第232話

文字数 605文字

 ワインが少し残っていたグラスをグイッと傾けて、まりあは顔を上げた。なきべそをかいた子供が一生懸命笑おうとしているような笑顔がそこに浮かんでいた。

 まりあの意識に坂口の存在も確実に入り込んできている。それはそうだろう。実際一緒に住んでみても坂口は悪くない。というよりいい男だと言えるだろう。仕事もできる。局面を変えるため三人で住むという選択を提案し、それを実現させるため忙しい業務の合間をぬって、様々な手配を短期間でこなした実行力をみればわかる。それらはまりあに惚れ込んでいるからできることだ。一緒に住んでいて彼の情熱が彼女に伝わらない訳がない。

 このまま黙って二人を見守っていれば、まりあの上茶谷への想いも緩やかに下降していき、普通の友だちへと着地していくだろう。つきあいがなくなるわけじゃない。それがお互いのためでもある。そう思っていたはずなのに。上茶谷の口は動く。

「ねえ、まりあ」

「はい?」

 目尻のあたりをほんのりと色づかせたまりあが瞳をあげた。

「恋人の定義ってなに?」

 上茶谷の問いかけがまりあにとって全くの予想外だったようで、きょとんとした表情を浮かべたから上茶谷は微笑んだ。

「お互い好きだっていう気持ちがあってセックスして肌を重ねる。それが恋人?」

「へっ?!」

 まりあは小さく叫んで目をまんまるにした。凍土に閉じ込められた小さなマンモスの化石みたいに動かなくなってしまったから上茶谷は笑ってしまう。
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登場人物紹介

【主要キャラ】


・板野まりあ(いたのまりあ)31歳 保険会社勤務の会社員 天然系ですこしぼけているけれど、自炊して節約するしっかりモノ。



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