第210話 縁 市 その1

文字数 2,594文字

 父様(ととさま)は私に微笑んだ後、背を向けた。

 あれ? 父様は何故(なぜ)私に背を向けたの?
優しい父様の突然の行動に、ポカンとした。

 それに、ここは何処(どこ)だろう?

 (あた)り一面がススキだ。
それも自分の背丈よりも高い。

 え? 自分よりススキが高い?!

 (あわ)てて自分の手を見る。
まるで幼児(おさなご)の手だ。

 何が起こっているのか頭が追いつかない。

 落ち着こう・・。
私はそもそも何処にいるの?

 改めて(まわ)りを見回す。
私の目の前には一本の道があり、その両脇はススキだ。
それも隙間(すきま)無くススキが繁茂(はんも)し、道以外に行かせないようにしているかのようだ。
そんな道の真ん中に私と父様は立っていた。

 おそらくススキ野の中央を刀で寸断したかのような一本の細い道が一直線に貫いているのだろう。
ススキが風に揺られ、ときおり道を自分の目から隠す。

 此処(ここ)は・・、何処なの?
そう父様に聞こうとした。
だが、目の前にいたはずの父様の姿はなかった。

 父様は自分を置いて、ススキが生い茂る野原の道を歩いており距離が離れていた。

 置いて行かれる!

 なぜかそう思い、恐怖にかられる。
(あわ)てて父様の後を追おうとするのだが、前に進めない。
視線を自分の足下に向けると、足が動き地面は後ろに向かって動いていた。
歩いているのだ。
なのに、自分は一向にこの場所から動けないでいる。

 父様はというと・・ドンドン遠のいて行き、豆粒のように小さくなっていく。
やがてススキが父様を隠し見えなくなってしまった。

 「(とと)様!」

 そう神薙(かんなぎ)巫女(みこ)は叫んで目が覚めた。

 「夢?」

 神薙の巫女の(ほほ)から涙がこぼれ落ちる。
目を閉じ、自分の右腕を目の上に乗せた。

 いったい自分はなんていう夢をみたんだろう?

 そう・・、あれは平安時代に私の父だった方の夢だ。
それも現実にあった思い出では無い。
心象風景・・・なのだ。

 何故、自分はそんな夢を見たのだろう。
何故、こんなに寂しく、悲しいと思うのだろう?

 そう考えて、ハッとした。

 待って!!
なんで生前のことだと思うの?!
それも前世の平安時代だと!!

 おかしい!!
転生して前世の記憶は消されているはずだ!
たとえ夢であっても、あり得ない!

 腕をどけて、目を見開く。
そして、さらに困惑した。

 「ここは・・何処(どこ)?」

 見()れぬ天井だ。
慌てて上半身を起こす。

 すると斜め後ろから、のんびりとした優しい声がかかった。

 「やっと起きたのね?」
 「え?」

 神薙の巫女はビクリとした。
見慣れぬ部屋に、聞いたことのない声・・・。

 「その様子だと、記憶がまだ戻ってはおらなんだか?・・・。
それとも此処(ここ)を忘れてしまったのか?」

 その声に、神薙の巫女の記憶が一気によみがえる。
そして思わず叫んだ。

 「奪衣婆(だつえば)様!」

 そう言って神薙の巫女は、後ろを振り返る。
そこには(なつ)かしい人がいた。

 仏教では奪衣婆を恐ろしい老婆として描いているものがある。
しかし実際の奪衣婆は見目麗しい(みめうるわしい)若い女性である。
それもだれもがため息を吐き見とれるほどの。
そんな奪衣婆が、笑顔で神薙の巫女を見つめていた。

 「久しいのう、(いち)よ。」
 「お久しぶりでございます!」

 「ふふふふふふふ、やっと(わらわ)の事を思い出したか。
(かしこ)まらんでよいぞ、お前と私との仲ではないか。」

 「そんな・・、恐れ多い事でございます。」
 「そうかえ? 私はお前を娘にように思っておるのだが、迷惑か?」
 「め、迷惑などと! お、恐れ多いことでございます!」

 そういって神薙の巫女こと市は平伏(へいふく)した。
市とは神薙の巫女として生まれ変わる前、平安時代に生きたときの名前である。

 平安時代に生きた後、市は奪衣婆の元で、死者の魂を流す三途の川を監視する役を(にな)っていた。
その時、市は生前の世のしがらみを完全に断ち切れないでいた。
それゆえ解脱(げだつ)者(※1)としての資格がありながら、決して解脱者になろうとしなかったのだ(※2)。

 奪衣婆はそのような市を自分の配下においたのである。
神界ではあり得ない抜擢(ばってき)であった。

 奪衣婆は自分の配下として働かせ、市が解脱の門を(くぐ)りたいという言葉を何も言わずに待っていた。
しかし、いつまでたっても市は解脱者になろうとはしなかったのである。

 そのため奪衣婆はある決意を固めた。
市を転生させ解脱をさせるという荒療治を。

 もし、三途の川の番人であるのに解脱せぬならば、まずい事となる。
奪衣婆が管理している幽世(かくりょ)から追放せねばならないのだ。
これは、今まで積んできた徳が、努力が、全て無に帰す事を意味する。

 無に帰すとは、輪廻転生の輪に戻る事だ。
すると来世は人に生まれかわるとは限らない。
神々の意思により虫や、食用の家畜に生まれ変わるかもしれないのだ。
その場合は人として生まれ変わるには数えきれない程の転生をしなければならない。
いや、転生を繰り返しても人になれるという保証はないのだ。

 ただ人に生まれ変われれば、その魂は幸せなのかといえば、それはわからぬ事だ。
生きとし生けるものが、それを望んでいるとは限らない。
だが、それは煩悩に支配され本来の魂のあり方を忘れた考えである。
魂は解脱をし、より高次元にいかねばならない。
それが世の(ことわり)なのだ。
人に生まれるというのは、解脱をする修行の用意ができたという証である。

 もちろん市はそれを知っていた。
だが、市はまるで今までの努力を無に帰す事を望んでいるかのようであった。
そんな市を、奪衣婆は解脱させ救いたかった。

 奪衣婆は自分の権限を生かし、市を人として転生させ解脱をするように仕向けたのである。
奪衣婆とは、それほど慈愛に満ちた神なのである。

 そんな奪衣婆の元に市は今、呼び戻されているのである。

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参考)
※1 解脱(げだつ)
悟り(さとり)をひらくこと。
現世(うつしよ)煩悩(ぼんのう)から解き放たれた、輪廻転生(りんねてんしょう)から外れる者。
座禅などの修行を行い、悟りの境地に達した人(例:お釈迦様)を指しますが、本小説では現世で徳を積み煩悩から解放された魂で、三途の川に来たときに解脱の門が現れた者としております。

※2 市の場合
三途の川に来たとき現れた解脱の門を解脱者は無意識で(くぐ)るのですが、市は門を潜らずにいました。

注意)
仏教の教え、仏の世界など私は詳しくありません。
仏教と神道を混在している面もあるかと思います。
この小説は架空の神の世界(仏の世界)です。
もし不快に思われた方がいたならば、小説の世界としてご容赦いただければと思います。
よろしくお願います。
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