第168話 それぞれの思い・最高司祭 その4

文字数 2,184文字

 師範代(しはんだい)神一郎(しんいちろう)は組み手を取ろうと互いに動き合う。

 それは誠造(せいぞう)の時とは比べものにならないやり取りだ。
道場がシンと(しず)まり、二人の足が床を()る音と道着の擦れ合う音が響き渡る。

 門弟(もんてい)達は驚きに目を見開き固唾(かたず)を飲む。
どちらかが(そで)を取れば、その瞬間勝負が決まる。
皆、漠然(ばくぜん)とそう思い見つめ続けた。

 やがて・・

 ダン!

 床に目に止まらぬ速さで倒され、受け身の音が響いた。
一本を取ったのは師範代であった。

 門弟達は勝負が決まり、知らずに止めていた息を()く。
これほどの緊迫した試合など見たことがない。

 そして門弟達の目は、床に倒れ込んだ神一郎に(そそ)がれた。
あの速さで倒れたのに受け身を取るなど神技といる。
とはいえあの転倒速度だ、ダメージを負わないはずは無い。
そう思った。

 だが、直ぐに神一郎は立ち上がる。
まるで何事も無かったかのように。
道場がどよめく。

 そして師範代と神一郎は()()()()というかのように、また組み手を取ろうと道場の中を素早く動く。

 そしてまた・・

 ダン!

 神一郎が倒された。
だが、また直ぐに立ち上がる。

 それが何回か繰り返され、5本目の試合での事であった。

 ダン!

 初めて師範代が受け身をした。
それに道場が、再びざわめいた。
いままで門弟達は師範代が一本取られたのを見たことがなかったからだ。

 師範代は立ち上がり、もう一試合をしようと向き合う。
だが、神一郎は立った状態で両手を膝につき肩で息をしていた。
師範代が話しかけようとすると、神一郎は膝から右手を離し手を前に出した。
少し待ってくれという事であろう。
そして・・

 「はぁ、はぁ・・ぜぇ、ぜぇ、 ちょ、ちょと・・ま、待って・・」

 神一郎を息を整えようとする。
師範代はというと、汗はかいているものの息は乱していなかった。

 「どうした神一郎。 戦場で敵に待ってくれなどと言うつもりか?」
 「せ、戦場?・・、ゲホッ!・・、ぜぇ、ぜぇ。」

 なかなか息が(ととの)わない神一郎に、師範代は肩をすくめた。

 「しかたがない、今日はこれまでとしよう。」

 その一言に、神一郎はその場で仰向け(あおむけ)に倒れ込んだ。
その状態で流れ出て止まらない顔の汗を袖で(ぬぐ)う。

 「どうだ、神一郎、お前は自分の技量が分かったか?」
 「はい、まだまだ未熟だと思い知らされました。」
 「なら、どうする?」
 「今以上強くなれるか武者修行を続けます。」
 「ならば、この道場に通え。」
 「え?! よ、よろしので。」
 「うむ、儂の直弟子にしよう。」

 師範代の声に門弟達は一瞬息を呑む。
門弟の一人が、師範代に食いつく。

 「師範代、それでは当道場の秩序が乱れまする!」
 「ほう・・秩序とな?」
 「ええ、ここに長年通う者達に示しがつきませぬ。」
 「馬鹿者!」
 「?!」
 「ここは道場だ! 年功序列が実力だとでも言うのか!」
 「そ、それは・・。」
 「お前は神一郎に勝てるのか!」
 「ぐっ!・・・、い、いぇ・・・。」
 「弱い者が、強い者より偉いのかこの道場は!」
 「・・・。」
 「確かに強いだけでは問題もある。
犯罪者がこの道場に通うような事はあってはならぬ。
強さと誠実さが武芸者の資質だ。
神一郎は強さという面ではお前らより上だ。
では神一郎はこの道場に対し礼を欠いておったか?
武芸者としてあってはならぬ行動でもしたか?」
 「い、いぇ・・・。」
 「ならばお前は何を持って意見をする。」
 「・・・す、すみませぬ。」

 師範代は意見をした者から視線を外し、道場の四隅に座っている門弟をゆっくりと見回す。
そして門弟達に聞く。

 「神一郎を儂の直弟子(じきでし)にすることに異議のあるものはおるか?」

 門弟達は誰も否とは言わなかった。

 「うむ、異存がなければ・・・。 神一郎!」
 「はい・・。」

 神一郎は倒れたまま返事をした。
呼吸は落ち着いてきたが、まだ立ち上がれそうもない。

 師範代は神一郎を見下ろし心配そうな顔をする。

 「まだ立てそうも無いか?」
 「・・はい、無理です、降参です。」
 「ならそのままで聞け、お前は明日からここに通え。」

 「ゲホゲホ、ゴホッ!」
 「・・・大丈夫か?」
 「だ、大丈夫で・・、ゲホッ! ほ、本当に、よ、宜しいので?」
 「だから、そう言っておろう?」
 「あ、ありが・ゲホッ!」

 「お前は、技に切れがあり体幹もよい。
相手を崩す技も歳にしては上出来だ。
だが、体裁き(たいさばき)に無駄があり、それで息が上がるのだ。」

 その言葉に道場がどよめく。

 「お、おい! し、師範代が()めたぞ?」
 「あ、ああ、何か悪いことでも起こらねばよいが・・。」
 「う~む・・、天変地異が起こりかねん。」

 「ゴホン!」

 師範代は門弟(もんてい)達のヒソヒソ声を聞き、一つ、(せき)をした。
まさか自分が褒めるだけで、これほど言われるとは思わなかったのであろう。

 「神一郎、お前は泊まる当てがあるのか?」
 「ゲホッ、ゴホッ・・・あ、ありません。」
 「さて、それではどうしたものかのう・・、この道場はもう満杯だしのう・・。」

 師範は思案顔になる。
どう考えても神一郎は路銀を差ほど持っていそうも無い。
そんな師範代に神一郎は申し訳なさそうな顔をし聞いてきた。

 「し、師範代、あ、あの、この道場の束脩(そくしゅう)(入門料)などはいかほどですか?」
 「お前のように見込みがあり金のないものからは取らん。」

 それを聞いた神一郎は・・

 喘いでいた息が・・・ピタリと収まった。驚きのあまり・・。
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