第12話「理解」
文字数 3,260文字
ヴァネッサは大きく目を見開いた。
恐怖のあまり逃げようとするが、魔法の効果で喋れず動けない。
にやりと笑ったクーガーは、挑発するように言う。
「ねぇ、幸せになれないのはさ。自分にも原因があるからだとは思わない?」
まるでからかうような、挑発的な言葉。
ヴァネッサは、悔しそうにクーガーを見つめている。
納得出来ないという波動が、強く放たれていた。
怯える一方だった表情も、いつの間にか憤怒に変わっている。
あまりにも激しい怒りが、悪魔への恐怖心に打ち勝ったのだ。
「あら、何か言いたそう……騒がれると困るから念話で良いわよね、うふ」
「…………」
『はいっ、どうぞ! これで言いたい事があったら、ビシバシ言えるわよぉ』
『う、うるさ~いっ』
『あらあら』
『わ、私だって! 幸せになりたいわ! 女として結婚にだって憧れていたのよ! でも父親の指示で結婚した相手は皆、酷い男達だった』
ヴァネッサは、最初の夫の事を思い出した。
……16歳で初めて結婚した。
当然、父グレゴワールの決めた政略結婚であり、碌に話した事もない相手だ。
ドラポール伯爵家より家格は上で一見育ちが良いように見えた夫だが、その正体は感情の起伏が激しく、何かあると暴力を振るうとんでもない男であった。
耐え切れなくて、一年で離婚した。
よくある話だった。
心に傷を負ったヴァネッサは、重度の男性恐怖症になってしまったのだ。
心の傷は深かった。
立ち直るのに三年間掛かった。
自宅で療養した後に、父の命令で再び結婚した。
今度こそ優しい夫を! という娘の願いに父は応えてくれた。
二番目の夫は確かに優しかったが、それだけだった。
今度の夫は、母親に依存し過ぎる男だったのだ。
これも、よくある話であった。
息子を取られたと認識する義母とは上手く行く筈もなく……
それでも、二年間は我慢した。
夫婦仲も、まずまずであった。
しかし義母が子供が出来ないと言う理由を付けて息子を抱きこみ、無理矢理離婚に仕向けたのである。
悉く辛く当たられたヴァネッサも、我慢の限界であった。
こうして……
ヴァネッサは離婚し、またも実家へ戻った。
しかし、すぐ次の『命令』が出た。
父は娘に優しいが、単なる家の付属物としか見ていなかったのだ。
今度はいきなり辺境の地へ赴けと命じたのである。
『それで出会ったのが……オベールよ』
『ふ~ん……で、どうだったの? 今度は』
『田舎暮らしは嫌だったし、今度の相手はずっと年上だったけど……あの人は……オベールは優しかったわ。私の事を……凄く大事にしてくれた』
ヴァネッサの心が、ほっこりと温かくなった。
過ぎ去った遠い日の、愛と優しさに満ち足りた思い出……
不便で地味でささやかな暮らしに「ぶうぶう」言ったけれど……確かに私は幸せだった。
『それなのにって、事ね』
『そうよ! 前妻の娘のステファニーが、私に全然、
ヴァネッサの気持ちが、辛くなる。
何かにつけて死んだ母親と比べるステファニーとは、良く口論したものだ。
『相性が悪かったみたいね。理由なんて特になくて……まあ良くある話ね』
そう言われると……もう少し田舎暮らしを我慢すれば良かったとも思えてくる。
短慮ではなかったのかと、後悔する。
ヴァネッサの心に、悲しみが満ちて来た。
切ない。
我慢がならない。
『……ううう、わ~ん!!!』
泣き叫ぶヴァネッサに、女悪魔は容赦しない。
『昔へ帰りたいと思っても時間は元に戻らない、前を向いてこれからを生きるしかないわ』
『えぐえぐううううう……わあああああん』
ヴァネッサは、号泣していた。
沈黙と束縛の魔法の効果で、外見は目を見開いたままの無表情だ。
しかし、見開いた目から一筋の涙が流れていた。
魂で、泣いていたのである。
その時、俺はエモシオンに居るソフィことステファニーの、更に夢の中に居た……
この王都の別宅のやりとりを、夢に繋げるという凄い魔法を使ったのだ。
ヴァネッサとのやり取りを、発動体になって貰ったクーガーに任せて、俺はステファニーと共に事情を聞いていたのである。
『どう? まだヴァネッサが憎いかい?』
『…………』
ステファニーは、唇を噛み締めていた。
初めて見た、まま母の心の内に驚いていたのである。
黙り込んだステファニーへ、俺は言う。
『おもちゃにされると分かっていて、不本意ながら寄り親の命令に従いオベール様はお前をウジューヌの下へ送った。家を存続させる為の道具としてな……だが、エモシオンへ嫁に来たヴァネッサも、結局はお前と同じだったのさ』
ステファニーは、僅かに頷いた。
俺の言う通りだと、同意したのだろう。
縋るような目を向けて来る。
『旦那様、私……どうしたら良いの?』
『ドラポール伯爵家は近いうちに取り潰しとなる。跡継ぎの男共が全員行方不明となるからな。そうなればヴァネッサは天涯孤独になるだろう』
『…………』
『だが、貴族の箱入り娘であった彼女は、身分を剥奪されたら行く当ても生きる
『そ、それは! いくら何でも…… か、可哀そうだわ!』
『だろう? なので俺に考えがある、お前と同じ方法を取るんだ』
『私と同じ? そ、それって旦那様が彼女と結婚するの?』
同じ方法と聞いたステファニーは、俺がヴァネッサを『引き受ける』と勘違いしたようだ。
『ははっ、違うよ。ヴァネッサがひとりで生きていけるまで、ボヌール村で保護するんだ。赤の他人になって貰ってな、お前と唯一違うのは今迄の記憶を無くすという事だ』
『今迄の記憶を?』
『そうさ! ドラポール家長女ヴァネッサのままでは、何かと不都合が生じてしまう。全く違う他人となって人生をやり直すんだ。経験を積んで、ひとりで生きていけると判断出来たら後は成り行きさ』
『成り行き?』
『ああ、俺はお前の方が大事だ。お前が、どうしても一緒に暮らして行くのが嫌なら、ヴァネッサをいずれは王都へ戻す。その頃には、彼女も何かしらの方法で、生きていけるようになっているだろうかから』
『……分かったわ。彼女……私と同じなんだものね』
ステファニーは、大きく頷いた。
納得した表情である。
自分と同じ境遇だと知ったヴァネッサを、受け入れる決意をしてくれたのだ。
俺は嬉しくて、「きゅっ」とステファニーを抱き締めた。
熱いキスもしてしまった。
ステファニーは、
『でも何か……不思議、魔法って凄いわ。夢の中なのに……旦那様の胸って温かい……私、幸せ』
その時!
いきなり響く、笑い声!
『うふふふっ、お楽しみのところ申し訳ないけどさぁ。ステファニー、ちょっと良い?』
『うわぁ!? ク、クーガー姉?』
『そうよ、悪魔クーガーちゃんよぉ! 貴女は受け入れをOKしたから、これから私が聞いて、ヴァネッサも承諾すれば彼女には詳細を伝えず別の人生を歩んで貰う事にするけど』
クーガーは、ステファニーに気を遣ってくれた。
説得されたステファニーの、再度の意思確認をしてくれたのだ。
『ええ、私は構いません! ……お、お願いします!』
『はぁい! お願いされたわぁって言っても、所詮は旦那様の魔法なんだけどね、うふふっ』
……この後、覚悟を決めたヴァネッサは、クーガーの『悪魔の囁き』を受け入れて別人となったのである。