第212話 縁 市 その3

文字数 2,604文字

 (いち)奪衣婆(だつえば)から知らされた自分の能力が理解できなかった。
しばし呆然とした後、市は奪衣婆に聞く。

 「私が解脱(げだつ)せずに能力がある事が問題なのですか?」

 奪衣婆は何も言わずに市を見つめる。

 「だから奪衣婆様は解脱をせよと言われるのですね・・。」
 「間違ってはおらぬ、だが・・・。」
 「・・・。」

 「そうよのう・・、その件の前にお前に聞きたいことがある。」
 「なんでございましょう?」
 「お前は私の元に来る前の人生に疑問はなかったか?」
 「疑問・・で、ございますか?」

 「そうじゃ、己の人生のありように。」
 「人生のありよう・・ですか?」

 「お前の家は天皇家筋のある一族に使えていたであろう。」
 「はい、その通りでございます。」
 「お前は英才教育と、徹底した主従関係を教え込まれた。」
 「ええ・・、あの時代の、あの状況ですから、それが当たり前でした。」

 「当たり前か・・、なるほどのう・・。」
 「・・?」
 「一般の人の営みとは違うとは思わなんだか。」
 「・・・。」

 「仕える(あるじ)に、嘘偽り(うそいつわり)をいっさいせず、己のすべてを主に(ささ)げる。
主のためなら、たとえ命でさえも投げ出す。
そのように育てられ、実際にそれを実行した。」

 「はい、それがあの時代の常識でしたから・・。」

 「そうではなかろう?」
 「え?」
 「裏切り、下克上(げこくじょう)(おのれ)の繁栄と栄華だけを求めた利己主義、それらが跋扈(ばっこ)した時代ぞ。」
 「・・・それは、ですが・・。」

 「そのような中、お前は己を(りっ)し、主に嘘をつかず誠心誠意尽くした。
そして主のため己を犠牲にしたのだ。
それにより、お前の魂はあの能力に目覚めたのじゃ。」

 「そうなのですか?
ですが、私は主に主の死を予知した事を伝えておりませぬ。
これは嘘になるのでは?」

 「主に聞かれたわけではあるまい?」
 「それは、そうですが・・。」
 「聞かれていないことを言わなかった、それも主を思ってであろう?」
 「・・・。」

 「それに、自分の死を予知していながら、主の死の方に心を砕いておった。
それほどお前の魂は純粋であったということじゃな。
そしてそれらが天界における解脱要件を満たしたのだ。
だから天界はお前を解脱者として認め、三途の川において解脱の門を出した。
だが、お前はその門をくぐらなかった。」

 「・・はい。」

 「普通、目の前の解脱の門が現れるとを何も考えずに門を潜る。」
 「・・・。」
 「妾の配下の解脱者はすべて疑問に思わず潜ったのだ。
解脱者とお前の違いは門を潜るか、潜らないかだけのことだ。」

 「それだけのこと、でございますか?」

 市は奪衣婆がいったいなにを言いたいのかわからなかった。
私は自分の意思で確かに解脱の門は潜らなかった。
それと一般の人と私の人としての営みの有り様(ありよう)の違いが関係しているのだろうか?

 そう思っていると、奪衣婆はさらなる質問をした。

 「お前は今回転生をしてみて何を思う?」
 「え?」

 「お前の養父、裕紀(帝釈天)の養父を大切に思うか?」
 「はぃ、私を大事にしてくださっている方々ですから。」
 「だが、お前の主ではないぞ?」
 「え?・・・。」

 「お前の主でない者達に、お前は素直に向き合っておる。
今のお前なら、あの者達を守るためならなんでもしよう。
たとえ自分が汚れても、どのような手を使ってでも。
そう思ったことはないか?」

 「・・あります。」

 「では平安時代の自分の家族だったらどうじゃ?」
 「え?」
 「何がなんでも助けたいと思ったか?」
 「そ、それは・・・」

 市は言葉に詰まった。
少し考えたが、答えが出せない。
市は素直に答えた。

 「・・・わかりませぬ。」
 「そうであろうな、今回転生をし人らく生きておる。
つまり、お前は人の家族という有り様(ありよう)を初めて知ったということじゃ。」

 市は、その言葉に困惑する。
平安の時代に生きた時、生き方に疑問は感じなかった。
また今回の転生でも、己のの生き方がそれで当たり前だと思っている。
記憶がよみがえった今でも、疑問にさえ思わなかったのだ。

 なぜ現世の家族の有り様を疑問に思わず受け入れたのだろう?
魂の記憶とは深層心理に深く刻まれている。
生まれた家庭環境や、その社会での常識の影響を受けたとしても、生き様(いきざま)は前世に引っ張られる。
なのに・・。

 不思議であった。
ただ分かるのは、現世(うつしよ)の家族が愛おしいという事だけである。
だが、平安に生きた時の家族がどうでもいいという事とは違う。
もやっとする気持ちを抑え込んだ。

 そんな市にまたしても奪衣婆は質問をする。

 「では愛とはなんじゃ?」
 「え?」

 「平安の時代に生きたお前は異性への愛を知らぬ。
主のみにつくし己の結婚など考えてもおらぬ。
主が心配し縁談を持ってきてもすべてを断った。
男になど見向きもせなんだ。
それというのも主以外を考えないよう己を(りっ)したからだ。
これは神界における解脱条項の一つじゃ。
自己犠牲の精神と、煩悩の滅却として認められる。
神界のこの判断は間違ってはおらぬ。
じゃが、私は疑問に思っておる。」

 「疑問・・ですか?」
 「そうじゃ。」
 「・・・。」

 「よいか生き物とはなんじゃ?」
 「え?」

 「生物すべては(つが)い(夫婦と同義)をつくる。
自己分裂で増える生物は例外じゃがな。
では、番いを作るその目的はなんじゃ?」

 「お(いえ)存続(そんぞく)と一族の繁栄のためかと・・。」

 「では聞く、なぜ平安時代に番いを選ばずに過ごせた?」
 「え?!」

 市は答えに詰まった。
主だけを思い、主のみに自分を捧げた生き方は間違ったなどと考えたことはない。
当然の生き方だったのだ。

 「私はお家より主を選びましたから・・・。」

 「そうか・・。では主を持たずにいた場合で考えてみよ。
さすればお前は番いをつくったであろう。
お家存続や一族の繁栄など考えず、お前が番いを好きに選べたとしよう。
その場合でも、お前は誰でもよいのか?
好き嫌いはないのか?」

 市はその問いに即答できずにいた。

 恋愛にあこがれていないわけではない。
だが、平安時代において自分には役割があったのだ。
主を守るという役割が。
それ以外を考えろと言われても困る。

 だが・・・。
女として生まれたからには好きな人と子をなしたかった。
それをせず己の信念に生きた。
主のみを考えた人生に後悔はない。

 だから、分からない・・・。
恋愛など、さほど重要なものなのであろうか?

奪衣婆様は私に、今回の転生で恋愛をせよと言っているかのようだ・・・。
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