第205話 縁 その5

文字数 2,303文字

 突然のほほんとした声に、黒装束(くろしょうぞく)の者達は瞬時に反応した。
即座に後ろをふりかえりざま陣形(じんけい)を整える。
そして・・

 「何奴(なにやつ)!」

 「何奴って・・、あのさ、人に名乗らせる前にまず自分から名乗らない?
あ、無理か・・。
黒装束で人を襲っているのだから常識なんてないよね、ごめん。
俺が悪かった。」

 「貴様! 言わせておけば!」
 「あらら、貴様呼ばわりかぁ・・。
初対面なのに随分と失礼な奴だなぁ。
あんたに貴様呼ばわりされる筋合いはないんだけど?」

 「口の減らんやつだ、()れ!」

 黒装束が一斉に斬りかかった。

 猪座(いのざ)はその様子を見て後悔した。
関係のない一般人を巻き込んでしまったと。

 多勢に刀で斬りかかられては助かるわけはない。
かといって自分では助けることもできない。

 思わず動く左手を胸の高さに上げ、一瞬だけ目を(つむ)り拝んだ。
それが今の自分にできる精一杯の事であった。

 だが、目を開けた時、信じられない光景が目に飛び込んできた。
黒装束の者、全員が地面にたたき付けられ悶絶(もんぜつ)していたのだ。

 猪座は理解できず間抜け(まぬけ)な声を出した。

 「え?」

 そして妻に何が起きたか聞こうとし後ろを振り向いた。
そんな妻は、独り言を言う。

 「嘘・・、一人で全員を一瞬で・・、それも素手で・・。」

 妻の言っている事が猪座には理解できなかった。
いや、理性が理解を拒絶したのだ。あり得ないと。
だが、現状をみれば妻が何を言っているのかは一目瞭然だ。

 倒した謎の若い男は、後頭部を右手で軽く掻いていた。
そして黒装束に向かってポツンと言う。

 「あんた達さぁ、弱くない?
それと体術を蔑ろ(ないがしろ)にしすぎだよ。」

 弱い?
こいつらが?

 猪座はポカンとした。

 若い男は、黒装束にさらに語りかける。
 
 「どう? 少しは懲りた?
夜陰に紛れて黒装束で人を襲っちゃあ駄目でしょう。
それに人を襲うからには、自分も覚悟はしているんでしょ?
だから手加減をして、腕か足のいずれかの骨折程度にしておいたから。
どう? 何か言いたいことはある?」

 そう若い男は黒装束に聞く。
だが、黒装束の者はそれどころで無いらしく苦痛の呻きを漏らす。

 「言いたいことはないみたいだね。
あ、そうだ言い忘れていた。
先にあんた達が刀で斬りかかってきたんだかね。
その事を忘れないでいてくれる。
逆恨みされても困るから。
あ、でも、試合ならいつでも受け付けるよ。
でも、腕を磨いてからにしてくれる?
今のままだと、物足りないからさ。」

 若い男は言うだけ言うと気が済んだようだ。
猪座と妻の方に向き直り、こちらに歩いてくる。
そして猪座の少し手前で立ち止まる。

 その時であった。
猪座の後ろにいた妻が、突然、ポンと手を叩いた。
まるで何か分かったかというように。
そして、若い男に言う。

 「分かったわ!、あなた、物の怪(もののけ)ね!
そうよ、そうだわ!
だからいとも簡単に倒せたのよ。」

 その言葉に若い男は一瞬、キョトンとした。
そして・・・

 「あのさぁ、奥方様なのかなぁ?
なぜに物の怪?
どう見ても私は人にしか見えないと思うんだけど?
それと、そこの人、ご亭主だよね?
なんで、片手を胸の前に上げたままなの?
なんとなく、手上げて私を拝んでいるかのようだけど?」

 「え? ああ、そうだよ、君を拝んでいたんだけど・・。」
 「へ? 何で?」
 「君が()られて死んだかと思って・・。」
 「いや、斬られても、死んでもいないけど?」
 「そうだね・・、すまぬ。」
 「まぁ、いいけど。」

 猪座と妻は互いに顔を見合わせ、頷きあった。
妻は猪座の隣に移動し、そして二人して姿勢を正し深く頭を下げた。

 「どなたか存ぜぬが、助けていただき、かたじけない。」
 「助けて頂き有り難うございます。
夫が手傷を負ったとき死を覚悟しました。
あなた様のおかげで、命拾いをしました。」

 「ええと・・、私のおかげというのは大げさなような・・。
ご亭主はなかなかの腕前ですから。
私が助けなくても、なんとかなったと思いますよ。」

 その言葉に猪座夫婦は再び顔を見合わせた。
そして二人は再び深い礼をした。

 「ともかくご助力ありがとう存ずる。
儂は、(さかき) 一之進(いちのしん)、そして妻 (しず)
心より感謝申し上げる。」

 「あ、申し遅れました。
私は 神一郎(しんいちろう)といいます。」

 二人は顔を上げる。
そして妻がまじまじと神一郎の顔を見て、聞く。

 「あの、本当は()()()でしょう?」
 「どうしても私を物の怪にしたいんですね。」
 「だって、どう考えても人とは思えない強さですから・・。」
 
 「いや、私くらいの腕前の人はこの世にごまんと居ますよ。」
 「そうなのですか?」
 「ええ。」

 猪座はつっこみたかった。
ごまんと居てたまるかと。
だが、妻は納得したようだ。
解せぬ。

 「では、貴方様はどこぞの道場主か師範代なのでしょう?」
 「そんな腕前ではないですよ。
私は修行中の身でして、強い道場を探し歩いておる最中です。」

 それを聞いて 一之進は素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げた。

 「修行中?! その腕前で?」
 「え? まあ・・。」

 「なら、儂のところに士官せぬか!」
 「いやぁ、それは遠慮しときます。修行中の身なので。」
 「そこを曲げてお頼み申す、是非に!」

 あまりの勢いに、神一郎は後退り(あとずさり)する。
静は夫の(そで)を引っ張った。

 「あなた、命の恩人の意にそぐわぬ事をお願いするのは・・。」
 「え? あ、そうか・・、そうだな・・・。」

 「それじゃあ、私はこれにて失礼します。」

 「いや、まってくれ、後日、お礼をしたい。」
 「そうです! 今のお住まいはどちらに?」
 「いや、そんなのいらないから!」

 そう言うや否や、神一郎は突然駆け出し暗闇に消えた。

 「え?」
 「え?」

 後に残された一之進夫妻は呆然とした。
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