第249話 緋の国・白龍 その11

文字数 2,675文字

 深夜、ゆったりと歩く人影があった。
この日、新月でしかも雲が天を覆っており漆黒の闇である。

 今の時間、出歩く者は一人もいない。
もし、居たとしたならば黒装束(しょうぞく)の盗賊くらいであろう。
だがその人物は平民の服装を(まと)い、提灯(ちょうちん)も持たず暗がりの中を危なげなく歩いていた。
まるでハッキリと道が見えるかのようだ。

 やがて立派な邸宅の前で立ち止まる。
宰相(さいしょう)の右腕・バリスの邸宅である。

 門は固く閉ざされ、シンと静まりかえっている。
夜の静寂(しじま)が耳に痛いほどだ。

 そのような中、その者は突然に飛び上がり高い門を軽く飛び越えた。
それも何のリアクションも無く。
異常な光景であった。

 門を軽く乗り越えたのは白眉である。
屋敷の庭を歩き出す前に、一呼吸、白眉は間を取った。
屋敷の様子を探ったのである。

 「ふむ、不寝番(ふしんばん)(※1)が屋敷の中におるな・・・。」

 白眉は雨戸がしっかりと閉ざされ、明かりが全くないどす黒く佇む(たたずむ)邸宅を見てそう(つぶや)いた。

 「騒がれても困る。眠ってもらおうか・・。」

 そういうと雨戸に向け走った。
足音はせず、土煙がうっすらと上がる。
そして雨戸にそのまま真っ正面から衝突をした。

 だが全く音はせず、雨戸は人型の空洞が開く。
不寝番は突然廊下に現れた平民を見て目を見開いた。
慌てて顔を両手でこする。

 目の錯覚かと思ったのだ。

 そして再び目を向けると、平民は確かに廊下にいた。
慌てて声を張り上げようとした時、急に目の前が真っ暗になり倒れた。

 トスン!

 鈍い音を立てて不寝番は倒れた。
だが、血が流れるでもなく、体に見た限りは傷も(あざ)も無い。
ただ、目の前の白眉は何故か左手を前に突き出していた。

 不寝番は何がおきたか全くわからないだろう。
目を覚ましたとき、おそらく首をひねる事になる。

 白眉は左手を前に軽く突き出し、衝撃波を不寝番のみぞおちに当てたのだ。
殺さないように弱く、しかし確実に気を失うように。

 「さて、一人は片付いた。
バリスとかいう奴の寝所は一番奥の部屋であったな・・。
廊下を歩いて奥に進みさえすれば、たどり着くであろうな。」

 そういって白眉は廊下を歩き始めた。

 この廊下はウグイス張りである。
本来なら人が歩けば、床板が鳴る。
だが、物音一つ立たない。

 白眉の歩く姿はまるで幽霊のように重さを感じない。
廊下を滑るように歩いているのである。

 やがて白眉は、廊下の角にさしかかりそこを曲がって止まった。

 「ふむ・・、ここからが(わな)か・・。」

 そう呟いた。

 「罠を張るのはよいが、考えすぎだな。」

 そういって白眉は微笑(ほほえ)んだ。
罠は確かに万全であった。
罠から人の臭いを消し、また壁の内部に巧妙に罠を隠してあるため見た目では分からない。

 だが・・・。
臭いがしなさすぎるのだ。
この廊下に来るまで、色々な人の臭いが混ざっていた。
しかし、この廊下からは人の臭いが希薄(きはく)なのだ。
とはいえ、ほんの僅かな違いである。
おそらく犬でも気がつかない程の違いである。

 しかし地龍には十分に感じられる違いであった。

 「人間の言葉でいうなら、策士策におぼれる、というところであろうな。」

 白眉はその廊下に入る前の部屋の(ふすま)を二枚ほど外して重ね、半分に折りたたんだ。
本来ならバキリと音を立てたであろうが、無音である。
それを片手で持ち、廊下を進んでいく。

 すると天上の板の年輪に見える場所が突然に数カ所開き、矢が風切り音とともに襲いかかってきた。
白眉は頭上に手に持った襖をかざす。

 トスン、トストス、トスン!

 4,5本の矢が襖に刺さった。
白眉は鼻を少し動かした。
臭いを嗅いだのだ。

 「なるほど、毒が塗ってあるな。」

 そういうと矢を襖から抜き、襖を持ち直してさらに進む。
そして突然に左を向いて襖を己の前に盾のように(かま)えた。

 カッ! カッ! カッ!

 軽い音を立て、小さなナイフ状のものが刺さった。
よく見ると左の柱の一部が、蓋のようになっており開いていた。
暗がりで人の目では見えないが、明るくして見れば仕掛けが見えたであろう。

 だが白眉は全く興味を示さず、刺さったナイフを無造作に引き抜いて床に捨てた。
そして再び歩き始める。

 「面白い。よくこのようなオモチャを考えるものだ。」

 そう白眉は言って口角(こうかく)を上げた。

 暫く(しばらく)歩いて白眉は立ち止まる。

 「落とし穴か・・・。やれやれ、よく考えておるが未熟だな。
目に見えぬ隙間から、風が漏れて床下の臭いがしておる。
それも薬の臭いがな。
薬を塗ってなければ、臭いも少なく気がつきにくいであろうに。
やれやれ、考えが浅はかよのう。」

 白眉は軽くジャンプをして2m程先に着地をする。
着地時、音はしなかった。

 そして暫く進んだときである。

 プスリ!

 軽い音とともに、廊下横の(ふすま)から突然、(やり)が繰り出された。
襖の影に潜んでいた者がいたのだ。

 だが白眉は少しだけ身をよじったため、槍は白眉の腹の前を横切った。
もし、よじらなければ普通の人間なら横腹を(つらぬ)いて反対側に抜けていたであろう。

 白眉はその槍を手で軽く握ると、そのまま槍の突かれた方向にさらに引っ張った。
槍は廊下を挟んで反対側にある雨戸を貫き、槍を持った男が襖を倒して廊下に飛び出てきた。

 白眉は男につられて倒れて来た襖を左手の手刀で半分から折るとともに、男の腹に入れる。

 ウグッ!

 鈍い声をあげ、男は半分に折れた襖とともに廊下に倒れ込んだ。
トスンという軽い音とともに。

 「おお、危なかった・・。
人がいるとはのう。
儂が関知できないようにしてあったのか。
だとすると前の者たちは、この罠を隠すため(わざ)と儂が察知できるようにしておったのか・・。
よく考えたものよ。
それにしても槍にも毒を塗っておるとはのう。
危うく手で槍を掴むところであった。
危ない、危ない・・・。」

 白眉にとって、槍など突かれても(うろこ)を体表に出せば防げる。
ただ、そうはいっても軽く僅かであるが鱗に傷が付くのだ。
さすがに軽い傷でも、毒は触れただけでも体に廻る。

 「いったい毒草をどれだけ仕入れたというのだ、バリスは・・。」

 白眉はそういうとともにため息をついた。
それというのも神命霧草一つで取れる毒はほんの僅かだ。
今までの罠と、この槍の毒だけで軽く見積もっても100株以上はある。
一つの崖に生える量は、ほぼこれに等しい。

 つまり一つの崖に群生している神命霧草を根こそぎ取ってきたことになる。
普通では考えられないほど調達したという事だ。

 「もうこれ以上は毒を仕込んでいるとは考えられないのだが・・。」

 白眉はそう言いながら廊下を進む。

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参考)
※1) 不寝番 (ふしんばん)
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