158 忘却と記憶と切ないのはどっち?

文字数 1,079文字

 忘れたい人がいる。

 恋人じゃないよ。

「叔父さん。ご無沙汰してます」
縁美(えんみ)です。お変わりありませんか?」

 土曜の午後に縁美とふたりで訪れたのはグループホーム。

 僕の父親の弟が入居してるんだ。

「ええと。ああ・・・兄貴の・・・ご苦労さんでございます」

 たったこれだけで彼はもう泣いてる。多分、無感情に涙もろい。

 叔父は3年前に脳梗塞になってその後叔母さんと離婚して・・・父親よりも若いけど脳に受けたダメージから回復できずに今はこうしてグループホームで生活してる。

「叔父さん。あの時はありがとうございました」
「はいはい」

 叔父は覚えてないだろう。
 覚えてたとしても感謝されることでもなんでもない些末なことだ。

『全員してふたりを責めることも無いんじゃない?』

 僕の身内の側の親族会議で僕だけでなく縁美まで引き出されて罵声を浴びせられる中、彼のそのひとこと以外は全部刃物みたいな言葉だった。

 叔父が具体的に何かしてくれたわけでもないし、その後の父親の『黙れ!』の一言で掻き消えたけれども。

蓮見(はすみ)くんもわたしもとても励まされました。ありがとうございます」
「はいはい」
「叔父さん。不便なこととかないですか?」
「無いよぉ。ホームの人もよくしてくれるしねー・・・でもアイツは腹が立つなー」
「どうされました」
「俺が作った折り紙をけなすんだよ。こんなの貰っても幼稚園の子供たちは喜ばないって」

 叔父の折り紙をけなしたのはホーム内の女性。
 叔父よりはるかに年上の90歳近い女性。

 帰りに縁美とふたりでバス停を通り過ぎて歩いた。

「蓮見くん」
「うん」
「わたしポジティブ魔じゃないけどよかったって考えるべきなんだろうね」
「え。叔父さんの今が?」
「そうじゃなくて。蓮見くんとわたしが、20歳っていう比較的若い内に人の行く末みたいなものを考えられることが」
「ああ・・・そうだね。病気がなければ叔父さんも叔母さんと別れずにまだ仕事してたかもしれないからね・・・」

 バス停をもうひとつ通り過ぎた。

「前にスーパーの『介護食』の陳列のことで蓮見くんに意見を訊いたことあったでしょ?」
「うん。あったね」
「あの時は家族間で介護する側と受ける側の話だったけど。今の叔父さんはそれですらなくて。身内の人たちからも忘れられそうになってる。あの時いた娘さんは?」

 僕の従姉妹のことだ。

 ちなみに従姉妹は僕よりふたつ上でとても優秀で。

 辛辣だった。

「知らない。身内から僕が情報もらえる訳ない」
「そっか・・・・・・」
「縁美。それにね」
「はい」
「叔父さんが忘れられてるわけじゃないよ。全員で忘れてるフリしてるだけだよ」

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