NINETY-SIX 浮上と沈没ならどっちがいい?

文字数 1,035文字

「スランプである」

 絵プロ鵜(えぷろう)はそう嘆くけどスランプを自覚できるということはこれまでが海面に浮上した日々だったということなんじゃないだろうか・・・

「スランプです」

 サラトちゃんまで。

「お盆休みの間に母校の中学のバドミントン部へ出稽古に行って50試合ぐらいこなしたんですけど・・・甘っちょろいですね」
「後輩が?」
「いいえ。わたしが、以前の死に物狂いの感覚が薄れてきてますね」
「うーん。そういう時もあるんじゃないのかな・・・」
「わたしもそういう風に考えようとはしてるんですけど・・・やっぱり焦りますね。蓮見(はすみ)せんぱい、どうすればいいでしょうか」
「旅に出るとか」
「真面目に考えてください」

「スランプだよ、蓮見くん」

 縁美(えんみ)まで。

 今日は仕事が終わった後で外で待ち合わせて釜飯屋さんで夕食にした。

「仕事がうまくいかないの?」
「うーん。スーパーの売り上げもジリ貧だし、わたしが今担当してる惣菜の売り上げもパッとしなくて」
「そっか。新メニューとか考えてるの?」
「一応試食メニューを幾つも作ってみんなで食べて・・・」
「たとえば?」
「ひややっこ、とか」

 確かにスランプみたいだ・・・

 ひとり用の釜で炊いた釜飯がふたり分、出された。

 僕は五目、縁美は山菜。

「このおこげがいいんだよねー」

 しゃもじで釜の表面に近い部分のご飯をよそうと、香ばしい香りと一緒に独特の食感の釜飯の醍醐味とも言えるパーツがお茶碗の中で層を作る。

 そのまま少し食べた後で、ポットに入ったお出汁(だし)を注いでお茶漬けにする。

「おいしいね」

 にこっ、と笑う縁美。
 おいしいものは取り敢えずもやもやを溶かす。

「蓮見くん。どうすればスランプから抜け出せるかな?」

 昼間サラトちゃんから『真面目に考えてください』とダメ出しされた反省を踏まえて慎重に答える。

「平坦に過ごす、とか」

 縁美が僕を、じいっ、と見つめる。

「それはアベレージに力を出すっていうこと?」
「いや・・・・・・アベレージに沈み続けるというか」
「?」
「僕の感覚なんだけど」
「うん」
「水面の下5cmほどの位置を常に泳いでいて、息継ぎする時だけ顔が、ひょい、って浮上する・・・・・そんな風ならばスランプも関係ないんじゃないかって」
「蓮見くん」
「う、うん」
「深すぎてよく分かんない」

 いや、水深5cmなら浅瀬だけど・・・

 店を出た後でまるで描いたような三日月を見上げてたら縁美が訊いてきた。

「蓮見くんはスランプにならないの?」

 答え。

「ならない。なりようがない」

 常に沈んでるから。
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