第121話

文字数 726文字

 アパートについて郵便受けを確認した後階段をあがり、まりあの部屋の前で上茶谷はいったん立ち止まる。腕時計をみると午後十時少し前。起きてはいるだろうけれど、まりあは明日おそらく仕事だ。そう思うと邪魔もできない。部屋のチャイムを押すかどうか躊躇う。けれど一言くらいなら。そう思い直した時だった。

 ガチャ。

 ドアが急にあいてその隙間からまりあがひょっこり顔を出した。

「こ、こんばんわ」

 目を真ん丸にしてそう挨拶してくるまりあは、警戒しているくせにやっぱり外の世界への好奇心を隠しきれない小動物にしかみえなくて、上茶谷は反射的に微笑んでしまう。それから丁寧に挨拶した。

「こんばんわ。まりあさん」

 そんな上茶谷をみて、まりあは瞬きを何度かぱちぱちっとした後、そろそろとドアの内側から出てきた。

「え、えーと。今日はありがとうございました。ちゃんとお礼言ってないなって思いまして」

 ぺこりと頭を下げどこか少し緊張した面持ちで見上げてくるまりあを見て、上茶谷はすぐに悟る。彼女もまた上茶谷と気まずいままでいたくないから、彼が帰ってきたのを見計らって出てきたのだ。まりあも自分と同じ気持ちでいた。それが上茶谷の心をふわりと温める。

「そんなこといいのに。こちらこそわざわざお店まできてくれてありがとう」

 まりあは表情の中に残っていた微かな緊張をすべて解いたように、いつもの楽しげな微笑みを浮かべた。

「あの、すごくこの髪型気に入ってます。人生で一番です。お世辞じゃなくてホントに!」

 ふわふわした髪の毛を揺らしてそういうまりあに、上茶谷も穏やかに微笑む。

「そんなふうに思ってくれたなら美容師冥利につきるわね」

 それからえーと、と言ってすこし口籠った後、まりあは小さく呟いた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

【主要キャラ】


・板野まりあ(いたのまりあ)31歳 保険会社勤務の会社員 天然系ですこしぼけているけれど、自炊して節約するしっかりモノ。



ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み