第188話 佐伯の思い・・・

文字数 1,868文字

祐紀が佐伯の御前(ごぜん)を辞去した直後の事である。

 「御奉行、あのような事を言ってよろしかったのですか?」

 佐伯の斜め後ろから声をかける者があった。
部屋には佐伯と祐紀の二人しかいなかったというのに・・・。

 だが佐伯はその声に動じることはなかった。

 「何がじゃ?」
 「何がって・・・、あのような事を・・。」
 「あのような事?」
 「祐紀様に国抜け(くにぬけ)を囁くなど・・。」
 「それがどうした?」
 「・・・御奉行・・。」

 「お前は何を心配しておる?」
 「・・・。」
 「ああ、なるほど、陽の国に祐紀が入れないと思っておるのか?」
 「いえ、そうではありません!」
 「?」
 「あの養父様なら、陽の国など入るのは簡単でございましょう!」
 「なら、何を心配しておるのじゃ?」

 「・・・。」
 「?・・、もしかして・・
お前・・、祐紀が陽の国にいったら神薙の巫女にほだされてこの陰の国を捨てると思っておるのか?」

 佐伯の呆れた推測に、その者は突然くぐもった声で笑った。

 「くくくくく、小指の先ほども思っておりませぬ。」
 「なら何だというののだ?」
 「御奉行のお立場を考えて下さい、と言っておるのです。
誰かが先ほどの言葉を聞いたらいかがなさるのですか?」

 「おや? お前がここに要るというのにこの部屋に近づいたり、盗み聞きする者がおるとでも?」
 「はぁ~・・、御奉行、それは私を過信しすぎですぞ?」
 「そうか?」

 そう言って佐伯は鼻でフンと笑う。

 「ただ御奉行様・・。」
 「なんじゃ?」
 「本当に、神薙(かんなぎ)巫女(みこ)様に祐紀様を逢わせて宜しいのですか?」

 その言葉に佐伯は直ぐに答えず、すこし間を置いた。
そして・・。

 「・・・まぁ、逢わなければ辛く、逢ってもまた辛い事になるであろうな・・。」

 佐伯の言葉を聞き、その者も押し黙った。
やがて佐伯が何も言わないと悟ったのか、何も言わず姿を現した時と同じように忽然(こつぜん)と姿を消した。

 だが、姿を消したといっても佐伯の傍から離れたわけではない。
姿を隠して佐伯の護衛に戻っただけである。

 佐伯は目を瞑り、ぽつりと呟いた。

 「逢っても地獄、逢わずとも地獄よ、なぁ祐紀よ・・。
それがわかっていても逢いに行きたいとはのう・・。」

 佐伯は目をゆっくり開くと首を横に緩やかに振る。

 「いや・・地獄ではないかもしれぬな・・。」

佐伯は思う。

 若いとはよいのう・・・。
純粋に恋をして、相手を只管(ひたすら)に思う。
そして一途に突き進む。
この歳になると、うらやましいとさえ思えるのだ。

 だが・・、現実は残酷なのだ。
それは万が一にも(かな)わぬ恋なのだから。

 そう・・・。
適えてやりたいがそれは立場上、許してはならない。
祐紀の養父にしても同じだ。
祐紀は許されない立場なのだ。

 適わない恋・・、それでも相手を思うのは茨の道であろう。
適わなければ、適わないほど相手が光輝いて見える。
恋い焦がれて悶え苦しむ事になる。
神薙の巫女に逢って相手の危険を回避した後に国に戻り、そして・・
相手を思いながら互いに別の伴侶を娶る。
老いさらばえて死ぬまで、他人に言えない恋い焦がれた相手を思いながら。

 可哀想だとは思うが、定めを受け入れるしかないのだ。

 定めを受け入れる、そのためにには・・・。
未練を残さないことだ。
神薙の巫女に今何もせずにいれば未練を残す。

 だから・・・
相手に逢って自分ができる限りの事をした方がよい。
逢いに行かず一生慚愧の念を抱えるより、逢って自分ができる事をし別れる方がよいのだ。

 残酷な事よのう・・・。

 よりによって初恋の相手が陽の国の姫巫女であった神薙の巫女とはのう。
二人が同じ国に生まれておればよかったものを・・。

 できれば祐紀を陽の国に行かせ、そのまま住まわせてやりたい。
だが、それは儂の立場上、いや、この国として出来ぬ。
我が国は祐紀を他国に渡す事が絶対にあってはならぬ。
殿はおそらく渡すくらいならば、祐紀の命を奪えと儂に密命が下りるであろう・・。

 神薙の巫女にしても同じ事であろう。
陽の国が手放すなど有り得ない。
この国に来ようとしたならば、抹殺されるであろう。
仮にこの国に来たならば、最悪戦争となる。

 祐紀がこの国有数の霊能力者でなかったならばなぁ、と佐伯は思う。
もしそうならば陽の国に渡り、神薙の巫女と幸せに暮らせた未来もあったであろう・・。
いや・・・無理か・・。
霊能力が無くても、飛び抜けて有能な若者だ。
有用な人材を他国に渡すなど儂にはできぬ。

 佐伯は思わず溜息を吐いた。

 「茨の道しかないのだ祐紀・・、覚悟して行くがよい。」

 佐伯はそう呟くと席を立ち、仕事場に戻った。
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