第269話 解脱への道

文字数 3,024文字

 最高司祭と、宮司(ぐうじ)裕紀(ゆうき)神薙の巫女(かんなぎのみこ)が宿に戻っても話し合っていた。
結局、二人の話し合いは翌日の未明まで続いたようだ。
だが、二人の話し合いの結果は、裕紀と神薙の巫女に話されることはなかった。

 翌朝、最高司祭と神薙の巫女は宿を立った。
神薙の巫女は名残(なごり)()しそうに何度も振り向いては去って行った。
裕紀はというと笑顔を浮かべながらも、両手をきつく握りしめていた。

 二人を見送り宿に戻ると宮司である養父と裕紀は向かいあった。

 「裕紀、神薙の巫女様がご無事で危険が無いことは分かったな?」
 「はい。」

 裕紀は返事をするとともに、陽の国にいる理由を無くしたことに目線を少し下げた。

 「では、これからの事を話すので心して聞きなさい。」
 「はい。」
 「これから国に帰る。」
 「・・・はい。」

 裕紀はやはり、という感じでその言葉を聞き(うつむ)く。

 「なにを(しお)れておる? 分かっていた事であろう。」
 「はい・・、仰る(おっしゃる)通りです。」

 「うむ、それなら良い。では、(わし)はお前に聞きたい事がある。」
 「何で御座(ござ)いましょうか?」
 「お前と神薙の巫女様に降りた御神託(ごしんたく)、お前はどのように実行するつもりだ?」

 「実行すると申されましても、私が神薙の巫女様の側におらねばどうしようも・・。
神薙の巫女様に近づけないのに、どう助力をせよと?」

 「だから近づけたとしてだ、御神託をどのように実行するつもりだったのだ?」
 「近づけたとしたならば、ですか?」
 「そうだ。」

 裕紀は黙り込んだ。
養父は裕紀の返答をジッと待つ。
やがて裕紀は困ったような顔で話し始めた。

 「正直、私にもどうすればよいのか分からないのです。ただ・・」
 「ただ?」
 「・・・。」
 「何だ? ハッキリ言いなさい。」
 「・・・・。」

 「裕紀、言わねば儂は動きようがないではないか!」
 「動く?」
 「・・・・。」

 裕紀はしばらく押し黙った後、ゆっくり話し始めた。
まるで自分に言い聞かせるかのように・・。

 「神薙の巫女様がご自分の思いの通りに生き、そして寿命を全う(まっとう)する事です。」
 「何だそれは?!」
 「(ごう)を持ち生きる事です・・。」
 「業?」

 「はい。女性として生き、女性として死ぬ。
本来、姫御子(ひめみこ)であっては経験することが許されない女性としての業です。
それを経験させる、という事です。」

 その言葉に養父は目を見開く。

 「お、お前・・、一体何を・・・。」

 養父はそう言うと(しば)し裕紀を見つめ、そして問い詰めた。

 「それはお前の願望であり、お前の業ではないのか?」
 「私の願望?・・・。そうですね、確かにその通りなのです。」
 「?」

 「神薙の巫女様に課せられたのは・・。おそらくなのですが・・。」
 「・・・。」
 「報われない男女の仲の感情を体験し、それに(しば)られない事、なのでは、と。」

 養父は再び押し黙り腕を組む。
やがて一つ頷く。

 「そうか・・煩悩という執着を体験させ、それに惑わされない事か。」
 「・・・。」

 「惨い(むごい)試練を与えるものだ、神も。
世間でいう女子(おなご)の幸せなど、本来知ることがない世界に生きる姫御子様だ。
その方に決して実らぬ恋をさせ、それでも姫御子として生きるかの試練とはのう。
神は煩悩に惑わされない魂の巫女かどうか試そうとされているのだな。
残酷な御神託(ごしんたく)を下されたものだ。」

 「・・・。」

 「じゃが・・、神は何故、それを与える? それも御神託を下してまで?」
 「・・・。」
 「そのような意図の御神託など聞いたこともなく、過去にも前例はあるまい。
それに姫御子様の相手にお前を選ぶとは・・。」

 養父は難しい顔になり、裕紀を見つめた。

 「あの養父様・・。」
 「なんじゃ?」
 「御神託とはいえ、恋愛をすること自体、神に仕える者としては、その・・。」

 養父はその言葉を聞き、一つ、ため息を吐く。

 「裕紀、よいか、人とは動物の一つだ。
動物であるがゆえ本能というものがあるのだ。
本能の根幹、それは子孫を残すという事だ。
もしそれが無ければ、その種は絶滅しておる。」

 「・・・。」

 「そのために性欲がある。
性欲がなければ子は生まれぬ。
かといって欲に流されて、その快楽を最優先に生きてよいとは誰も思わぬ。」

 「はい、確かにそうは思います・・。」

 「そして儂は思うのだ。子孫繁栄だけのために生物は生まれてくるのかと。」
 「・・・。」

 「神は動物それぞれに、なんらかの試練を与えておるのだと儂は思っておる。
犬や猫、牛などの生き物は、人になるための試練を受けるために生まれてくるのではないか?
そして人として生まれた者は、さらに魂を高次元の存在にするために生まれるのだと。」

 「・・・。」

 「高次元の存在になるためには、煩悩と呼ばれるものを理解し、それを克服せねばならぬ。
じゃが、これは容易ではない。」

 「・・・何故です?」

 「人は生きるためには衣食住が必要だ。
それらを得ようとして煩悩が生まれる。
物への執着だ。
よりよい生活を求めてな。
儂は思うのだ、神は煩悩それ事態を否定はしてはおらぬ、と。
だが、それに流されるのも良しとはせぬ。
そういう事じゃよ。」

 「つまり・・一切の煩悩というものを取り払う必要はないと?
そして煩悩を理解し、それに引きずられなければよいと?」

 「まぁ、引きずられてしまうだろうが途中で(とど)まれればよい。
人として平々凡々(へいへいぼんぼん)と生きるのであればな。
神とて人全てが高次元に至るとは思って居るまい。
だから、大概は平々凡々に生きても許容されておるのであろうよ。
だからお前と神薙の巫女が恋愛しようとも、神は問題にはせぬであろう。」

 「そうで御座(ござ)いますか・・。」

 「じゃが、平々凡々では高次元の存在とはなれぬ。
だからじゃ・・・」

 「?」

 「神薙の巫女様に、神が何故試練を強要するか分からぬ。
確かに何らかの神との縁があり霊能力者として神薙の巫女様が生まれたのは確かじゃ。
そのような子に、なぜ神は過酷な生き方を与えるのだ?
まるで、あと一歩というところまで解脱をしており、その一歩を推し進めているかのようではないか?」

 「・・・・。」

 「まぁ、よい。 儂らには神の御心など分かりようがない。
お前の思う御神託を実行するには、神薙の巫女様がお前と恋に落ちても流されないという事になる。」

 「・・・。」

 「ところで裕紀よ、神薙の巫女様も御神託を実行する方法はお前の考えと同じなのか?」
 「いえ。」
 「?!」

 「おそらく神薙の巫女様は、私との恋愛が試練だとは思っておりませぬ。」
 「!」

 「ですが、二人に同じ御神託が降りました。
それも神薙の巫女様の解脱です。
私の御神託はその補助です。
何故、男の私に補助を求めるのでしょう?
それに何故か私には確信があるのです。
神薙の巫女様を好きになり、好きになってもらわねばならぬと・・」

 「・・・。」

 「そして霊感の強い神薙の巫女様が、私との恋愛を解脱に結びつけている様子はありません。
ですが何故か私と神薙の巫女様は()かれ合っております。
神薙の巫女様は立場上、人を好きになってはいけないはずです。
ですが何故か私に好感を抱いております。
私はと言えば・・。」

 「・・・。」
 「神薙の巫女様に会った瞬間から、時間を経るに従い好きという感情が強くなるのです。
確かに美しい女性で、()の子として惹かれます。
ですが・・、その事に違和感があるのですが惹かれずにはおれません。
一目惚れと言われれば・・そう・・なのですが。」

 養父はそれを聞き、頷いた。
そしてまた考え始めた。
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