第223話 裕紀・密入国をする・・ その5

文字数 2,196文字

 「え?!」

 そう小さく叫んだ裕紀(ゆうき)に、亀三(かめぞう)は後ろにいる裕紀を振り返らず低い声で言う。

 「裕紀様、あまり大きな声を出さないように。
追跡者はまだこちらの姿を捕らえていないかと思われます。
声を出すと自分達がいる方向とおおよその場所がばれます。」

 「す、すまぬ。」

 そう言って裕紀は振り返ろうとした。
亀三は後ろにいる裕紀を振り返らずに、裕紀のその気配を察知した。

 「振り向いてはなりませぬ。」
 「!」
 「そのまま、追跡者に気がつかぬ振りをしていてくだされ。」

 「分かった・・。
だが、こちらの姿を捕らえていないのに振り向いたらいけないのか?」

 「人には気配というものがあります。
そしてここは山奥で周りに人はいません。
このような状況は、人の気配というものは敏感に感じ取るものです。
優れた者なら、なんとなく人の気配を感じ、居る場所がわかるものなのです。」

 「そうか、すまぬ、振り返えろうとしていまい・・。」

 「いえ、私の言葉で振り向くのを直ぐに止めたのはさすがです。」
 「・・・さすがなどと、からかうな亀三よ。」

 亀三はその言葉に苦笑いをした。
普通、そう簡単には振り向こうとした動作を止めることはできない。
かなりの反射神経と、とっさの判断が必要だ。
裕紀には、その自覚がないようだ。

 裕紀は亀三に小さな声で話しかける。

 「誰がつけてきているのだろうか?」
 「先ほど、こちらへ来る時に別の方向に行った者達ではないでしょうか?」
 「・・・。」

 「たぶん何らかの理由で、あの分岐路に戻ってきたのでしょう。
そして私達の痕跡に気がついてしまったのでしょうね。」

 「え?! あれほど慎重に痕跡を残さないようにしたのに?」
 「まぁ、仕方のないことです。
私達が追跡している痕跡に、私達の痕跡が加わったのですから。
私達がこの痕跡を見つけるよりは、楽に見つけられるようになったのは確かです。
私達は彼らの案内役になってしまったのかもしれませぬな。」

 「これは・・まずい、よ、ね?」
 「ええ、まずいですね。」
 「巻くことはできるかな?」

 「巻くだけならなんとかできるでしょう。
自分達は隠れて彼奴らをやり過ごす事は可能でしょう。
ですが・・・。
この山は人の痕跡が少なすぎます。
私達が追っている痕跡に彼奴らは気がついてしまいました。
ですから、あの痕跡を追うことでしょう。
もし、あの痕跡が宮司様の物で、彼奴らが何らかの理由で宮司様を追っていたら・・。
宮司様は見つけられてしまいますな。」

 「では・・どうすれば・・。」
 「彼らを始末するしかありませぬ。」
 「つっ!・・・。」

 「裕紀様は隠れていて下さい。」
 「亀三、お前一人で対処できるのか?」
 「・・・。」
 「私も手伝う。」

 「裕紀様は人を殺したことがありますか?」
 「え?! そんな人殺しなど有るわけがないだろう?」
 「では、聞きます、彼らを殺せますか?」

 「待て!彼らを殺す必要などないであろう?」

 「相手がこちらを殺す気でも、ですか?
相手が殺す気できているのに、こちらは殺す気がない。
裕紀様は、殺されますよ?
殺す気できている者を、殺さずに撃退するなど武芸を極めた者でも難しい事です。」

 「・・・。」

 「追跡している痕跡から離れた適当な場所に身を隠して下され。
そうしないと命を落としますよ。」

 「わかった・・、だが、お前は大丈夫なのか?」
 「言ったでしょ? 私は武芸の心得があり強いと。
そんじょそこらの武芸者になぞ負けませぬ。」

 「そうか・・、それを信じてお前に従おう。」
 「ありがとうございます。
では、走って!!」

 その言葉に裕紀は全力で走った。
暫くすると背後から刀の交わる金属音がした。

 ガキッ!
キン! カン! ガシッ!

 裕紀は林の中を駆け、身を隠せる木の陰に回りこんだ。
命がけで走ったため呼吸が苦しい。
肺が必死で酸素を取り込もうとする。
だが、呼吸をすれど酸素が追いつかない。
やがて咽せ込む。

 ガハッ、ゴホッ!!

 追っ手に気づかれてはまずい!
必死に呼吸を整えながら、様子をうかがう。
まだ亀三が追跡者をこちらに来させないように踏ん張っているようだ。
一人も姿を現さない。

 やがて呼吸が落ち着いてきた。
目を皿のように開け、追跡者の動向をうかがう。

 しばらくすると亀三が50m程離れた場所を疾走し通り過ぎる。
その後を追跡者が追いかける。
全員抜き身の状態であった。

 追っ手は縦一列に並び、各々が適度の間隔を開け音も立てずに走って行く。
それもかなりの速度だ。
信じられない光景である。

 追っ手は十人近い。
亀三一人で対処できるとは思えない。
どう考えても無理だ。
裕紀は隠れた場所から追っ手に気がつかれないように出た。
そして間を十分に開け後をつける。

 木立で姿が見えなくなる。
そして再び、追っ手の姿が見えた時だ。
亀三がいつの間にか彼らの最後尾に居た。
彼らは亀三を見失い、走る速度を落としたもののそのまま走り続ける。

 亀三は、最後尾の者に気づかれないように近づき(ほふ)っていく。
一人、二人と。
それも音を立てずに。
それは神業(かみわざ)としか思えない。

 しかし5人目の時、突然、鳥が声を上げた。
最後尾にいた者が、その声に後ろを振り向く。
そして亀三に気がついてしまった。

 「何やつ!」

 その声に追っ手の者達が一斉に立ち止まった。
そして、すぐさま亀三を取り囲むように動いた。
統制の取れた見事な動きである。

 亀三は取り囲まれた。
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