ONE HUNDRED FIFTEEN 勝ちと負け、どちらを選ぶ?

文字数 1,032文字

 負けるが勝ち。

 この言葉を実際に口にした人間を、僕はばあちゃんしか知らなかった。

 縁美(えんみ)もそうらしかった。

「負けるが勝ちさね」
「いきなりハードルを粉砕しないでよ」

 僕はあっさりと遭い難い言葉を言った絵プロ鵜(えぷろう)にクレームした。
 縁美(えんみ)も咎めるように言う。

「絵プロ鵜ちゃん、なんでいきなりそんなこと言うの?」
「負けたのさ」
「まだわからないよ」
(それがし)が身を引けばいいことさね」
「絵プロ鵜。そんなことでいいのかい?」
「はっ!蓮見(はすみ)どのに言われることではないさね。某のことをなんとも思っておらない癖に」
「絵プロ鵜ちゃん、そんなこと言わないで」
「縁美どのはいいさね。蓮見どのがいるのだから」
「絵プロ鵜」

 僕は意を決した。

「もう一度やればいい」

 絵プロ鵜は頭を抱え込んだ。

「某の渾身の!愛の表現を!あれ以上のものを見せるのは・・・・・・・」

 絵プロ鵜。

「無理さね・・・・・・・」

 どうやらこの古い純喫茶店には苦悩する若者たちを見過ごせないお客さん方が多いらしい。
 僕らの真横のテーブルに座っていたおねえさんが見かねた、という感じで語りかけてきた。美咲(みさき)さんぐらいのお歳かな。

「ねえ、あなた。はっきりさせてあげたら?」
「え?僕ですか?」
「そうよ。その子がかわいそうじゃない。思わせぶりにされて脈もないのにずっと断ち切れないままでいさせるのも酷な話よ」

 これは噛み合ってるんだろうか、それとも根本でズレてるんだろうか。僕は判別に迷ったのでそのおねえさんにこちらから質問してみた。

「あなたも同じ思いを?」
「ええ・・・・・・そうよ。でもそいつ、いい奴でね。私にしたら二股かけられてたみたいな悔しさだったけど、どっちもほんとうに愛してくれてたのかもね・・・・・」
「そ、それはいけない!『()し』は一択でござる!」
「え」
「え」
「推し?」
「推しでござる」

 おねえさんと絵プロ鵜が見つめ合う。

「なんの話なの?」
「もちろん勝負の話でござる」
「負けたんでしょ」
「負けたのさね、コンテストで」

 僕らに別に非はないけど3人しておねえさんに謝り倒した。
 おねえさんは自分の失恋の話までして絵プロ鵜のことを心配してくれたんだから。

「この漫画さね」

 スマホを掲げて絵プロ鵜はプロの漫画家を対象とした恋愛漫画の大賞を決めるコンテストに出品していた連載中の漫画をおねえさんに観せた。
 一話分、黙ってスクロールするおねえさん。

 読み終わってから僕らに訊いた。

「負けるが勝ち・・・か。ねえ」
「はい」
「じゃあ、わたしも勝ったの?」
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