145 レストラン船とタンカー、乗り心地ならどっち?

文字数 1,252文字

 金曜の午後は半分だけ休みだった。

 年次有給休暇の消化が法制化されてしまっていてほんとのことを言うと僕や縁美(えんみ)みたいに零細企業で働く人間にとっては本当に休みが欲しい時になかなか取りづらくなってしまうという難点はあるけれども義務化されてるのなら仕方ない。

 有意義に消化しよう。

 だからふたりで午後半休を取って海へ出かけた。

 目的は船に乗ること。

 僕らの街は地方都市なので東京湾みたいなきらびやかで豪華な船はなかなか難しいけど、100トン未満のレストラン船で湾内をディナークルーズできる。

 工業港だけど。

 昼間は縁美とふたりでマリーナで私有の小型船を整備する人を見たり、砂浜を歩いていると幹線道路を挟んだ向かいのダイビング・ショップからウェットスーツを着てボンベを背負ったひとたちが歩いてくるのをSF映画みたいだね、って言い合ったり。

 そうやって過ごした。

蓮見(はすみ)くん。出航するよ」

 デッキの上で縁美は軽くはしゃいでる。

「縁美は船酔いとか平気?」
「ほんとのこと言うとね、小学校の時に定置網漁の見学で漁船に乗せてもらったことがあったんだけど、その時は結構危なかったかな。ほとんど港内だしこの船は平気」

 一旦船内に入って食事を楽しむ。
 お客は全部で30人ほど。ささやかなディナークルーズだ。
 メニューはフレンチなんだけど僕も縁美も本当に正式なマナーは分からなくて。
 ただ、シェフがテーブルを回りながらこう声をかけてくれた。

「堅苦しくお考えにならず、召しあがりやすいようにお食事なさってください。ただし、この機に本格的にマナーを学びたい方はお申しつけを。ビシビシご指導いたします」

 超豪華客船ではないし参加費もリーズナブルで港の中の小規模なものだけど、船旅ってやっぱりフォーマルな社交の場、っていう雰囲気がなんだかとてもいい。

 デザートに出てきたグリーンの上に小さく生クリームが乗ったハッカ味のゼラチンが不似合いみたいだけど懐かしくて、どうしてか印象に残った。

 食事を終えてデッキに登ると幾か所かに設置されたスピーカーから音声が流れだした。

「蓮見くん、なんだろ?」
「?眺望の案内か何かかな?」

 船長の挨拶だった。
 ふたりの。

『私は当船の船長です。クルーズを楽しんでいただけてますでしょうか?本日はちょうど私の友人がキャプテンを務める外航タンカー・・・と言っても原油を運ぶようなメガ・タンカーでなく5000トン級の石油製品を運搬するタンカーですが・・・彼が是非皆さんにご挨拶したいとインマルサットが入っています』

「わあ。海の上の友情だね」

 縁美も僕もなんだかファンタジーの世界に入り込んだみたいな気がする。

 タンカーの船長が衛星電話(インマルサット)で僕らに通信した。

『紳士淑女の皆さま。今宵は日本の月がとても美しいですね。港のコンテナヤードのクレーンや湾をつなぐ大橋に点滅するランプや灯台の明かりも負けずに美しいことでしょう。私はこれから外国の港へ向かいます。海の上でまたいつかお会いしましょう』

 デッキの上のみんなが、笑顔で拍手した。
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