第82話

文字数 866文字

「……伝えてもらって大丈夫です」

「了解」

 上茶谷を見つめていたリカコがすっと微笑んだ。彼女はもうすべてを吹っ切って、次のステップを見据えているのかもしれないと思う。上茶谷は軽く頭をさげて部屋から出てドアを閉める。前髪をかきあげ息を大きく吐いた。先日部屋を訪ねて来た上島の雰囲気から何か動く気配は感じていたけれど、こうくることは予想できなかったと唇を引き結ぶ。

 リカコの悩みを以前から聞いていて、上島は前もって準備していたのかもしれない。彼女が経営から退くことはもう決定事項、上島に譲らなくても誰かに店の経営権を譲ることになるのだろう。上島はかなりの好条件をだしているらしいうえに、上茶谷との共同経営にしたいと言っている。どう考えても上島に譲るのがベストな選択だ。

 まずリカコから囲いこみをかける。そんなところがいかにも上島らしい。この時ふと、なぜかまりあの顔が浮かんだ。上茶谷のイメージのなかでまりあはいつも笑っているか、驚いているかだから彼の表情も自然と緩む。

(ねえ、まりあさん。私どうしたらいいかしら、ね)

 心のなかでそう問いかけたのを見計らったように、ポケットにいれていたスマホがブルブルと震えだした。取り出してみると見慣れない番号が表示されている。発信者が誰であるかを確信して一瞬迷ったものの、ゆっくり通話ボタンを押した。

「もしもし?」

『大悟?』

 予想通りの声に上茶谷は小さく笑ってしまう。

「相変わらず行動が早いわね」

 電話の向こう側にいる人も微かに笑う。

『リカコさんから今メッセージ貰って、秒で電話した。一瞬たりとも時間をムダにしたくないから』

 冗談めかした調子でそういいながらどこか切実さを感じさせる声。上茶谷はそれを振り切るように、冷えた声で応える。

「蒼佑のそういうところ

変わらない」

 リカコへの根回しを仄めかしてそういうと上島は黙った。二人の会話はしばし途絶える。外にいるのか風のような音に上島が息を吐く音が混ざって耳元で響く。先に沈黙を破ったのは上島だった。

『ちゃんと顔をみて大悟と話がしたい。……会えないかな』


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登場人物紹介

【主要キャラ】


・板野まりあ(いたのまりあ)31歳 保険会社勤務の会社員 天然系ですこしぼけているけれど、自炊して節約するしっかりモノ。



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