「辻沢日記 24」

文字数 1,407文字

 扉の前に立ってノックをしようとしたけど、扉が少し開いていたので手押しして中に入った。

 そして部屋の奥に向かって、

「突然すみません。昨晩はありがとうございました。制服をお返しに上がったわけではないのですが」

と言った。沈黙が返ってきた。

 中は昨晩と同じ部屋には思えなかった。

すべての家具に白いシーツが掛けてあったから。

後ろで扉が閉まる音がした。

振り向くとメイドコスの女性が扉を後ろ手で閉めたところだった。

前髪を垂らしうつむいている姿が話しかけられるのを拒んでいるように見えたので、夜野まひるが出てくるのを黙って待つことにした。

緞帳のような分厚いカーテンの隙間から差し込む西日の中にゆっくりと埃が舞っているのが見える。

洋画のワンシーンのような状況に、自分がこの部屋の主で、今長旅から帰ってきたような気分になった。

ホテルの築年月のせいなのか、ゲードルの部屋には似合わない饐えたような匂いが重い空気の底から微かにしている。

それを覆い隠すように爽やかな山椒の香りが漂っている。

それらの匂いと香り全てが辻沢そのものだった。

あたしがこの街に戻ってくるたびに感じるもの。

懐かしくもあり恨めしくもあるもの。

 あたしは、シーツの掛かったソファーに座って待つことにした。

時間の経過とともに、それまで部屋に明かりを届けていた西日が心細くなってきた。

やがて、一筋の光が部屋の隅を照らしたかと思うとスッと見えなくなった。

部屋が暗闇に包まれた。

何かが肩に触れた。

手を肩にやったらそこに氷のように冷たい手が載っていた。

もう一方の肩にも置かれた時、あたしはその両の手でソファーに押さえつけられていることに気が付いた。

立ち上がろうにも肩の手が重しのように圧し掛かっていて、お尻がソファーに拘束されているようだった。

体をひねって手から逃れようとしたけれど、あまりの力にどうする事も出来ない。

そして、乾いたカハッという音が首のあたりで聞こえ、そちらに目をやると暗闇に金色の眼が一つ浮かんでいて、ギュッとこっちを見つめていた。

「コトハやめなさい」

 その声は突然どこからか響いてきた。

マイクを通してではない、耳に聞こえるでもない声。

部屋の温度が2度下ったようで寒気を感じた。

すると金色の眼が暗闇の中に退いた。

肩の重しがゆっくりとはずれ、あたしのお尻はソファーから解放された。

 奥の部屋のドアが開く音がして、そちらから冷気が入って来た。

人の形がこちらにゆっくりと近づいてくる。

そしてあたしの前まで来ると立ち止まった。そこに夜野まひるの青白い顔がぼおっと浮いていた。

あたしはその姿にユウとは違う畏怖を覚えた。

 ネットでこんな話を読んだことがある。

盛り上がったライヴ会場が暗転して、それまで3列目で踊っていた夜野まひるが闇センターとしてステージの中央に立つときが来た。

まず、夜野まひるの声が会場全体に響き観客を震撼させる。

そしてスモークが焚かれてその中から夜野まひるが現れると、その姿はラスボス感しかない死の大天使に見えたと。

さすがにそれはドルオタ特有の大げさな表現と思っていたが、今あたしはその意味を完全に理解した。

 部屋の明かりが灯った。

夜野まひるは例の黒い制服を着ていた。

やっと思い出した。

これはRIBのデビュー曲「君の血は僕らの糧」(君血)の時の制服だ。

たしか夜野まひるは中学3年生だったはず。

それから10年、体型まったく変わってないって事? すごすぎる。
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