第245話 緋の国・白龍 その7

文字数 2,385文字

 バリスの屋敷からそっと抜け出す人影があった。
皇帝の影を勤める男である。

 男は屋敷から離れ、夜の人混みに(まぎ)れるとため息をついた。

 「やれやれ、危なかった。
(わし)としたことが、油断をした。
テンスとかいう者に気取(けど)られるとはな・・。」

 そう(つぶや)きながら皇帝の元に向かう。

 ---

 この影の男、名をスーダンと言う。
もちろんこの名前は本当の名ではない。
影に名前などない。

 そしてこの男は不思議な能力を持っていた。
消えることができるのだ。
消えるといっても透明人間になるわけでもなく、壁や床を通り抜けられるわけではない。

 彼が目の前にいても、人は認識できないのだ。
普通に目の前に居たとしても、誰も気がつかないのである。
彼が目の前でタバコを吸っていても、何かを落として割って音を立ても。
彼が手に持つもの、彼が立てた音、吸ったタバコの臭いさえもが認識できないのである。

 そう、彼が自分を相手に認識させないよう意識している限りは・・・。

 彼は他国から流れてきた者だ。
小さい子供の頃に両親に連れられて()の国へ密入国してきたのだ。

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 スーダンと両親が山頂にある国境を超え緋の国に入った直後の事である。
不幸にも盗賊と出くわしてしまったのだ。

 父親は武芸の心得があり、妻と子に逃げるように言うと盗賊と刃を交えた。
母は子を抱え盗賊から逃げ出した。
だが多勢に無勢、父親は斬り殺され母と子は(がけ)へと追い詰められた。
そして足を踏み外して母と子は崖下に落ちた。

 スーダンが意識を取り戻した時、スーダンは息絶えた母親に抱かれていた。
母親がクッションとなり、スーダンは助かったのだ。
盗賊達は崖が急峻(きゅうしゅん)で降り口がないことから、諦めてどこかに去って行った後であった。
スーダンは()き叫び、暫く母から離れなかった。

 だが、泣いても叫んでも答えてくれない母、やがて耐えきれない空腹に食べ物を求めて渓谷を彷徨(さまよ)った。

 そして出た先が、皇帝の(たか)狩りが行われている場所である。
このとき現皇帝は皇子であり、馬に乗り鷹が捕らえたウサギに迫っていた。
鷹がウサギを捕らえたのは、スーダンの直ぐ近くであり、スーダンは慌てて隠れる場所を探す。

 だが、周りは松林であった。
密集していない松林では人は隠れようがない。
子供とはいえ松の影に隠れても、移動する相手から見えない位置に的確に移動するのは無理がある。
スーダンは賢い子であったので、そのことは分かっていた。
幸いな事にスーダンは自分の能力を知っていた。
認識阻害の能力を。

 その能力があるのは一族が神の眷属の末裔であったからだ。
だが、祖父母も両親も眷属の能力は受け継いでいなかった。
息子に突然能力が現れたのである。
隔世遺伝、または先祖返りと言ったら分かりやすいであろうか・・。

 その能力に為政者が目をつけたため、両親は国を捨てることにしたのである。
我が子がこのままでは普通に暮らせないと判断をしての事であった。

 姿を消せる能力を使えば、普通ならば十分に人をやり過ごすことができた。
だが、皇子に対しスーダンは能力を使うと同時に松の木を昇り始めた。
皇子の目線より高い位置、樹上の茂みに隠れることにしたのである。
近づいてくる皇太子に恐怖を抱いたのだ。

 姿を消しただけでは駄目だと本能が知らせていた。

 しかし空腹で力が入らず、枝から足を滑らせてしまった。
木から落ちて(したた)かに背中を打ち付けたスーダンは意識を失う。
それとともに姿をあらわしてしまったのだ。

 皇子はウサギを捕らえた鷹に近づいた時、近くの松からドスンという音を聞いた。
すると音がした位置から突然にスーダンが姿を現したのだ。
それも気絶をした状態で。

 突然姿を現した子供を見て、皇子は目を見張った。
だが驚きながら、瞬時に今目の前で起きた事を冷静に分析し始めたのである。

 驚くべき冷静さである。
普通なら素性不詳の者が目の前に突然現れたなら、驚いて冷静さを欠く。
即座に身を守るため直ぐに衛兵を呼び寄せたであろう。
だがそうしなかった。
瞬時にスーダンが気を失っているのと、周りに怪しい気配がない事を確かめただけである。

 そして皇子は考えた。
暗殺者なら自分の前で気を失うようなドジは踏まない。
よってこの者は自分から逃れるため木の上に隠れてやり過ごそうとしたのであろう。
だが足を滑らせて木から落ちたと判断した。

 そして突然現れた現実を冷静に分析し可能性について見当をつけたのだ。
彼の能力に。

 皇子は気を失ったスーダンを連れ帰った。
部下にするためである。
とうぜん周りの者達は反対した。
だが皇子は全ての者を黙らせたのである。

 スーダンは目覚めた時、手厚い看護をうけていた。
木から落ちて肋骨を折っていたのである。
そして病院で父親の死亡、及び母親の死を知らされたのである。

 面会に来た皇子は、スーダンにお前は姿を消せるのかと、直裁(ちょくさい)に聞いた。
スーダンは両親から能力については話してはいけないと言い聞かされていたが、痛み止めの薬で朦朧(もうろう)となっていたため素直にそれを認めてしまったのである。

 皇子は自分の臣下になれとスーダンに命じ、スーダンは皇子に(つか)える事を誓ったのであった。
権力者に使われるのを恐れた両親が自国を捨ててまで息子を守ろうとしたことは徒労に終わったのである。
だがスーダンにとって衣食住が保証され、生きながらえる事ができた事は確かである。

 皇子はスーダンに能力があるその理由を尋ねた事がある。
だが、スーダンは何故自分にそのような能力があるのか分からなかった。
神の眷属の末裔だということを知らなかったのだ。
いや、一族が既にそれを忘れ去り知らなかったのである。

 皇子はスーダンの能力が何故あるのか特に興味はなかった。
自分に忠実で優秀な駒として仕えさえすれば、それだけでよかったのである。

 こうしてスーダンは城内でも能力を知られることなく、皇子の影として働くことになったのである。
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