第1話
文字数 748文字
やわらかな桃色から鮮やかな緑に衣替えを始めた桜の木。咲きだしが早かったから誕生日に満開とはいかなかった。まりあは残念と小さく笑う。住んでいるアパート二階の部屋から、大家宅の庭にある枝ぶりのいい大きな桜の木がよく見える。満開の時は花見の特等席だった。ぼおっと眺めていると、桜の木からわずかに残っていた花びらが一枚、木から離れてはらりと宙に舞った。
ゆらゆら夕闇を漂う散りそびれた花びら。まるで自分みたいだと見ていたらまりあの記憶スイッチが入ってしまった。
『まりあとはもう付き合えない。ごめん』
ちょうど一年前。二年ほどつきあっていた正人 からこう言われた時もちょうど桜の季節で、悲しいくらいに桜が咲き誇っていた。誕生日が近かったから、もしかしたらプロポーズされるかもしれない。まりあのささやかな期待は、塩を大量にふりかけられたなめくじみたいに、儚く消えた。
『好きなコができたんだ。ごめん』
最後くらい優しい嘘をついてくれたらいいのに。無駄に正直な男だったと思い出して苦い笑みが零れてしまう。泣いてすがるなんて演歌みたいなこともできず、怒り狂って殴りかかるなんてことももちろんできなかった。ただ石みたいに固まるしかなかった。あの時まりあの心に染み込んできたのは、確かに痛みと悲しみだった。
でもそれらは引っ張られるままたどり着いた知らない場所で、いきなり手を離された迷子の気持ちに似ていたかもしれない。
(あそこで迷子の子供みたいに泣き叫ぶのが正解だったのかな。この世のオワリ状態で)
そんなことを思いついてまりあは笑う。確かに悲しかったけれど、そんなことはもう三十一歳になるまりあには出来ない。恋の終わりは辛い。けれどほんの少しだけまりあをホッとさせる。恋をしている自分を演出しなくていいのだから。
ゆらゆら夕闇を漂う散りそびれた花びら。まるで自分みたいだと見ていたらまりあの記憶スイッチが入ってしまった。
『まりあとはもう付き合えない。ごめん』
ちょうど一年前。二年ほどつきあっていた
『好きなコができたんだ。ごめん』
最後くらい優しい嘘をついてくれたらいいのに。無駄に正直な男だったと思い出して苦い笑みが零れてしまう。泣いてすがるなんて演歌みたいなこともできず、怒り狂って殴りかかるなんてことももちろんできなかった。ただ石みたいに固まるしかなかった。あの時まりあの心に染み込んできたのは、確かに痛みと悲しみだった。
でもそれらは引っ張られるままたどり着いた知らない場所で、いきなり手を離された迷子の気持ちに似ていたかもしれない。
(あそこで迷子の子供みたいに泣き叫ぶのが正解だったのかな。この世のオワリ状態で)
そんなことを思いついてまりあは笑う。確かに悲しかったけれど、そんなことはもう三十一歳になるまりあには出来ない。恋の終わりは辛い。けれどほんの少しだけまりあをホッとさせる。恋をしている自分を演出しなくていいのだから。