268 勝ち馬と負け犬なら・・・あなたはどちら?

文字数 1,277文字

 快挙だ。

 いや、メダルとか賞を獲ったとかそんな表面の話じゃない。

 ほんとうに(こころよ)い出来事だ、っていう意味だ。

 これは真直(まなお)ちゃんの高校での昨日の出来事だ。

「真直さんが今年度当校一学年土木建築学科においての首席となった」

 学科長が土木建築学科の一年生全員に話をした。

「当学科は建築に携わる人間の育成が使命だ。そして普段から我々教師陣が君たちに伝えていることは職人としての全人格の完成だ」

 学科の一年生は全部で40人。
 二年生・三年生には女子生徒が何人かいるが、一年生には真直ちゃんひとりだけだ。

 学科長はその全人格の完成形としてひとりの職人を挙げた。

「真直さんのおじい様が亡くなられたことは当県の建築業界・・・いや、日本の建築業界にとって誠に痛手だった。迫田(さこた)さんは体力・気力面での全盛期においては当県一の宮である神社の社殿の改修工事を仕切るなど数々の功績を残された。それだけでなく、怪我をなさった後は思い切って事業規模を縮小してコストを抑え『身の丈に応じた経営』を実践された。君たちが将来独立し、親方として経営に携わることがあれば非常に参考になると思う」

 実習室で話を聴いている生徒たちはきっと学科長の目を真っ直ぐに見つめていたんだろうと僕は想像する。

「真直さんはおじい様である迫田さんのもとで技術はもちろん、立居振る舞いから仕事をしておられる時の表情まで見て育ったのだろうと思う。真直さんの人格形成が自然の内にできてたんだな。男子生徒は真直さんのイタズラに苦しめられてるらしいがそれも愛嬌だろう」
「愛嬌や冗談じゃ済まないっすよ!」

 その男子生徒はホンキで言ったらしく、だから余計に全員が大笑いしたらしい。

「私は学科長として・・・いや、自分自身が世を生きる人間として皆さんに言わねばならないことがある。真直さんは様々な巡り合わせで首席となった。そして我々は土木建築というものを『職業』として選んでいくことを想定している。職業である以上、お客様から仕事をいただき、金銭というもので評価を受ける。これは厳然たる事実だ」

 何人かは頷きながら聴いていたんだろう。

「勝ち負けという表現をしたくはないが、結果的に経営が上手くいかない場合もあるだろう。だが、それでも私は敢えて皆さんに言いたい」

 僕もその学科長の言葉を真直ちゃんから聴かされたんだ。

「お客さま自身もまた辛い負けを知って生きている人間だということです。皆さんも仕事の技術で負ける瞬間があろう。真直さんも来年また首席であるとは限らない。けれどもまた勝つ瞬間もある。あるいは技量で負けてもより深くお客様の話を聴きながら仕事を進めるという点で勝つという場合もあるでしょう。職人として人間として、『これでいい』とその場にとどまらずに、勝った人は負けた人の無念を想像し、負けた人は勝った人が他人を蹴落としたその後ろめたさを感じていることを想像し、人格の完成を目指してください。人間は屋根の下でこそ安心して暮らすことができる。そして『住』に携わるわたしたちは世の人が安心して暮らせるような仕事を業界全員で目指しましょう」
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