第102話

文字数 907文字

 青山一丁目の駅で地下鉄を降りて地上に上がる。ビルの谷間から光がぱあっとさしてきて、まりあは手をかざし目を細めた。空が青い。少しづつ季節が春から夏へと移ろう気配が光にも空気にも感じられた。

 スマホの地図アプリでラリュールの場所を確認して、先日買ったばかりの日傘をさす。青山や表参道の美容室に来るのは、何年ぶりだろうと、まりあはひとり苦笑する。会社に入ったばかりの頃はよく来ていたけれど、節約志向が高まってから近所の安い美容院かセルフカラーですませていた。

 日傘で日差しが遮られて、まりあはホッと吐息をついて、お店のある青山墓地方面にあるき出す。一本道を曲がったらまっすぐ進むだけなので、方向音痴のまりあでも簡単に行けそうだ。日傘からこぼれ落ちた光が、履きなれたエナメルのパンプス先に反射するのを見て、まりあは思い出した。

(この靴、正人と付き合っていた頃買ったんだっけ)

 彼と別れてどん底の気分になった。誰かに傷つけられたり傷つけたりするのは嫌だ。もう恋なんてしない。できない。そう思ってひとりで生きていこうと決意したはずだった。それが今、正しい選択なのか、わからなくなってきている。

『板野さん、俺と付き合ってください』

 坂口がズバリと直球を投げてきたのは一緒にご飯を食べたあの日だ。さくら亭で食事をしている時の坂口は、時折まりあを見つめてくることはあったけれどもほぼいつもどおりだった。どこか緊張して構えていたまりあはすっかりリラックスしてしまい、毎度お馴染みの坂口との掛け合いを楽しんだくらいだ。食事後、会計をどちらが払うかで揉めたのも通常営業。結局坂口に押し切られ彼が支払った後、そんなに奢りたいというなら次は板野さんお願いしますと、すかさず次回の食事をする日時まで決められてしまった。

 そうして帰ろうとしたら今度は家まで送る、いや大丈夫という論争になった。押し問答が十分ほど繰り返され、最終的にはやっぱりまりあが根負けした。坂口の押しの強さや駆け引きのうまさは元々の気質に加え、営業で磨きあげられているからとても敵わない。そうして二人してまりあのアパートにたどり着いたところで、ばったり上茶谷と上島に会った。

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登場人物紹介

【主要キャラ】


・板野まりあ(いたのまりあ)31歳 保険会社勤務の会社員 天然系ですこしぼけているけれど、自炊して節約するしっかりモノ。



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