SIXTY-ONE 生きてる人と死んでる人どっちが大事?

文字数 1,210文字

 僕も縁美(えんみ)もおばあちゃん子だ。

 誕生日と同じように命日っていう感覚をなんとなくそれぞれの祖母から教わってきた気がする。

蓮見(はすみ)くん、来週の日曜日、法事なんだ」
「誰の?」
「一応ひいおばあちゃんのだけど、ひいおじいちゃんとかおじいちゃんのも一緒に」
「親戚の人とかも来るの?」
「声がけはしてあるけどみんな忙しくてあまり集まらないみたい」
「どこでやるの?」
「実家で」
「そう・・・」
「少し、行きづらいな」
「お父さんお母さんとは最近連絡は?」
「この法事の日時がメールで送られてきただけ」
「縁美」
「うん」
「行っておいでよ」
「・・・はい」

 日曜日。

 縁美は近所の美容院のつてで礼服を借りて朝早くから実家へ出かけて行った。

 僕もなんとなく足を自分の実家の街へ向ける。
 電車で最寄り駅に降りると、けれども実家の方向とは反対に、里山の方へ向かって歩いた。

 途中に小さなお花屋さんがある。

 間口の小さな、ほぼ仏花しかおいていない花屋。家族で墓参の時はいつもここで花を買ってた。
 店主のおばあさんも変わりない。

「いらっしゃいませ。お墓参り?」
「はい。どれがいいですか?」
「この束は長持ちしますよ」
「じゃあそれを二束」
「はい。1,250万円」
「えっ」
「あら。最近の若いひとは」

 知ってるさ。昔の駄菓子屋のノリだって。

 墓への登り坂の最後の辺りは車がすれ違えない道幅。

 登り切ったところがすぐ駐車場で入り口に小さなお地蔵さんがおられる。

 誰かがお花を供えておいてくれてあって、僕は手を合わせた。

 共同墓地ではあるけれどディベロッパーや大きな寺院が開発した近年のものじゃなくって、この辺の集落が寄り集まって何代も前からの墓があるエリアだ。

 僕は実家の墓の前に立った。

 下地面のコンクリートがひび割れてそこから雑草が生えてる。

 いや、地面の下の雑草が、コンクリートを押し割って伸びてきた、ってことだろう。

 じいちゃんが亡くなった時、小学生で体の小さかった僕が墓の蓋を開けて中にもぐり込んで骨壺を収めた。

 墓の中はなんてことない。ただの小さな空洞で大きいのやら小さいのやら、茶色いのやら白いのやら陶器の瓶のような骨壺が暗がりの中にあるだけで、僕は手探りで新しい骨壺を置いたことを思い出す。

「自分もそうなるのか」

 20歳の僕。

 もし僕が今死んだら、縁美もこうして花を供え線香を焚いてくれるんだろうか。

「ただいま」
「・・・・・お帰りなさい」

 帰ると縁美がローテーブルの前で礼服のまま正座していた。

 灯りも点けずに。

「どうしたの・・・」
「蓮見くん・・・・・」

 すん、っていう音が声に混じった。

「家に、入れてもらえなかったの」
「え」

 どうして。

「でも、わざわざメールで案内してきたんだよね?」
「それは母親だったの。でも、兄さんとお義姉(ねえ)さんが、『何しに来たんだ』って」
「・・・・・・・」
「父親がね。『お前は死んだものと思ってる』って・・・・・・」

 何が大事なんだろう。
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