第8話

文字数 997文字

「まあ、私がドアの前にいたのもわからなかっただろうし。ちょっと赤くなっている程度なら大丈夫かしら。後で自分で冷やしてみるわ」

 本当にすいませんでした、とまりあはもう一度頭をさげる。すこし神経質そうに見えるけれど、話をしたらちゃんとわかってくれそうな人で、ホッとした。まりあは先程よりは落ち着いた心地で、目の前の人を見つめる。やっぱり顔立ちはその辺の女子では敵わないくらい整っているし、髭が見当たらないお肌はつるつるだ。左右アシンメトリーにカットされた色の抜けた髪の毛はブリーチしまくっているはずなのにサラサラで、手入れが行き届いている。

 まりあよりも年下だろうが、それにしても自分よりよほど女子力が高いとシゲシゲと彼を見つめてしまう。

「ところで。結局あの叫び声はなんだったの?」

「へ?」

 間の抜けた返事をすると、彼は声をひそめてまりあの部屋を見つめながら言った。

「殺されそうな声を出してたじゃない。物も壊れる音がしたし。彼氏にDVでもされたとか?」

 気遣うようにそう言われハッとした。あれだけ大騒ぎしたらそう思われても仕方がない。

「あ、あの、違うんです。全然そんなことではなくて……その、実はゴキブリが出ちゃって」

 ゴニョゴニョとそう呟くと彼は気遣うような表情から一変、綺麗な顔を盛大に顰めてみせた。

「ウソでしょ?! 私が住んでから一度もでてないのに。あなたちゃんと部屋を綺麗にしてる?」

 まりあはその言葉には間髪入れずにいい返す。

「ちゃんとしてますよ! モノが少ない部屋ですから掃除は毎日やってます」

 しっかり掃除するのは週末だけで、平日は簡単にモップで床をちょいちょいと拭くくらいだけれど、これくらい言ってもバチは当たらないだろう。実際彼もまりあの剣幕に押されたように、ふうんといって考えるような仕草をした。

「そこまでいうなら、たまたま入ってきたのかもしれないけど。で。そのゴキブリだけど、ちゃんと退治したのよね?」

 その言葉には反論できない。またまりあの声がちいさくなってしまう。

「……玄関の方向に逃げたから、あの……さっきドアをあなたにぶつけた時ですけど、隙間から外に出ていって貰いました」

 彼は大きく瞳を見開いた。

「は?! 出ていって貰ったってあなた、押し売りじゃないんだからちゃんと退治しなさいよ。そしたら今度はうちに入ってくるかもしれないじゃない。あんなに騒いでなにやってるの?」
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登場人物紹介

【主要キャラ】


・板野まりあ(いたのまりあ)31歳 保険会社勤務の会社員 天然系ですこしぼけているけれど、自炊して節約するしっかりモノ。



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