第258話 陽の国・裕紀 その4

文字数 2,623文字

 与平(よへい)裕紀(ゆうき)に話す前に、ちらりと養父を見た。
養父はその目線を受け、軽く(うなず)いた。

 与平は一度口を軽く閉じ、話し始める。

 「間宮(まみや)様と初めてお会いしたのは、間宮様がお客として泊まり頂いたときでございます。」
 「この宿にですか?!」
 「はい。」

 「よ、養父様、そのようなお金、どこから?
ま、まさか盗みとか!」

 「ば、バカ者! そのような事はするか!」
 「ではどこからそのような豪遊ともいえるお金が!」

 「豪遊?
それはちと大げさではないか、裕紀?」

 「そうですか? この宿、どう考えても庶民が安易に泊まる宿には思えませんが?」
 「・・まぁ、そうだな、泊まれんことはないが普通は泊まらんな。」
 「でしょ? ならば・」
 「あのなぁ、裕紀、(わし)が自腹で泊まったのではない。」
 「?」

 「まぁ聞きなさい。
昔、儂がこの近くにある道場に教えを()いに行ったのだ。
そしてそこの道場主と意気投合してだな、この宿に無理矢理つれて来られたのだ。
その道場主が与平と幼なじみであったということだ。」

 「そうなのですか?
ただその道場主様のご厚意でここに泊まっただけにしては、与平様とあまりにも仲が良さそうに見えるのですが?」

 「それについては私がお話しましょう。」

 そう言って与平が話し始めた。

 「その道場主は吉兵衛(きちべえ)といいましてな、人徳(じんとく)があり腕もたったのですよ。
それがあっさりと間宮様に負けたというではないですか・・。
そして二人して儂の所に押しかけたのですよ。
まあ、吉兵衛はなにかと気があった者を儂の所につれてくるのですよ。
そして離れでドン茶か騒ぎをする。
それも吉兵衛はびた一文(いちもん)も払わず、私の(おご)りとなるのが常ですがね。
私も吉兵衛が連れてくる御仁(ごじん)は楽しい人が多く拒む理由もないのです。」

 「はぁ・・。」

 裕紀はあっけにとられ、気のない相槌(あいづち)を打つ。

 「間宮様がおいでのときは、それはもう盛り上がりましてな。
深夜まで飲み明かし、吉兵衛は酔いつぶれてしまいました。」

 「大変だったのですね。」

 「ふふふふふ、まぁ、そうですね。
酔いつぶれた吉兵衛は寝所に押し込め、夜更けまで間宮様と私は語り合っていたのです。
すると間宮様が突然立ち上がったのです。
そして口に人差し指を当て、黙るように指示をし明かりを消しました。
そして外に出て、裏木戸(うらきど)で立ち止まったのです。」

 「?」

 「何事かと思っていますと、裏木戸をどうやったのか閂を外して賊が入ってきたのですよ。
これには驚きました。
賊は10人ほどで、あっという間に音も立てずに入ってきたのですよ。」

 「!」

 「入って来た賊は、最初、間宮様に気がつきませんでした。
そんな賊に間宮様が、驚く事に自ら声をかけたんですよ。
おい、お前ら、入るなら玄関から入れよ、と。
さらに、黒装束でくるような場所ではないぞ、とね。」

 「はぁ・・、まぁ、養父様らしいですね。」

 「それを聞いた賊が(ふところ)から匕首(あいくち)を一斉に抜き、有無を言わさず斬りかかってきたのです。
ですが数秒と経たないうちに、賊全てが地面に転がり(うめ)いているではないですか。
私はポカンと口をあけて立ち尽くしました。
何が起きたかわからなかったのですよ。」

 「え? えっと・・、賊が勝手に全員・・石につまずいたとか?」
 「有るわけないだろうが、そんな偶然が!」

 養父が呆れた声を出す。

 「だとしたら・・。」
 「だとしたら?」
 「養父様・・、本当にすごいのですね?」

 それを聞いて与平は笑い始めた。

 「ははははははは、ご子息は本当に間宮様のすごさを知らなかったのですね?」
 「笑うな与平・・。」

 そう言って養父は苦い顔をした。

 「裕紀様、まぁ、間宮様がいなければ私は今頃はあの世です。
命の恩人なのですよ。
私だけではない、ここで働いている者も。
泊まり客にも危害があったかもしれないのです。
賊からみれば間宮様がいたのが運の尽きですけどね。」

 与平はそう言うと養父を見た。
与平は話しは終わったとばかりに、茶の湯を立てようと立ち上がり養父に声をかける。

 「さて、それでは茶でも立てましょうかな?」
 「茶か?」
 「ご不満でも?」
 「儂は、お茶より おちゃけ の方がよいのだが・・。」

 「養父様! まだ夕餉(ゆうげ)には早い時間ですよ!」

 「裕紀様、まぁよいではないですか・・。
そうですか、では、そう致しましょうか。
これ、お酒を持て!」

 そう言って与平は手を叩いた。
すると戸口の外から、女中であろうか返事があった。

 「はい、直ぐにお持ちいたします。」

 「養父様・・・。」
 「まぁ、これも旅行の醍醐味というものだ。
お前も大人になるとわかる。」

 「そうでございますよ、裕紀様。」
 「・・・はぁ、与平様がそうおっしゃるなら・・。」

 お酒が来るまでの間、与平と養父は昔話しをし始める。
裕紀がそれに口を挟まずに聞いていると、やがて女中がお酒と(さかな)をもって来た。

 「ささ、どうぞ間宮様。」
 「おお、すまぬな。」

 そう言って養父は美味しそうにお酒を飲む。

 「裕紀様も、どうぞ。」
 「いえ、私はお酒はまだ・・。」
 「そうで御座いますか、まぁ、無理にはお勧めしませんが。」
 「はい、そうして下さい。」

 与平は残念そうな顔をしながらも、無理にはすすめなかった。
そして二人は酒を交わしながら昔話に興じる。
やがて話しが一段落した頃、まるでそれを見計らったかのように女中から声がかかる。

 「旦那様、お部屋の用意ができました。」

 与平はそれを聞き、養父に問いかけた。

 「間宮様、どうなさいますか?」
 「そうだな、部屋に案内して頂こうか、な、裕紀。」
 「はい。」

 「馳走(ちそう)になったな、与平。」
 「とんでもございませぬ。
滞在はいつまででもかまいませぬゆえ、ゆっくりと泊まっていって下さいまし。」
 「ああ、ありがとう。」

 そう礼を言うと養父は裕紀を伴って女中に部屋へと案内された。
だが、その部屋を見て裕紀が固まる。

 「よ、養父様・・、こ、この部屋は。」
 「ああ、良い部屋だな、まぁ殿様の宿指定でもある宿だからなぁ。
まぁ、そんなに緊張するな。
この部屋は殿様専用の部屋からすれば、大したことはない。」

 「た、大したことはないと言われても!」
 「与平のご厚意だ、無碍(むげ)にはするな。」
 「・・・・。」

 その部屋はあまりにも豪勢であった。
床柱や調度品の数々は黒檀や紫檀が使用されていた。
机も重厚な(うるし)塗りで蒔絵(まきえ)がしてある。
欄間(らんま)も素晴らしい。
とてもではないが、一介の神社の者が一生泊まれるような部屋ではなかった。
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