第133話 川の氾濫・序章

文字数 2,615文字

 陰の国で長雨が続いた。
例年にない長雨だ。
川の水位はみるみる間に高くなる。

 祐紀(ゆうき)は川が氾濫をしたならば、と、気が気ではなかった。
祐紀は寺社奉行(じしゃぶぎょう)佐伯(さえき)へのお目通りを申し出た。
佐伯は川の氾濫に備え陣頭指揮を()っており忙しさのなか、祐紀のお目通りを許可した。

 「如何(いかが)した、祐紀?」
 「如何したではありません! 川の氾濫が・」

 そう勢い込んで話そうとした時、佐伯は自分の口の前に人差し指を当てた。
その所作に祐紀はハッとして、慌てて口を噤んだ。

 ここで地龍の事を言って周りに聞かれたらまずい。
地龍の件は、奉行所の一部と為政者しか知らない事だ。
これを聞いて無駄に変な噂が市井に広がるのは不味い。
川の氾濫に対し不安に思っている人達をさらに不安などにさせてはならない

 祐紀は周りを見回す。
だが佐伯の周りは川の氾濫対応に追われ、祐紀を見ている者はいなかった。
それを確認し、祐紀はホッとすると同時に肩の力を抜く。

 佐伯は祐紀の様子を見て苦笑をした。
佐伯は祐紀に語りかける。

 「祐紀よ、そなたが(あせ)り心配するのは分かる。」
 「でしたら、私も川へ行き・」
 「黙れ!」

 祐紀は佐伯に(にら)まれ息を呑む。

 「お前が川に行って何ができる!」
 「え?! それは・・。」
 「それにだ、お前が行くとなると部下をつけねばならん。
決壊が起きてお前もろとも優秀な部下が巻き込まれたら何とする!」

 その言葉に祐紀は自分の愚かさに気がついた。

 「のう祐紀、お前の実直さと気持ちは分かる。
だが、川に行ったからと言って何もできんじゃろう?
それなのに危険きわまりない堤防になど近づいてなんとする?」

 その問いに祐紀は項垂れ(うなだれ)た。

 「祐紀、(わし)には時間がおいし。
お前と悠長(ゆうちょう)に話す時間などないのだ。
内密な話しのため部屋を変え話す事などできん。
わかるであろう?」

 祐紀は頷いた。

 「祐紀、近う寄れ。」

 そう言って佐伯は祐紀を手招きする。
祐紀は、佐伯の手前2m程のところまで近づき座ろうとした。

 「そこではない、ここじゃ!」

 佐伯は自分の真横をトントンと、右手に持った扇子の柄で叩く。
祐紀は驚いて周りを見回す。
周りもその様子を見て驚いているようだ。

 それはそうであろう。
公の席で、こともあろうに寺社奉行が一介の神官に目通りを許した上に、真横に座るように指示をしたのだ。

 佐伯は、そんな周りをジロリと見回した。
周りの物は慌てて目を反らし仕事に戻る。

 祐紀は佐伯の言われたように、佐伯の真横に座った。
佐伯は声を抑え、周りに聞かせないように話しかける。

 「祐紀よ、其方が地龍を心配するのは分かる。
だがな、こうなってはどうしようもないであろう?
何か手があるのか?」

 「それは・・・ありません。」
 「ふむ、ではどうしようもない事にやきもきしてどうする?」
 「・・・・。」
 「よいか、まだ地龍は出ておらん。
もしかしたら出ないかもしれん。」
 「ですが御神託で・」

 そう話そうとした祐紀の声に佐伯は声を(かぶ)せた。

 「お前の御神託は地龍が出るという事だけであろう?」
 「え?! あ、はい。」
 「それでこの国が滅ぶという御神託であったか?」
 「いえ・・そこまでは・・。」
 「だったら問題ないではないか。」
 「ですが、御神託は曖昧なものです。
災害の規模など具体的にはわかりません。」

 「だったら地龍が暴れて国を滅ぼすと断言しているわけではなかろう?」
 「それは・・そうですが・・。」
 「それに、草薙(くさなぎ)巫女(みこ)の協力が得られずこうなったからにはどうしようもないであろう?」
 「それは・・そうなんですが・・。」
 「地龍はもともと神の使いじゃ。
もしかしたら封印されている間に、正気に戻っているかもしれぬ。」
 「・・・。」
 「のう祐紀、今、儂等(わしら)にできることはなんじゃ?」
 「・・・。」

 「よいか、人は未来を心配して生きてはならん。
そして過去ばかりを考えて生きていてもならん。
人は現在をしっかりと生きるべきなのじゃ。
そう仏も教えておる。
違うか?」

 「いえ・・、その通りです。」

 「では、今の其方は何をして居る?」
 
 祐紀はその言葉に、今の自分の行動を考えた。
そして何もできないのに何とかしたいと空回りをし、過去の地龍の行動に捕らわれた己を反省した。
祐紀に今できるのは、大人しく災害に巻き込まれないようにしているしかないのだ。

 祐紀は佐伯に頭を下げる。

 「このような緊急時に申し訳ありませんでした。」
 「よい。
分かってもらえたならそれで。
儂は、今できることをするだけじゃ。
今、儂ができることは水害から民の命を救うことじゃ。
地龍など二の次じゃ。
そもそも儂に地龍などどうしようもないからのう・・・。」

 そう言って佐伯は苦笑いをする。

 「寺社奉行という権力があっても、地龍には通用せん。
人とは貧弱で、愚かな生き物じゃ。
神の御手の中で、一生懸命に生きるしかない。
ならば、その手の中で自分がいかに生きるかが大事だ。
そうであろう?」

 「仰る(おっしゃる)通りです。」
 「うむ。
今、お前にできることは何もない。
お前のために部下を巻き沿いにしないように大人しくするのも務めじゃ。
お前は、お前にしかできぬことがある。
それに備えよ。
よいな?」

 「・・・はい。」
 「では、下がれ。」

 祐紀は佐伯に深くお辞儀をすると、その場から去った。
佐伯は去って行く祐紀の後ろ姿をジッと見ていた。

 「まあ、地龍が出て生き残れたら茶でも飲もうぞ、祐紀・・。」

 そう佐伯はポツリと呟いた。
佐伯は一度深呼吸をする。
そして佐伯は威厳のある寺社奉行の顔になる。
部屋に威厳のある声を佐伯は轟かせた。

 「(たみ)の非難はどうなった!!
避難先での炊き出しはどうしておる!!!
報告が遅いではないか!」

 その言葉に部下が飛び上がり、慌てて担当者を探しに走り出す。
その様子を佐伯は見て溜息を一つ吐いた。
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