186 親と子ならどっち?

文字数 1,134文字

 肉親の憎しみということを僕はよく知っている。

 多分、縁美(えんみ)も。

「静かだね」
「うん」

 土曜の朝、僕と縁美は隣県のメガ書店まで来た。
 花と水場のある中庭で待って開店時間と同時に店内に入り真っ直ぐに心理学のコーナーに向かった。

蓮見(はすみ)くん、こんなにあるんだね」

 多くは親の育て方が悪くて自分はこうなったって言う内容の本だ。そういう需要があるんだろう。

 でも僕らが見たいのはそういう本じゃない。

 キミは全然悪くない。

 こういうことを徹底して学術的に証明してくれる本が、僕らは欲しい。

 小さな子のために。

「単にポジティブシンキングじゃダメだと思うんだ。ネガとポジの両方をくぐり抜けて生きてきた人の本じゃないと」

 僕が学術論文よりも小説を好むのは決して現実逃避したいからじゃない。小説を書く人間の方が現実の中でネガティブとポジティブを両方味わってきた可能性が高いからだ。

 これまでならば。

「蓮見くん。ブックレビューとか見たの?」
「僕はレビューするその人本人じゃないから」

 自分の血肉どころかココロの一部ともなりかねないメディアを他人の評価に任せるほど僕は自信家ではない。

 縁美とふたりで書棚を見て歩く。

 インスタグラムに載っている写真のように美しい装丁の本が平台にも棚にも収まっていて、とても学術書とは思えない。

 縁美が気づいてくれた。

「淡い色だね」

 それは淡いんじゃなくって色褪せてるだけなんだけど、その古風な出版社の古風な新書版の本が収納された細身の独立したブックシェルフがフロアの一番奥まった端っこにあった。

 ぼうっ、と焦点を定めないで見ていると。

 見えてくるんだ。

「縁美」
「なに」
「この本がどうしてか気になるんだ」

 対人恐怖症やコミュ症について研究をしてきた精神科医の書いた本だった。
 書籍名はガチガチの学術論文そのもののタイトルなのに、どうしてだか雰囲気に立ち去り難いものがあった。

 まえがきだけでココロが潤った。

「縁美。一緒に読んでくれない?」
「ふふ。学術書をふたりで立ち読み?」
「嫌かい?」
「いいよ」

 まえがきにいきなりこうあるんだ。

『あとがきから読まれたい』

 まえがきはつまりこの本の出版を協力した編集者が書いていたんだけど、彼女がこう言ってるんだ。

『この本は筆者の絶筆です。筆者は癌が進行しこの本を書く時はぶどう膜腫のために目も見えず思考も白濁する中、口述筆記を行ったのです』

 あとがきの中にあった文章に、僕は惹かれた。

『そのような病状になってまでなぜ書くのか。人は僕にそう問うた。僕は最期の最期まで人間の自由を貫きたかった。つまり、「書かずにはいられなかった」んです』

「蓮見くん」
「うん」
「この本に巡り遭うみたいにしてわたしたちの子供と巡り遭いたい」
「そうだね」


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