第184話 祐紀・地龍の状況を知る

文字数 2,637文字

 地龍が結界から抜け出してから1週間ほどたった頃の事である。

 祐紀(ゆうき)寺社奉行(じしゃぶぎょう)佐伯(さえき)から呼び出されたのだ。
寺社奉行所に行くと、そこは蜂の巣を突いたかのごとく騒然としていた。
門から入ることさえ躊躇する様子に祐紀は唖然とする。

 とはいえ御奉行から呼ばれた身でもあるので、門を潜り玄関に向かった。
だが玄関に辿り着いた祐紀は取り次ぎをお願いしようしても、祐紀に誰一人として目を止めてはくれないのだ。

 慌ただしく玄関から飛び出して行く者、玄関に飛び込んで来るなり奥に一目散に入って行く者が後を絶たない。
その者達は、誰一人として祐紀に目を止めないのだ。

 祐紀は玄関に駆け込んで来た同心の(そで)を必死に捕まえた。

 その途端に 邪魔をするな! と、怒鳴られた。
しかしここですみませんと袖を離せば、いつまでたっても佐伯に会うことはできない。
祐紀はひるむこと無く、早口で御奉行の佐伯様からの呼び出しで来たことをその同心に伝えた。
するとその者は、玄関で待っていろ! と、怒鳴りつけると同時に袖を払い奉行所内に駆け込んで行ったのだ。
 
 取り残された祐紀は、呆然とその同心の背中を見ていた。

 「本当に佐伯様に取り次いでくれるのだろうか・・・。」

 そう思わず呟いた。
そんな祐紀を、後から駆け込んで来た同心が怒鳴りつけた。

 「ええい! 邪魔だ退()け!」

 祐紀は慌てて玄関の隅に飛び退()いた。
それから待つこと小一時間、やっと案内の者が祐紀の前に現れた。

 その者に挨拶をしようしたが、「ついてこい」と言うと同時に(きびす)を返された。
祐紀はあわてて草履(ぞうり)を脱いで玄関に上がる。
草履を揃えようとしたが、案内の者は早足でどんどん奥へ行ってしまう。
見失っては大変だと祐紀は草履を揃える間もなく後を追った。

 案内の者は見向きもせず早足で進んでいくため祐紀は小走りとなる。
とてもユックリと歩いて下さいなどと言える雰囲気ではなかった。

 廊下ではひっきりなしに前からも後ろからも同心が駆けていく。
案内の者はその者達とぶつからないよう優雅な体裁きで難なく躱しながら歩くが、後を歩く祐紀は何度もぶつかりそうになる。
その度、すれ違う同心達に睨まれた。

 奉行所内の彼方此方(あちこち)の部屋では、同心達が議論を交わしていた。
穏やかな話し合いでは無く怒鳴り合い、今にも殴り合いが始まるのではないかとさえ思えた。

 以前来たときとはまるで様子が違い、まるで戦場に来たかのようだ。

 だが、この(あわ)ただしさは無理も無かった。
城下では根も葉もない噂が飛び()い、一部の民衆があちらこちらで暴動を起こしていたのだ。
地龍が出た直後に暴動が起きないよう対処をして、一時は民衆は落ち着いたというのにだ。

 事の発端は出所不明な剣呑な噂が飛び交ったことだ。
地龍が城下町を今日か明日にまた襲うという根も葉もない噂である。
この噂が落ち着きを取り戻した城下町にあっという間に広がり、民衆が騒ぎ始めたのである。

 寺社奉行所は本来、民を取り締まる部門ではない。
取り締まるのは町奉行所の仕事であるが、人手が足りず寺社奉行所に泣きついてきたのだ。

 とはいえ寺社奉行所も町奉行所と同じく忙い事に変わりはなかった。
地龍に恐れおののいた民衆が、霊能力で有名な高僧や巫女のいる神社仏閣に押し寄せたのだ。
お祓いや祈祷、お守りにより地龍から身を守りたいがために。
そのため民衆が我先にとお願いに上がり喧嘩沙汰となった。
また高僧を(かた)った僧侶や巫女が横行し、高僧らに騙されたと寺社奉行への訴えが絶えない。
さらに寺社の中には、他の寺社に金蔓(かねづる)である民衆を行かせまいとし神社仏閣間での争いも起こっている。
寺社奉行はその対応に追われていた。

 だが町奉行所の要請を無碍(むげ)にもできず、手を貸すこととなった。

 つまり、寺社奉行所は城下で民の不安を煽る者の取り締まりをしながら、寺社の治安を守り、さらには地龍に関する情報集めにと奔走していていたのである。

 特に地龍に関する情報集めであるが、混迷していた。
マタギからの情報や民衆からの目撃情報は、デマや推察、実際に見た情報が入り交じっており、かき集めた情報を吟味し正確な情報を得ようと、奉行所はてんてこ舞いなのである。

 そんな多忙の中、佐伯が祐紀を呼び出したのだ。
おそらく祐紀が地龍のことで悶々としていることに配慮したのであろう。
祐紀は申し訳なさと、地龍の情報を知りたい思いに揺れ動きながら奉行所を訪れたのである。
それに祐紀自信、地龍が解き放された事に責任を感じていた。
佐伯にお目通りをして、このことを()びたかったのだ。

 祐紀は御奉行の部屋に通された。
部屋は奉行所奥にあり、さきほどの喧噪が嘘のようであった。
部屋には佐伯(ただ)一人いるだけで、他には誰もいない。
案内のものは部屋に到着するなり、すぐさま何処かに行ってしまった。

 佐伯は祐紀を見ると、ニッコリと微笑んだ。

 「呼び出してすまぬな、祐紀。」
 「いえ、とんでもございませぬ。」
 「やっとお前と話せる状態になったよ。」

 佐伯は疲労のためか目の下のクマが目立つ。
だが佐伯は柔和な笑顔を祐紀に向けていた。
それにぎこちない笑顔を祐紀は返す。

 佐伯はそのぎこちない笑顔に違和感を覚えた。
祐紀が何かを覚悟しているように思えたのだ。
佐伯は何を思ったのかあらぬ事を口にする。

 「どうじゃ祐紀、儂の代わりに奉行にならぬか?」
 「え?!・・、あ、あの・・今、何と?」
 「儂の後を継いで、寺社奉行にならんかと言ったのだよ。」
 「ご、ご冗談を!」

 「冗談? 冗談ではないのだが?」
 「佐伯様、私は神社の跡取りで御座いますよ?」
 「知っておる。」
 「武家でありませぬが?」
 「そんな事は些細な問題じゃ。」
 「え?」

 「まぁよい、この話しは後回しじゃ。」
 「え? あ、あの・・後回しと言われましても。」

 祐紀は佐伯の話しが理解できず首を傾げた。
あらぬ事を言われたためか、祐紀の思い詰めていた様子が薄らいだ。

 それを見て佐伯は、「よし、肩の力が抜けたな」と心の中で呟く。
人は思いもしないことを言われると、ポカンとして思い詰めた勢いが無くなるものだ。
そういう意味では、この会話は功を奏した。
だが、跡継ぎにならぬかと言ったのは冗談ではなかった。
ともあれ、これはこれ以上今言う事ではない。

 佐伯は気持ちを切り替え、祐紀を此処(ここ)に呼んだ本題を話し始める。
それは祐紀が知りたかった地龍の情報である。

 その話しの中で、祐紀は地龍が聖なる三峰山の一つである刀剣山に(ねぐら)を構えた事を知った。

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