衛門さん、近いよ」
蘇芳さんに言われて、
「すまんことで。つい……」
と立ち上がると、
「それにしてもあんた、ひだるいね」
と言った。
ひだるいとは辻沢の古い言葉で、疲れたとかしんどいとかいう意味がある。
「はい。でも最初だけです。慣れるように頑張ります」
それ対して作左衛門さんは、
「そうかい。まあ用心しなさい」
と言って、部屋の奥に入っていった。
「ごめんね。作左衛門さん、人相観るの好きなんだ」
あたしの人相を観てたんだ。
ひだるいっていうのは今日の作業のことでなかったんだ。
じゃあ何をひだるいって言ったの?