第7話 閻魔大王

文字数 3,106文字

 待合所で待つこと数刻、門番に呼ばれ市は閻魔(えんま)大王と面会をした。

 「(いち)よ、祐紀(ゆうき)という霊のことか?」
 「はい、閻魔様。」
 
 閻魔はすこし目を(つむ)り、なにやら考えているようだ。
(おもむろ)に閻魔は目を開き、市を見つめ話しかける。

 「のう、市よ、お前は奪衣婆の仕事をどう思う?」
 「え? 私がですか?」
 「そうだ。」
 「・・・」

 市は閻魔の質問の意味がわからず、閻魔の顔を見て沈黙した。
閻魔は、その様子をみて苦笑いをした。

 「それでは、奪衣婆見習いになって思うことはあるか?」
 「とくに思うことはありません。
日々、奪衣婆様の補佐として三途の川を監視しているだけです。」
 「そうか・・・」
 「あの・・・、私になにか落ち度でも?」
 「いや、お前はよくやっておる。
まあ、霊に対し多少言葉は乱暴であるが問題にする程でもない。」
 「はぁ・・。
では、なぜに祐紀の相談で私のことを聞くのですか?」

 「ふむ・・・。
奪衣婆がな、市は解脱(げだつ)できるはずなのにしないと相談してきたのだ。」
 「・・・」
 「(わし)はな、一度輪廻転生(りんねてんしょう)させようかと、奪衣婆に言ったのだがな・・。」
 「・・・」
 「奪衣婆は、お前が高次元の霊なので、それは意味をなさないと断言した。」
 「え?・・私が高次元、ですか?」
 「そうだ。奪衣婆見習いなどという低い次元の仕事では合わんそうだ。」
 「そんなことは・・」

 「まあ、聞け。」
 「はい・・」
 「祐紀を見て、どう思った?」
 「・・今までに見たことの無い状況ですので、なんと言えばいいのでしょう・・」

 閻魔は口を挟まない。
市は困ってしまった。
仕方なく自分の考えを言うしか無い。

 「生前は良くも悪くも無い普通の人間として暮らしていたと思われます。」
 「なぜじゃ?」
 「霊の波動の色を見れば私でも分かります。」
 「ふむ・・やはりな。」
 「?」

 「のう、市よ、お前の周りにいる奪衣婆見習では波動の色は見えん。」
 「え!」
 「気がつかなんだか?」
 「・・・」
 
 「奪衣婆はな、お前の波動をじっと見守っておった。」
 「私を・・ですか?」
 「そうだ。
いつ自分から解脱の門を開くのかと。」
 「あ・・あの、私には解脱の門など開けられませんが?」

 「市よ、自分の心に蓋をしていると気がついておろう?」

 市は目を見開いた。
何か自分で開けられそうな扉があることは薄々感じていた。
だが、自分では開けてはいけない、いや、開ける資格がないと、無意識に扉を見ないでいた。
それを奪衣婆様と、閻魔様は見抜いていた。
でも・・と、思う。

 閻魔大王は市の様子を見て、それ以上言及しなかった。
ただ一言、ぽつりと呟いた。

 「奪衣婆は、だいぶ心配しておったぞ。」
 「私を心配・・・ですか?」

そう呟いた市は、つかの間呆然とした。
そして、やがて頬にゆっくりと滴が伝わり落ちた。
ただ、市は自分が涙していることに気がついていなかった。

 その時だった、市は奪衣婆様の暖かな御手が頬に触れた気がして思わず(うつむ)く。

 「奪衣婆様・・」

 閻魔大王は市が突然涙を流し俯いたことに戸惑った。

 「市?」
 「・・す、すみ、済みませぬ・・。
奪衣婆様にご心配をかけていたのですね・・。」
 「うむ・・。
奪衣婆は、お前を娘のように思っておる。
まあ、儂等に娘という人間の概念はおかしいのだがの。」

 その言葉を聞いたとたん、市は思わず嗚咽をもらした。
なんと自分は果報者であろうか・・。
そう思うと自分の内部から溢れ出てくる感情が制御できない。
そして思うのだった・・

 自分は仕えていた女主人に、主の死の予知を伝える事に戸惑い伝える事ができなかった。
せめて主の死の直前に、自分が主の盾になり先に死ぬことで多少の主人の心の支えになりたかったのに、主より先に暗殺されてそれが叶わなかった。
そのため主に安らかな死を迎えるようにできなかったのでは、という後悔を抱え過ごしてきた。
とはいえ、自分は奪衣婆見習いであることは決して疎かにしてはいなかった。
そうするには女主人のことを胸の奥にしまい込むしかなかった。
その結果、偶に女主人を思い出すと、反動で胸が締め付けられた。

 そんな自分の心を奪衣婆様は見守って下さっていたのだ。
そればかりでなく、自分のことを閻魔様にも相談していたなんて・・。
奪衣婆様は、ただでさえ三途の川を流れてくる霊に慈愛の心で接し、常に心を痛めている。
そんな奪衣婆様が、私のように三途の川に流されず、かといって解脱もせぬ愚か者に、そのように気を遣われていたなんて・・。

 物思いにふけっていた市に閻魔は話しかけた。

 「お前に解脱の門を開けろと言っても開けはせんじゃろう?」
 「・・・」

この閻魔大王の問いに市は答えに窮した。

 「そこでじゃ・・
市よ、お前を奪衣婆の見習いを解く。」
 「えっ!」

 市は焦った。
奪衣婆様に心配をかけたあげく、解任され恩返しできないなどと絶対にいやだ!
前の女主人で後悔し、今度は奪衣婆様にも!
なんとしても奪衣婆様に恩返しを!

 そう思ったことが閻魔様に通じたのだろう。

 「市、勘違いするでない。
奪衣婆は、お前に罰を与えるわけでもなく、また奪衣婆に対して何かして貰いたいのでも無い。
お前には心から解脱をできるように取りはからったのじゃ。」
 「いや! でも!」
 「よいか、聞け、市よ。
儂等は多くの人を、より高次元にあげるために存在しておる。
それはわかるの?」
 「・・・はい。」
 「お前も、その一人じゃ。」
 「・・・私など・・」
 「そう言うな。
そんなことを言うと奪衣婆が悲しむ。」
 「・・・・」

 「お前と、祐紀を別世界の別次元に転生させる。」
 「え?」

 「特例として、記憶の一部を残す。
消すのはお前の解脱を阻害している記憶だ。」
 「そ、それはご勘弁を!」
 「ならぬ。
消さねばお前は、変わることはできぬ。
それでは高次元になれるのに、低次元の位置に留まり続け理に反する。
お前は奪衣婆に心配をかけるつもりか?」
 「い、いえ! そのような・・。」
 「これは奪衣婆と儂とで決めた事項だ。
よいな?」
 「はい・・・。」

 「では、お前を奪衣婆見習いを解いて、別世界の別次元に転生とする。」

 そう言って閻魔は懐から水晶玉のような物を出し手を翳す。

 「お、お待ち下さい。
奪衣婆様にお詫びを!」
 「不要じゃ。」

 そう言ったとたんに水晶玉が目を開けないほど一瞬光った。
それを見た市は瞬時に気を失い崩れ落ちた。
そして市の姿は少しずつ透明となり、やがて消えた。
別世界に転生したのだ。

 それを見届けた閻魔は、独り言のように呟いた。

 「のう、奪衣婆よ、これでよかったのか?」

 そう呟くと、何時の間にか閻魔大王の前に奪衣婆がいた。
巫女装束で、麗しい女性だ。
微笑みと憂いをたたえている。

 「ええ、これでよいのです。
あの娘は心根が優しすぎ、また人一倍自分に厳しすぎます。
その人間性が解脱の邪魔をしておりますので。
人生をやり直させる荒療治が必要です。
 「寂しくないのか、あやつが居なくなって。」
 「ふふふふ、どうでしょうね・・」

 そういって奪衣婆は、閻魔と目を合わせた。

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