第72話 陽の国:渦巻く陰謀 2 小泉神官・緋の国の使い

文字数 3,179文字

 小泉神官は客間のドアを慌ただしく開いて中に入る。

 中には商人風の人物が一人椅子に座っていた。
小泉神官は部屋に入るとドアを閉め、商人の正面席に向う。

 商人は席から立ち上がり小泉神官に挨拶をする。
神官に対する敬虔な信者の取る挨拶だ。

 「小泉神官、ご無沙汰しております。」
 「いえいえ、席を外していて申し訳ない。」
 「とんでも御座いません、まだ執務時間には早い時間に来た私が悪いのです。」

 商人風の男は慇懃(いんぎん)に腰をおり挨拶をする。
挨拶をし終えると、小泉神官と目を合せ微笑んだ。

 だが、この男の目つきは鋭い。
顔は柔和に笑っているが、目が笑っていないのだ。
そんな目を見ても、顔色一つ変えずに小泉神官は商人に声をかけた。

 「お座り下さい。」
 「はい、ありがとうございます。」

 小泉神官と商人は互いに席に着いた。
テーブルにはお茶が出されていない。
どうやら、この商人が客間に通されてから時間はさほど経っていないようだ。

 「ところで今日の用件は・・」

 そう小泉神官が言ったところでドアがノックされた。
小泉神官は、このノック音に不快な顔をする。
そして、小さくチッ!と、舌打ちをした。
しかし、すぐに何時もの笑顔に戻る。
そしてドアの方を向いて声をかけた。

 「入りなさい。」

 ドアが開かれ、側仕えが入ってくる。

 「お茶をお持ちしました。」

 そう言うと側仕えは机にお茶を置き、小泉神官の後ろに付こうとする。

 「ああ、そうだった、すまぬが信者からの陳情書を取ってきてくれ。」
 「え? 今ですか?」
 「うむ、執務に戻ったときに直ぐに見たいのだ。」
 「はぁ・・、分かりました。」

 一瞬、側仕えは不可解な顔をしたが、何も言わず部屋を出て行った。

 「すみませぬ、で、用件は?」
 「言わずと分かっているのではございませぬか?」
 「姫御子の件でしょうか?」
 「分かっているなら、報告してください。」

 「姫御子はこの国の至宝とも言える方ですよ?」
 「・・・。」
 「そんなに簡単に事が運ぶとでも?」
 「それなりの資金援助などしておりますが?」

 「ええ、それには感謝しております。
 しかし、思った以上に人の買収が進んでいないのですよ。」
 「・・・。」

 「さらなる援助があればいいのですけどね。」

 そう言って小泉神官は笑みを深くして商人を見つめた。
商人は眉一つ動かさずに、黙って聞いている。

 「国を裏切る行為を知られないように事を進めるのは大変なのですよ?」
 「そんな言い訳を聞きに来たのではないんですよ。
 それに、そんな分かりきった事を承知の上での協力を申し出たのでしょう?」
 「まあ、そうなんですけどね。」

 小泉神官はわざとらしい溜息を吐き困った顔をする。

 「で、進捗はどうなっているんですか?」
 「先ほど、姫御子への接触に成功したんですよ。」
 「守備は?」
 「そう簡単にいくと思いますか?」
 「・・・。」
 「まあ、さすが姫御子ですな、揺さぶったのですが動じない。」
 
 そう言って小泉神官はいかにも残念そうに顔を顰めた。
その様子を見ていた商人は感情のない声で話す。

 「今まで私は貴方のする事に何も口を挟まず、言うがままにしてきております。」
 「ええ、それには感謝しております。」
 「その結果、成果らしき物が一つもないのが残念です。」
 「それれについては、心苦しいしだいです。」
 「今日、私は忠告に来たんですよ?」
 「忠告・・・・。」
 「わが君(皇帝)は、慈悲深く懐が広い方でいらっしゃる。」

 小泉神官は、商人が何をいいたいのか察したようだ。
顔がすこし青ざめ、額にうっすらと汗を浮かべた。
それでも、笑顔は崩さない。
何も気がついていないという素振りをする。

 だが、商人は見抜いているようだ。
ニヤリとして、すこし間をおく。
そして出されていたお茶を手に取ると、ゆっくりと口に運び味わった。
まるで小泉神官を焦らして楽しんでいるかのように見える。

 「わが君は寛大ですが、無能な人間には寛大ではないようですよ。」

 他人事のように、まるで誰かから聞いた噂のように話す。

 「ああ、そうそう・・最近、ある商人が亡くなったそうですね。」

 その言葉に小泉神官はビクリと体を震わせた。

 「ま、まさか・・。」
 「はて、どうされました? 私は聞きかじったことを言っているのですが?」
 「あ、いえ・・。」
 「その商人、この国を憂い(うれい)ていた人徳のある商人だったそうですね。」
 「・・その・・ようですね。」
 「酷い事が起きるものですね、そう思いませんか?」

 そう言って商人はお茶をテーブルに戻し、ニコリと小泉神官に微笑む。

 「噂ではかなり酷い殺され方だったとか・・、おお、怖い、怖い。」

 小泉神官は真っ青になる。

 「噂なんですけどね、一気に命を落とすのではなく・・、いやはや・・。」

 小泉神官はゴクリと喉を鳴らす。

 「ああいう死に方は、したくないものですね、まあ、神官様には関係の無い世界ですが。」
 「そ、そうですね、そう、成りたくはないですね。」

 小泉神官は、その惨殺された商人を知っていた。
衆生からは貧しい者に施しをし、国の事業へは投資を惜しまずにした者だ。
そして、国を憂いて他国との友好を国に工作していたと聞く。
特に陰の国との商談を進め、国にも友好を計るように進言をしていた。
その反面、緋の国に対しては国に距離を取るよう訴えていたと聞く。

 その商人がある日、強盗にあったのだ。
一家惨殺、生き残った者はいない。
その惨殺さは目を背けたくなる有様だと噂がながれていた。
とくに乳児の孫さえも容赦なく命を絶つという所業だ。
商人を慕う者や、商人を知らない者達でさえ涙を流したと聞く。

 まさか、この商人が・・。
いや、たぶんそうであろう・・。

 商人は小泉神官に、改めて笑いかける。

 「まあ、融資の追加は致しましょう。」
 「あ・・、ありがとうございます。」
 「それであの件については、今日から一月の猶予を差し上げましょうかね。」
 「ひ、一月! い、いや、それは!」
 「ほう? では、我が君にできないと言っていたと報告するとしましょう。」
 「あ、いや、待って下さい! 一月で目処を立てます!」
 「目処?」
 「はい、目処まででなんとか!」
 「その目処は確実に手に入るという確証付きでしょうか?」
 「も、もちろんです!」
 「・・・・。」

 商人は目を瞑り(つむり)、腕を組む。
小泉神官は、緊張で唾を飲み込もうとした。
しかし、喉がからからでできない。
自分の目の前のお茶を飲もうという考えも思いつかないでいた。
そして、商人から目が離せなかった。
商人から目を離すと、自分の運命が決まるような気がしたからだ。

 やがて商人はゆっくりと目を開けた。

 「よろしいでしょう。」
 「あ、ありがとうございます!」
 「では、融資は後日届けましょう。」
 「え? あ、はい・・。」
 「それでは、約束を(たが)えることがないように。」

 そう商人は言うと、小泉神官などいないかのように席を立つと客間を出て行った。
残された小泉神官は、(うつむ)いて震えていた。

 小泉神官は、商人より自分の方が交渉では優位であり上だと思っていたのだ。
自分の甘さに思い知らされた。

 ギリッと奥歯を噛みしめる。
これもすべて姫御子、あの小娘と最高司祭のせいだ。
そう思い、短い溜息を一つ吐き、天井を(あお)ぎ見た。
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