FIFTY-EIGHT 思い出と現在とどちらに浸る?

文字数 1,020文字

「アタシが若い頃は髪も長くて、そりゃあ綺麗だったもんさね」
「わあ。そうなんですね。観てみたかったです」

 縁美(えんみ)がスーパーのお客さんからそう言われたそうだ。
 僕が子供の頃、人が天国へ行ったら一番美しかった時代の姿で過ごすのだという話を誰かが言ってた。そして初恋の人と再会して仲良く暮らすのだと。

 絵プロ鵜(えぷろう)が衝撃的な新作を発表して月刊漫画誌の特別賞を受賞した。

「おめでとう、絵プロ鵜ちゃん」
「いやいやいや、かたじけない、縁美殿。蓮見(はすみ)殿もわざわざ授賞式に来てくれて痛み入り申す」
「なんか、こっちまで緊張するよ」

 授賞式の会場は老舗ホテルの小ホールで人数は多くないけど、関係者の雰囲気が重厚、という空気に満ちている。

 絵プロ鵜の漫画のあらすじはこういうものだった。

 アニメ映画の超大作を幼稚園の頃に両親と一緒に自宅でDVDで観た男の子がとても感銘を受ける。
 男の子は創作の世界を志し、最初はアニメの監督になろうとするが大勢の人間が関わるアニメ制作の世界は金銭面でも人的コネクションの面でも様々な制約を受けると考え、差し当たりはひとりで全てをこなす範囲で漫画家を目指し、デビューを果たす。

 ひとりの商業漫画家として独立性はある程度担保されているとは言いながらそれでも仕事を得るためには様々なしがらみや、明日には連載が切られるかもしれないと恐れる毎日を送ることとなる。

 現在の日常の中、仕事場兼生活の場であるアパートの自分の部屋で昔観たアニメのDVDを1人見る主人公。

 漫画家としてデビューした幸運はありがならも、そのアニメの監督に比すれば何事もまだ為していないという焦燥感の中、涙に暮れる。

「どうだろう。面白かったでござろうか、(それがし)のこの漫画は」
「少し哀しいっていうか。切なさが心地よいってわたしは思ったけど」
「ふむ。縁美殿らしい。蓮見殿はいかがでござった?」
「まるで自分を観てるようで、苦しい」
「・・・蓮見殿も某と同じ人種なのだな」

 絵プロ鵜は女性として見た目もなかなかにキュートだ。僕がそれを指摘するとこううそぶいた。

「もし、そういう要素が作品の評価に影響するのだとしたら、某は自分にモザイクをかけて描き続けたい」

 それでも縁美は絵プロ鵜のことを心配した。

「いいの?お仕事関係の人たちの所にもっとご挨拶に行かなくて」

 ひととおり義理は果たしたと絵プロ鵜は言って、それから僕らにこう言った。

「某は縁美殿や蓮見殿に読んでもらいたくて漫画を描いてるのさね」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み