第29話

文字数 820文字

 右腕には上茶谷へのお見舞い用のフィナンシェとマドレーヌの詰め合わせ、スーパーで買ったお惣菜の天ぷらがはいったビニール袋。左腕には大量の置型殺虫剤を詰め込んだエコバッグ、それから肩にはショルダーバッグをひっかけ、まりあは駅からアパートまでの道を、はあはあいいながら早足で歩いていた。

 自転車を使わなくなったから、荷物が多い日は大変だ。荷物の重さから気を逸らすように、家についたらするべきことを頭のなかでイメージする。まず設置型殺虫剤をベランダから部屋までくまなく設置して、その後は夕食の準備。先日会社の同僚から分けてもらった美味しいお出汁使って、煮込みうどんをつくる。ぐつぐつうどんを煮込んでネギ刻んでうえに卵を落とす。さらにそこに夕方の特売で買った海老天を軽くフライパンで炙る。カリッとさせたらうどんにのせてできあがり。春になったとはいえ夜は冷える。こんな日は温かいものが食べたい。

 そこまで考えたらごくりと唾を飲み込んでしまった。ついでに腹が盛大に鳴ってまりあは思わず苦笑する。大家の庭にある桜の木が見えてまりあはほっと息を吐いた。緑の葉をいっぱいに繁らせた枝の向こう側に見えるアパートを見つめる。上茶谷の部屋に灯りはもちろんついていない。今時間は夜七時過ぎだから、上茶谷はこの時間にはまだいないだろう。常識にうるさい彼に怒られないぐらい、二十二時あたりにお見舞いの品を持って部屋を訪ねてみようとまりあは考える。留守だったらメモを置いて次の火曜日に行ってみればいい。まりあは階段下にある自分の部屋用ポストをチェックしながら、うんうんとひとり頷く。

 どちらにしても上茶谷に会わないという選択肢はなかった。怪我をさせたこともあるけれど、それ以上に上茶谷に会いたかったから。彼が嫌がる素振りをみせたらもちろんしつこくしたりするつもりなんてまりあにはなかったけれど、仲良くはなりたかった。

(ちょっと恋みたいだなあ)

 まりあは照れたように微笑む。
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登場人物紹介

【主要キャラ】


・板野まりあ(いたのまりあ)31歳 保険会社勤務の会社員 天然系ですこしぼけているけれど、自炊して節約するしっかりモノ。



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