SIXTY-FOUR 笑顔と泣き顔どっちが好き?
文字数 1,081文字
僕は、縁美 の泣き顔が好きだ。
「蓮見 先輩、縁美さんを泣かせたことってあるんですか」
清掃作業の出先でサラトちゃんが突然訊いてきた。
今日は美咲 さんは研修なので僕が運転するバンの助手席に座るサラトちゃん。
ふたりして前を見ながら遣り取りを続け、僕はこう答えた。
「あるよ」
「そうなんですか」
しばらく、無音。
「どんな状況でですか」
「・・・言わなきゃダメ?」
「いえ。すみません」
「いえ」
ずっと以前にホラー小説を読んだとき、その女の人の幸せな明るい笑顔にではなく、誰かに不幸があって喪服を着ている彼女にとてつもない色香を感じる、という内容のものがあった。
恐ろしい設定だと思った半面、少しだけ気持ちが分かってしまった。
最近で縁美を泣かせたのはもう1年ほど前。
僕が夜勤の現場作業に出ていて怪我をした時のことだ。
工場内の機械造作の一部メンテナンス作業が含まれてたのだけど、顧客企業の工員さんのミスでメイン電源が切られておらず、僕の作業中に作動してしまったのだ。
僕が小指を深く切って、実は骨も見えるぐらいで救急車で総合病院の処置室に運ばれ、局部麻酔で傷を縫っていた時、アパートからタクシーで乗り付けた縁美は処置室前の横掛け椅子で背筋が反るように真っすぐな姿勢で待っていた。
「蓮見くん」
「縁美」
僕はどうしてか分からないけど、笑いながら言った。
「指、切っちゃったよ」
「仕事、辞めて?」
僕は正直困惑した。
僕の仕事そのものは重労働だったり、スポット受注の内容によっては時間が不規則だったりするけど、その夜の現場が特に危険な状況だった、ってだけで、恒常的に危険に晒されてるわけじゃない。
でも、僕はその時、本気で辞めようかとも思った。
縁美の涙を見たから。
包帯が巻かれた上から、縁美は僕の指にそっと唇をつけてくれた。
顔を上げて、泣き顔を僕に向けてくる。
唇をほんの少しだけ開いて。
喉を、こくん、と波打たせて。
眼は瞬きを無くして。
その瞬きしない眼に表面張力で溜まっていた涙が、とうとう重力に耐えきれなくなって、眼の切れ目から、最初は頬を伝う。
それから、縁美が少しうつむき加減になると、涙は、深夜にキッチンのシンクのステンレスに落ちる水滴のように、まっすぐに病院の床に落ちて行く。
思わず、僕は彼女の涙を、手の平で受け止めた。
温かい・・・
「蓮見くんに何かあったら、わたしは死ぬまで泣き続けるから」
僕は、訊いてみた。
「どうすれば笑い続けてくれる?」
「あなたが毎日無事にアパートに帰って来てくれるだけでいいの」
彼女は、涙目のまんまで、ほんの少しだけほほ笑んだ。
「
清掃作業の出先でサラトちゃんが突然訊いてきた。
今日は
ふたりして前を見ながら遣り取りを続け、僕はこう答えた。
「あるよ」
「そうなんですか」
しばらく、無音。
「どんな状況でですか」
「・・・言わなきゃダメ?」
「いえ。すみません」
「いえ」
ずっと以前にホラー小説を読んだとき、その女の人の幸せな明るい笑顔にではなく、誰かに不幸があって喪服を着ている彼女にとてつもない色香を感じる、という内容のものがあった。
恐ろしい設定だと思った半面、少しだけ気持ちが分かってしまった。
最近で縁美を泣かせたのはもう1年ほど前。
僕が夜勤の現場作業に出ていて怪我をした時のことだ。
工場内の機械造作の一部メンテナンス作業が含まれてたのだけど、顧客企業の工員さんのミスでメイン電源が切られておらず、僕の作業中に作動してしまったのだ。
僕が小指を深く切って、実は骨も見えるぐらいで救急車で総合病院の処置室に運ばれ、局部麻酔で傷を縫っていた時、アパートからタクシーで乗り付けた縁美は処置室前の横掛け椅子で背筋が反るように真っすぐな姿勢で待っていた。
「蓮見くん」
「縁美」
僕はどうしてか分からないけど、笑いながら言った。
「指、切っちゃったよ」
「仕事、辞めて?」
僕は正直困惑した。
僕の仕事そのものは重労働だったり、スポット受注の内容によっては時間が不規則だったりするけど、その夜の現場が特に危険な状況だった、ってだけで、恒常的に危険に晒されてるわけじゃない。
でも、僕はその時、本気で辞めようかとも思った。
縁美の涙を見たから。
包帯が巻かれた上から、縁美は僕の指にそっと唇をつけてくれた。
顔を上げて、泣き顔を僕に向けてくる。
唇をほんの少しだけ開いて。
喉を、こくん、と波打たせて。
眼は瞬きを無くして。
その瞬きしない眼に表面張力で溜まっていた涙が、とうとう重力に耐えきれなくなって、眼の切れ目から、最初は頬を伝う。
それから、縁美が少しうつむき加減になると、涙は、深夜にキッチンのシンクのステンレスに落ちる水滴のように、まっすぐに病院の床に落ちて行く。
思わず、僕は彼女の涙を、手の平で受け止めた。
温かい・・・
「蓮見くんに何かあったら、わたしは死ぬまで泣き続けるから」
僕は、訊いてみた。
「どうすれば笑い続けてくれる?」
「あなたが毎日無事にアパートに帰って来てくれるだけでいいの」
彼女は、涙目のまんまで、ほんの少しだけほほ笑んだ。