第207話 縁 静の場合 その2

文字数 2,139文字

 一之進(いちのしん)旅装束(たびしょうぞく)の妻を見て、あっけにとられた。

 「お、お前・・、その格好はいったいどうしたというのだ?」
 「決まっているではないですか、貴方様について行くためでございます。」

 「ま、待て! (わし)は武士を捨てるつもりだ。」
 「それがどうかしましたか?」
 「どうかしましたかって・・お前・・・。」

 「暮らしが大変だから私と別れたいとでも?」
 「そういうことだ。」
 「・・・。」

 「俸禄(ほうろく)(給料)が無くなるのだぞ。
無一文だ。
お前においしい物など食べさせてやれぬ。
着物や(くし)などもそうだ。
食べるのも、ままならぬかもしれぬ。
服もおそらくは()()()()()だ。
そのような暮らしにお前をまきこめぬ。
離縁状(りえんじょう)を持ってきた。
お前の器量なら、再婚でも引く手あまたであろう。
(わし)と一緒に苦労などする事はない。」

 「では、私に死ねと?」
 「な、なんでそうなる!」

 「私は貴方と()うときに神に誓いを立てました。
貴方と別れるのは、どちらかが天寿をまっとうした時だと。
神に誓いをたてたことを実行するのは武家のならい。
守れないなら自害をするのが仕来り(しきたり)
違いまするか?」

 「え?・・、あ、いや、ち、違ってはおらん。
おらんが・・。
いやそうじゃない!
こればかりは事情が違うで有ろう!」

 「違いませぬ!」
 「お、お前・・・。」

 二人がやりあっていると、部屋の(ふすま)が開いた。
入ってきたのは、この家の家長(かちょう)、妻の兄だ。

 「これは平九郎(へいくろう)殿・・・。」
 「一之進殿、いかがされた?」

 その言葉に一之進はここに来た理由を話した。
家老一味による暗躍と、自分に危険が迫っていること。
そして妻が一緒にいれば、妻にも危険が及ぶこと。
そして、この家にも・・・。
だから自分は妻に三行半(みくだりはん)(離縁状)を書いて持参したこと。
さすがに家老であっても縁の切れた妻や、この家には手を出さないだろう事を。
そして自分は出奔(しゅっぽん)し、この国で杣人(そまびと)か、マタギにでもなり暮らすこと。
国を出ないのは、この家や妻に何かあったときに駆けつけたい旨も話した。

 それを聞いた平九郎は腕を組んで考え始めた。

 一之進は平九郎に考えるまでもなく早く三行半(みくだりはん)を受け取ってもらいたかった。
自分と縁を切るのが、この家にはもっとも安全な事なのだから。
本当ならこの家に慰謝料を払いたいところだが、あいにくそのような財はない。

 平九郎は腕を組んだまま、一之進に問う。

 「一之進殿、妻の気性を貴様が一番知っているはずだ。」
 「ええ、まぁ、幼ななじみですからね。」
 「それに静との縁談を持ち込んで来たのは、そちらの家でござろう?」
 「それは、私がそう望んだのですから・・。」
 「なら何故、三行半(みくだりはん)など持って来られた?」
 「え?」
 「(しず)()きたのか?」
 「馬鹿を申すでない!」
 「何か静に問題でも?」

 「有るわけがないであろうが!
先ほどから平九郎殿は何をわけのわからん事を言っておるのだ!
静ほどできた妻はおらん!
三国一(さんごくいち)(※1)の妻だ!」

 その言葉に静は真っ赤になり(うつむ)いた。
その様子を見て、平九郎はニヤリとした。

 一之進は憮然として平九郎に言う。

 「儂が静と一緒にいると、静の身が危ない。
それにこの家にも迷惑がかかる。
あの家老に目を付けられれば大変な事となるぞ!
儂の同僚が暗殺されている現状を知っておろうが!」

 それを聞いて平九郎は平然と一之進に言う。

 「静の身の安全は、其方が命に代えても守ってくれるのであろう?」
 「そ、それは今回のような事がなければ命に代えても守って見せる!」

 その言葉を聞き

 「あなた・・。」

 静は嬉しくなり、思わず笑顔を一之進に向ける。
一之進は静に呼びかけられて、思わず静の方を振り向いた。
いつもの癖で、静に呼ばれると振り向いてしまうのだ。
一之進はそれに気がつき、顔を真っ赤にすると同時にソッポを向いた。
そして・・

 「と、とにかくだ、今は非常に危険な状態なのだ!」

 その言葉に平九郎は(うなず)いた。
それを見て、一之進はほっとした。
これで静と、この家は安泰(あんたい)だ、と。

 だが・・

 「のう、静よ。」
 「なんでございましょう、兄上?」
 「お前は武家を捨てた一之進について行きたいか?」
 「はい。」

 静はなんの迷いも無く、きっぱりと返事をした。
それを聞いて、一之進はアングリと口をあけた。

 「一之進についていけば、武家でなくなるぞ?」
 「はい。」

 「一之進も言っておる。
生活の(かて)がなくなるのだ。
その日に食べるものさえ苦労することになる。
着物も買えないぞ。
お前のようなお嬢様育ちには辛い人生となる。」

 「兄上、お言葉ですが・・・。
私はそれほど(やわ)ではございませぬ。
むしろ兄上より健康に自信があります。
それに、です・・・。
贅沢(ぜいたく)な暮らしより、その日の食べ物に困ったとしても一之進様といる方が幸せです。
山の生活など、なれてしまえばそれまでです。
ですが一之進様のいない生活には耐えられませぬ。
女子(おなご)というのはそのような生き物なのです。」

 「お静・・・、お前・・・。」

 一之進はお静が毅然(きぜん)として言い放った言葉に、何も言えなくなった。

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参考)
※1 三国一
この当時、世界は3つの国から成り立っているという考えでした。
つまり、三つの国の中で一番という意味です。
世界1の妻であると自慢をしていたのです・・・あらら・・。
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