第66話

文字数 834文字

「義務みたいに触らないでって言われたの、思い出したわ。彼女のこと、好きだと思って付き合っていたのに触りたいって欲求がどうしても湧いてこなくてね。それって伝わっちゃうものよね。自己嫌悪に陥ったわ。私が変だからいけないんだって」

 自分は異常者だと深い悩みに沈んでいたあの頃。上茶谷は自身の全てを否定していた。そして世間一般でいう“普通”の男であろうともがいていた。あの頃の自分はこんなに笑っている未来など想像もできなかったと微笑む。

「私たち、変なところで似ているのかもしれないわね」

 空になった缶を片付けていた手をまりあにいきなり掴まれて、上茶谷はビックリして顔をあげる。

「どうしたの?」

「ダイゴさん! やっぱりそうだ」

「え? 何が?」

 まりあが真剣な顔をして上茶谷の手首を掴んだままじっと見つめている。その瞳はアルコールが入ってトロンとしているけれど、表情は恐ろしいほど真面目だった。それから何か大事なことを発表するように重々しく呟いた。

「わたし、ダイゴさんに触られても全然嫌じゃない」

「……は?」

 何を言うかと思ったらと、上茶谷は声をあげて笑ってしまう。

「そもそもまりあから触ってるんじゃない」

 掴まれた手首に視線を落としてそういってやると、まりあはちょっと困ったような顔をした。

「へ? ああ! すいまへん」

 回らない口でそういう彼女の様子にまた笑いがこみあげてくる。

「まりあは男の本能全開で触ってこられると引いちゃうのかもね。私からはそういう圧を感じないから安心するんでしょ」

「なるほど……」

 まりあはしばらく考えるような表情を浮かべたあと、上茶谷をじっと見つめたまま口を開いた。

「ダイゴさん」

「なに?」

 まりあはギュッと噛み締めていた唇をゆっくりと開いて小さな声で囁いた。

「あの……嫌じゃなかったら、でいいんですけど……」

 酔いと素面の状態を行き来するように視線を彷徨わせたあと、心を決めたように上茶谷を見た。

「……ダイゴさんからわたしに、触ってもらえませんか?」
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登場人物紹介

【主要キャラ】


・板野まりあ(いたのまりあ)31歳 保険会社勤務の会社員 天然系ですこしぼけているけれど、自炊して節約するしっかりモノ。



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